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Nov 5 2006
Munich〜Amsterdam
 
 
ケンピンスキー・ホテルの豊かで幸せな朝食の風景です。
左の長方形のものは何かお分かりでしょうか。何と巣のままの蜂蜜なんですよ。
パンも隣の部屋にずらーっと並べられたソーセージ類、果物も極上の朝食タイムでした。
 
ライオン達
州立歌劇場 テリング宮殿
 
午前中はフリータイムでしたので、街歩きと買物に出掛けました。

様々なライオンが街のそこかしこに置かれていましたが、これは2005年の芸術祭に
会社や商店がいろんなアーティストに注文して作ったもので、
410頭のライオンを買い取った費用は福祉施設などへ寄付されたそうです。
2頭のライオンが描かれたヴィッテルスバッハ家紋章の中心の青と白のダイヤ柄は州旗とされているそうですが、
ミュンヘンに本社のあるBMWのエンブレムもここからとったものだそうです。

連れられて歩いている時は分かりませんでしたが、州立歌劇場、レジデンツのあるカール・ヨーゼフ広場は
ホテルから歩いてすぐの距離でした。
レジデンツと向き合っているテリング宮殿は今は郵便局となっているそうです。
 

 
新市庁舎マリエンゾイレ旧市庁舎
 

街を歩くと自然と中心のマリエン広場に行き着いてしまいます。
この広場の名前は、スエーデン軍の占拠から開放された後、感謝の意味で造られたマリエンゾイレの
てっぺんの金箔のマリア像に由るそうです。

 

 
聖母教会
 
15世紀後半に建てられた後期ゴシック建築の聖母(フラウエン)教会は、
玉ねぎ型のふたつのドームが街のシンボルとなっています。
下段右側は神聖ローマ皇帝ルートヴィッヒの墓碑、地下はヴィッテルスバッハ家の墓所となっているそうです。
思いのほかシンプルで落ち着いた教会の中には、出勤前に礼拝に寄る人達の姿が見受けられました。
 
聖ペーター教会
 
ミュンヘン市最古の教区教会で、ペーター爺さんの愛称で呼ばれているという11世紀建造の
聖ペーター教会の306段の階段を上って、ミュンヘンの街の眺望を楽しみました。
高みから見ると聖母教会や新市庁舎が一味違って見えます。

第2次世界大戦後、1946年に取り掛かったミュンヘンの修復は聖ペーター教会から始められたそうです。
60年後のミュンヘンは魅力ある美しい都会だと思いました。再訪を期したい所です。
 

 
 
3時間余り街歩きと買物をして、12時にロビーに集合し、ホテル近くのレストランでランチをとりました。
メインは魚料理でしたが、食事をしながら、テーブルの間を窮屈そうに通るレストランのウエイトレスのおなかを
作り上げたのはビール?ジャガイモ?などと失礼なことを考えていました。本当に見事でした。
 

 

イザール門(車窓)
バスへ向う所
   
バスでミュンヘン最後の観光、ニンフェンブルグ城へ向いました。
イザール門はバイエルン公ルートヴィッヒ(神聖ローマ帝国皇帝)が14世紀にミュンヘンの街を拡大した時に
城壁の東門として造ったもので、ミュンヘンに唯一現存する門塔だそうで、
描かれている壁画は1322年アンフィングの戦いから凱旋するバイエルン公ルートヴィッヒだそうです。
 

 
ニンフェンブルグ城
   
大広間シュタイネルネ・ザール シュタイネルネ・ザールの天井画
ルートヴィッヒ1世の美のギャラリー <ルートヴィッヒ1世とルートヴィッヒ2世の母マリー>
ルートヴィッヒ2世が生まれた部屋
   
ニンフェンブルグ城(妖精の城)は、1664年の定礎起工から19世紀に至るまで増改築が続けられた
ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮です。
左右対称で大変美しいのですが、1992年に立ち寄った時も今回も広大過ぎて写真を撮るのに困ってしまいました。

ヴィッテルスバッハ家のバイエルンは12世紀末に神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒによって公国と認められ、
17世紀には選帝候国となり、1806年にナポレオンによって領土を2倍に拡大し王国となったそうです。
初代国王がマックス・ヨーセフ、マクシミリアン1世で、その後ルートヴィッヒ1世、マクシミリアン2世の下に
文化国家として発展を遂げ、ルートヴィッヒ3世の治世1918年に終焉を迎えます。

ルートヴィッヒ1世は1847年に妃として迎え入れた踊り子ローラ・モンテスが
国政を掌握したために国民の怒りが爆発、1848年の3月革命で退位に追い込まれたそうです。
宮廷画家に描かせたという美女の間のコレクションには圧倒されました。
耽美的でロマン的な傾向は孫のルートヴィッヒ2世に受け継がれたのでしょうか。
築城、ワーグナーへの投資額の大きさが王国財政を圧迫したことに怒ったバイエルン議会は
ワーグナーにロールス(ローラの男性形)というあだ名をつけたそうです。
何はともあれオーストリアのハプスブルク家より、バイエルンのヴィッテルスバッハ家の方に美形が
多いことは確かなようですね。両国の現在の印象から受けるイメージとは逆のようにも思われますが・・・・。
ちょうどこの時代にミュンヘン大学に留学していた森鴎外の「うたかたの記」に、
ルートヴィッヒが亡くなった日のことが描かれているそうです。

城館後側に広がる広大な庭園は大理石彫像が木の保護柵で覆われ、花壇の球根は全て掘り上げられ、
冬の支度が終ったという風情でした。
 

 
3時頃ニンフェンブルグ城を出発し、17時半の飛行機でミュンヘンからアムステルダムへ向いました。
ちょうどこの日からEUの空港における新しい保安措置が始まり、液状、ジェル状のもの、リップクリームなどを
手荷物にする場合はジッパー付きのビニール袋に入れなければならなくなったのですが、
それ程の混乱もなく出国することが出来ました。

19時過ぎにスキポール空港に到着、空港近くのホテルにチェックインしました。
ホテル内のレストランでの最後の夕食は、いつものことですが、安堵と寂しさが入り混じり、
ちょっとおしゃべりになる人、静かになる人、様々な模様が見られました。
何はともあれ、無事にここまで来たことを、Nトラベルの差し入れのワインで乾杯して祝し合いました。

 

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