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Oct 29 2006
Bratislava〜Wien
 
 
 船は午前2時ごろスロヴァキアの首都ブラチスラヴァに停泊した様子です。
朝7時頃デッキへ出ると丘の上のブラチスラヴァ城や展望台を持った吊り橋、対岸の美しい公園が目を引きました。
その時ぱらついていた雨が朝食の時間には本降りとなり、かなり心配しましたが、
観光に出発する9時過ぎには雨は止み始め、観光中は全く傘を差す必要がなかったのは幸いの一語でした。
   

 オーストリア大使館
 聖マルティン教会
 ハンガリー紋章
 
   
 石畳の王冠マーク
  
   ミハエル門
   

 ハンガリーがトルコに占領された16世紀から17世紀にかけてハンガリーの首都であったブラチスラヴァは、
今でもハンガリー色を濃く残した古い街です。
第一次世界大戦後に独立するまで1000年もハンガリーの支配下に置かれていたスロヴァキアは
1993年にチェコとの連邦制を解消し、独立国家となっています。

14世紀初頭にロマネスク様式で建てられた聖マルティン教会では、歴代のハンガリー王11人、
マリア・テレジアなど7人の女王の戴冠式が行なわれたそうです。
イシュトヴァーン王以来、政治と宗教を司ったことを意味する二重の十字架のハンガリーの紋章が
国会議事堂の屋根を飾り、石畳の道路には王冠のマークが埋め込まれ、王達が進んだ道を示していました。

モーツアルトが6歳の時に演奏をしたというオーストリア大使館やリストゆかりの建物を見ながら、
現存する唯一の城門、ミハエル門まで歩きました。時代を追うごとにゴシックからルネッサンス、
バロックと加えられていった14世紀の門の屋根の上には、
ブラチスラヴァの聖人ミハエル(ミカエル)がドラゴンを串刺しにしている像が建っていました。

   

 緑の建物が日本大使館
 ミサを終えた人々

 フランス大使館とスロヴァキア迎賓館
 旧市庁舎の回廊
 ブラチスラヴァ市紋章と石柱彫刻
 
 ミハエル門から旧市街の中心フラヴネー広場に入り、大司教邸、各国大使館が並ぶ美しい広場や、
14世紀の回廊を持つ旧市庁舎の内庭などを見学しました。教会からのミサを終えた人々が出て来なかったら、
中世にタイムトリップしたのではと錯覚するような静かな佇まいの日曜日の広場でした。
建物を3つ並べたブラチスラヴァ市の紋章はマンホールやプレートにも使われていました。
石柱に彫られたユーモラスな動物達の姿もカメラにおさめてみました。
 

 スカートを覗く男
 喜劇役者

 スロヴァキア国立劇場
アンデルセン
 

 いつの時代のものかは分かりませんが、面白い彫像やオブジェが点在する通りを抜け、
1866年建築のネオゴシック建築の国立劇場前に出ると、並木道の美しいジブロバ広場がありました。
黄葉した木の下に立っているアンデルセンは、彼が広場に面して建つカールトン・ホテル(現在はSASホテル)に
宿泊した記念に作られたものだそうです。記念碑や彫像が好きなお国柄と見受けられました。

 

   




ブラチスラヴァ城 エリザベート女王
ブラチスラヴァ城からみたドナウ河と旧市街
 

バスに乗って、丘の上のブラチスラヴァ城へ行きました。
10世紀からの歴史を持つブラチスラヴァ城が、「ひっくり返したテーブル」と呼ばれる今の外観になったのは、
オスマン・トルコの侵攻に備え、防備が強化された17世紀半ばのことだったそうです。
その後マリア・テレジアも居城としていたそうですが、ナポレオン戦争の時に火災で焼け落ち、
150年間も廃墟のまま放置されていたものを、1953年にテレジア時代の様式で再建したそうです。
13世紀のハンガリー王家の女王エリザベートは、パンを与えてバラの花を受け取っている姿で、
慈悲深かった様子を表現されていました。今なお人気が高いことが窺われます。

城内の展望台からはドナウ河左岸に拡がる1970〜80年代のアパート群や工場地帯、手前には赤い屋根の
旧市街が見渡せました。この頃にはすっかり晴れ上がって、コートが暑く感じられる程でした。

 

 
   
船は1時にウィーンへ向けて出航しました。ドナウ河がスロヴァキア内を流れるのは22km程ですから、
間もなくオーストリアです。流れる景色を見ながらのゆったりしたランチ・タイムはまさに至福のひと時でした。
この日のメニューはかぼちゃスープとポーク・ピカタ、サラダとデザートはバイキングで好きなだけいただけます。
   
 

明日からのオーストリア観光に向けてドイツ語講座が開かれたり、お汁粉のおやつが出された午後でした。
担当のT添乗員さんは英語、ドイツ語、中国語など語学堪能のご様子。そういう添乗員さん付きのツアーでは、
語学は全く必要とされませんので、講座は余り役に立たなかった・・・かもしれません。
旅行社の細やかな心遣いのお汁粉は、写真でも分かる通り、薄め過ぎていたのが残念です。

 

 
 
7時頃ウィーンへの入港と前後して、夕食が始まりました。
マグロのカルパッチョとカニ寿司の前菜、子羊のロースト、黒スグリのパフェとパパイヤとキウイというのが
この日のメニューです。段々と気になって来た体重のことは旅の間は忘れるにしくはありません。
 

 
 

夕食後は展望ラウンジで、シェ−ンブルン宮殿管弦楽団による四重奏コンサートが開かれました。
アイネ・クライネ・ナハトムジーク、G線上のアリア、愛の挨拶などポピュラーなクラシック小品演奏の後、
ラデッキー行進曲でウィーンらしく締め括られた1時間のコンサートでした。
ウィーンへの期待をいやでも高めてくれる夜のひと時でした。

この日でヨーロッパの夏時間は終わり、冬時間に向けて時計の針を1時間戻しました。
いまだ時差ぼけの身には、1時間夜が長くなっても、大した影響はなさそうです。

 

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