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Oct 27 2006

Budapest〜Esztergom

 
     ホテルの窓から見た朝景色
ホテル西側の窓から見た王宮の丘 くさり橋
   

長旅の翌日の観光は10時半スタートということで、ホテルからの景観を楽しんだり、くさり橋まで散歩をしたり、
ゆっくりとした朝の時間を過ごしました。‘ドナウの真珠’と讃えられるに相応しい見事なドナウの景観です。
くさり橋の橋脚を見ると水位が随分下がっているのが見て取れます。春には大洪水のニュースが流れましたが、
半年後にこのような渇水とは地球全体の異常気象をまざまざと物語っているようです。

旅前からの激震の余震は、朝一番のニュースでもたらされました。
結局この渇水で、私達の乗るセレナーデ号は停泊中のエステルゴムから下ることが危険と判断され、
ブダペストからの乗船は見送られ、バスでエステルゴムまで上ることになりました。
それでも希望者はブダペストでディナークルーズをしてからエステルゴムへ向いますと、
Nトラベルは素早く、配慮のある手配をしてくれました。
小さな観光船は運航可能でも、1500トンのセレナーデ号には足りない水量だったようです。
42名の参加者中、ディナークルーズをパスしてセレナーデ号に直行したのは10名位だったでしょうか。
私達は95年に夜のクルーズを体験していましたが、8泊するセレナーデ号には急ぐこともないし、と判断しました。

   

マーチャーシュ教会
聖イシュトーヴァーン王像 漁夫の砦
王宮の丘からのパノラマ くさり橋を守るライオン像
王宮劇場 大統領官邸
飾り門 王宮
 
ブダペスト観光のハイライト、ブダ地区の王宮の丘から観光が始まりました。

聖処女マリア教会という正式名を持つマーチャーシュ教会は、13世紀にベーラ4世によってゴシック建築で
建立された後、15世紀にルネッサンス王と呼ばれるマーチャーシュ王によって尖塔が増築され、
16〜17世紀にかけてのオスマン・トルコの支配下の時代にはモスクとして使用、18世紀にバロック様式に
修復されたものを19世紀にゴシック様式に戻したという幾層もの歴史を重ねた教会です。
歴代王の戴冠式を行ない戴冠教会とも呼ばれる教会は、ジョルナイ工房のタイル屋根が特徴的でした。

マーチャーシュ教会前の広場ではハンガリー初代王イシュトヴァーンの威風堂々とした騎馬像が人々を見下ろし、
周りを白い石灰石で作った7個のとんがり帽子でつなぐ回廊が囲み、王宮の丘に独特の雰囲気を添えています。
かっては漁夫のギルドがこの防御壁を守っていたこと、魚の市が立ったことに因んで漁夫の砦とよばれる
20世紀初頭の建築物からのパノラマは、まさに「ドナウの女王」の風格でした。
因みにくさり橋を守る4頭のライオンは舌を彫るのを忘れられたそうで、よく見ると、少し間抜けな顔をしています。

王宮劇場、戦争の弾痕跡を残したままの国防省、大統領官邸などを見ながら、王宮の丘を歩きました。
王宮の飾り門で大きな羽を拡げているのは、建国の父アールパードを生んだと言われる伝説の鳥トゥルルです。
ヴォルガ河とウラル山脈の間に住む騎馬民族マジャール族など7部族が、アールパードに率いられて、
ハンガリーに定着したのは896年のことで、7個のとんがり屋根は7部族に由来するようです。
ベーラ王の13世紀に建設されて以来、歴史に翻弄された続けた王宮は、
現代に至っても2度の大戦で大打撃を受け、今の姿に修復されたのは1950年代のことだそうです。
王宮の一画にある国立図書館のエレベーターで広大な王宮の丘を下り、バスでペスト地区へ向いました。

   

 
カフェ‘ジェルボー’ヴェレシュマルティ像
ヴァーツィ通りヴェレシュマルティ広場
シナゴーグ ユダヤ人
 

ブダペスト随一の繁華街ヴァーツィ通りの北端にあるヴェレシュマルティ広場に面するカフェ‘ジェルボー’の
地下のレストランで昼食をとりました。‘ジェルボー’は、ハンガリーで今なお人気を保つという
フランツ・ヨゼフ皇帝妃エリザベート、通称シシィが愛用したといわれる由緒のあるカフェです。
昼食はハンガリーの郷土料理、パプリカで牛肉を煮込んだグヤ−シュでした。

昼食後の1時間半のフリータイムは、K夫人はフォークダンス用にハンガリー刺繍の衣裳を買いたいということで
T添乗員さん、ガイドさんの買い物班へ、Kさんと私達夫婦の3人はシナゴーグを見に行くことにしました。
ヨーロッパ最大級で、リストやサン・サースがオルガンを弾いたというシナゴーグの内部は
入場時間を過ぎていて見ることが出来ませんでしたが、ゴシック、バロックのキリスト教教会を見慣れた目には
シナゴーグのシンプルさがとても新鮮に写りました。
建物を写すような顔をして、卵のトレイを持って近くを通りかかったユダヤ人の写真を撮ってしまいました。
日本でこのようなオーソドックスなユダヤ人を見かけることが少ないですから、失礼を承知の上で・・・・。

その後、聖イシュトヴァーン大聖堂まで足を延ばしたかったのですが、時間が足りなさそうでしたので断念して、
早目に待ち合わせ場所のヴェレシュマルティ広場へ戻りました。
ペストの干し草市場があったというこの広場は、今は国民的詩人に因んだ名前で呼ばれているようです。
朝、ホテルで一応換金した1000円(1600フォリント)でさえ、使わないままハンガリーを出国しそうな気配に
なって来ましたので、‘ジェルボー’に入って、トカイ・ワインの入ったチョコレートを買いました。
小さなボンボン4個で1200フォリントでした。 シシィが何を好んだかは分かりません。

 

   
アンドラーシ通り
英雄広場
 

4時にバスに乗り、車窓観光をしながら、英雄広場へ向いました。
アンドラーシ通りは、95年に歩いた時に比べ、とても明るい西欧的な通りに変貌していました。
何より、以前は洗車をしたことがないようなポンコツ車が目立っていたのが、新車のオンパレードです。
平均月収5〜6万円で共働き家庭が多いそうですが、銀行不信やインフレで、不動産や車にお金をかける人が
多いというのがガイドさんのお話でした。ファッション・ブランドなどにはコピーがあるけれど、
車には偽物がないという感覚があるそうです。
アンドラーシ通りは並木の美しさなどによって、2002年に世界文化遺産の指定を受けています。

アンドラーシ通りの突き当たりにハンガリー建国1000年を記念して造られた英雄広場がありました。
35mの柱頭の上にはイシュトヴァーンに王冠を与えるようローマ法王に告げたという大天使ガブリエルが冠され、
足元に建国の父アールパートと6人の部族長、両側の柱廊には歴代国王や政治家14人の彫像が並んでいます。
両側に西洋美術館と現代美術館がある広場は1956年にはスターリン像が倒されるという歴史も刻んでいます。

再びバスに乗って、マルギット島対岸の船乗り場へ行き、2時間のディナー・クルーズを楽しみました。
メイン料理パブリカ・ソースのポーク・ソテーをいただきながら、ライトアップされたブダペストの夜景を堪能しました。

 

 
 

7時半頃、クルーズ船を下りて、バスでエステルゴムへ向いました。

8時20分頃セレナーデ号に乗船すると、春のクルーズの時、関西班の添乗員だったOさんが、
「あらぁ!」と顔を覚えていて下さっていた様子で出迎えて下さいました。
部屋に果物と共に置かれていた「お帰りなさいませ。」というメッセージ・カードを作っている時は、
どんな人達かしら?と思っていたことでしょうけれど・・・・。
セレナーデ号の今秋のドナウ・クルーズ全コース、40日間のデスク駐在員を務めるというOさんは、
添乗員の時より、はるかに頼もしく見えました。

 

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