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Oct 28 2006
Esztergom〜Visegrad〜Bratislava
 
   
昨夜乗船したエステルゴムの朝の風景です。
朝一番に船のデッキに上がってみると、朝陽を受けた大聖堂や朝もやに霞むドナウ河が
幻想的で息をのむような美しさを見せていました。
この景色を見た瞬間、このドナウ・クルーズ旅の成功を確信しました。
 
エステルゴム大聖堂
ドーム天井 パイプ・オルガン
聖グレゴリウス 聖アンブロシウス 聖アウグスティヌス 聖ヒエロニムス


アンモナイト化石
バコ−ツ礼拝堂
 

エステルゴム大聖堂は大司教座のおかれるハンガリーのキリスト教会総本山です。
9世紀にドナウ流域を征服したアルパードの曾孫ゲーザ公が王宮を築いて拠点としたのがエステルゴムで、
955年に神聖ローマ帝国に敗れたゲーザ公は、ハンガリーが存続するためにはキリスト教に改宗して、
西欧社会に属する必要があると考え、プラハ大司教の聖アダルベルトを招いて息子のヴァイク(975年生まれ)に
キリスト教教育を施し、洗礼を受けさせたそうです。ヴァイクがキリスト教を国教とし、
ローマ法王から王冠を受け、イシュトヴァーン1世としてハンガリー初代王となったのは1000年のことです。

モンゴル人侵入、トルコ支配の時代を経て1822年から55年の歳月をかけて再建されたのが現在の大聖堂です。
コリント式列柱が美しい新古典様式の大聖堂の前には聖母子の立像が置かれていました。
高さ100m、直径53m、4方にキリスト教会4大博士がモザイク画で配された大ドームの天井は、
青い色調が宇宙のような荘厳さを見せていました。
ドームと同じ色調の5000本のパイプを持つというオルガンも美術品のような風格でした。
リストの「荘厳のミサ曲」はこの大聖堂に贈られたものだそうです。
バコ−ツ礼拝堂はハンガリーに唯一残る16世紀初頭のルネッサンス様式の礼拝堂と言われています。
周りを囲んだ赤い大理石の中にはアンモナイトの化石が入っているものもありました。
太古の時代の海の記憶をとどめているのかもしれませんね。

大聖堂2階にある宝物館では、きらびやかな宝冠、聖杯、十字架や司教杖、式服、 タペストリーなどの
展示物を見て回りました。政治と宗教の支配者の権力の大きさを物語っているようでもありました。

   
 

大聖堂横の展望台から見たドナウ河のパノラマです。
手前の建物はバロック教会と大司教宮殿、奥に見えるのがヴァレーリア橋です。

ドイツ源流から東に向って流れるドナウ河が急に方向を変えて、南に向かい始めるのがここエステルゴムで、
ドナウの曲がり、ドナウベンドと呼ばれる地域です。
古代ローマ時代には防衛の重要な拠点であった町で、哲人皇帝マルクス・アウレリウスはこの地で
「自省録」を執筆したと言われています。

第2次世界大戦の末期、ナチス軍に破壊されたというヴァレーリア橋は、1995年に見た時は橋の一部しか
残っていませんでしたが、5年前に新しい橋が完成、スロヴァキアと再び繋がったそうです。
但し、この橋を渡るにはビザが必要だそうです。 ツアー・スタッフに預けてあった私達のパスポートも、
国境を越える毎にチェックされていたのかもしれません。

 

   
   
   

モンゴル侵入後の14〜15世紀にハンガリー首都となったことのあるヴィシェグラードへ行きました。
「高い城」という意味を持つビシェグラードにはルネッサンス王マーチャーシュの時代には華麗な宮殿が建てられ、
「地上の楽園」とも呼ばれたそうですが、トルコ軍に占領された後、山からの土砂に埋もれ、
忘れ去られた地となっていた所、1934年にたまたま農夫が地下物置で宮殿跡を見つけたことがきっかけで、
発掘作業が始まったそうです。
標高315mの山頂近くまでバスで上り、要塞を見学しました。要塞内部には、時の王達の晩餐会の様子を
再現した部屋や昔の生活道具などが展示されていました。
ドナウの曲がりがよく分かる展望となっていて、ローマ時代からの天然の要害の地であったことが窺われます。

 

 
 
12時半ごろ帰船し、昼食をいただきながら、ブラチスラヴァへ向けて出航しました。
写真は前菜のツナサラダとメイン料理のグラーシュ、シーフードラザニア(いずれか選択)です。
春のセレナーデ号でもバラエティに富んだメニューには感心したのですが、
今回は盛り付けや味がさらにレベル・アップしていると思ったら、料理長が変わったとのことでした。
O駐在員が厨房にも入ってメニュー・アドバイスや味見をしているとも聞きました。
 

 
 

昼食後はO駐在員による救命用具を使った訓練、改めてのご挨拶(何しろ、45%キャンセルが出たツアーです。)
添乗員紹介、船内説明などがありました。クルーズが始まって、ようやく軌道に乗って来たツアーは、
12日間の班と白鳥城まで足を延ばす14日間の班のふたつに分けられました。
14日間の私達の班の担当は難局を乗り切るべく派遣された?唯一の男性添乗員Kさんです。
細身の身体で心配しましたが(嘘です。)大学時代は山岳部だったと聞いて安心しました。
その後、T添乗員さんの12日班と分かれて、各班で自己紹介の時間が持たれました。
9組の夫婦と女性の友人連れ2組、1人参加1人という23名が私達の班のメンバーでした。

その後はラウンジでお茶をいただきながらクルージングを楽しんだり、部屋でゆっくり過ごしました。
流れていく景色を見ながら、2004年にEUに加盟したものの、増税、公共料金値上げなど矢継ぎ早の改革で
経済事情が悪化、貧富差も大きくなり、国民感情が悪くなっているハンガリーでは、
ジェルチューニ首相が「嘘をついていた」というテープが出て来たことで反政府デモが行なわれるようになったと
9月頃から日本でも報じられていたのを思い出しましたが、
10月23日のハンガリー動乱50周年記念式典の日の大掛かりなデモがピークだったのか、
私達がブダペストにいた時にはそういう雰囲気は感じませんでした。

 
 
6時から船長主催の歓迎カクテル・パーティが開かれました。
航行が難しい地点なので運行に専念したいとヤン船長さんはラウンジには降りていらっしゃいませんでしたが、
紹介された船のスタッフ達と記念の1枚を撮りました。
 

 
 
船長主催の歓迎夕食会のメニューです。
セレナーデ風前菜とスープ、サラダに小海老のグリル地中海風(又はローストビーフ)のメイン、
そしてデザートは花火が灯ったシェフのびっくりパイナップルでした。
T添乗員さんとパーサーのクリスティーナさんのバースディ・ケーキも登場しました。
 

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