9時過ぎに下船し、バスでウィーン観光に向かいました。
市内中心部を車窓観光しながら、最初に行ったのは1996年に世界遺産に登録されたハプスブルク家の居城、
シェーンブルン宮殿です。
マクシミリアンU世が1569年に購入、1612年にマティアス皇帝が狩猟中に美しい泉(シェーナー・ブルネン)を
発見したことからシェーンブルンと名付けられたこの宮殿は、1683年にトルコ軍に破壊された後、
レオポルドT世がヴェルサイユ宮殿を上回る宮殿を目指して再建に着手したそうです。
そしてそのバロック宮殿にロココ様式を加え、今見られる形にしたのが、1740年に23歳で即位した
マリア・テレジア女帝で、建物の外観の黄色はマリア・テレジア・イエローと呼ばれています。
男子皇位継承者が途絶えた後のハプスブルク家を受け継いだマリア・テレジアは、
干渉戦争を仕掛けてくる周辺各国に対して、強い精神力と優れた政治手腕で、
このシェーンブルン宮殿で華々しい外交を展開したそうです。
有名な「会議は踊る」のウィーン会議が開かれた大広間や、ビリヤードの間、鏡の間、漆の間など
1441部屋もあるという宮殿内のきらびやかなロココ朝の部屋のほんの一部を見学して回った後、
幾何学的に整えられた広大な庭園の方に回りました。
遠くに見えるグロリエッテはプロイセンとの戦いの戦勝記念に1775年にマリア・テレジアが建てたパビリオンで、
上部には帝国の象徴、巨大な鷲が地球の上に立って翼を広げているそうですが、以前にここへ来た11年前も、
今回もそこまで歩く時間がありませんでした。次回に3度目の正直を期したい所です。
庭園では保母さんに連れられて来て遊ぶ幼児達を見かけました。
この庭園は既にマリア・テレジアの時代から市民に公開されていたそうですが、申請すれば
屋内のサロン等も見学可能だったそうで、こんな所も彼女が国民から慕われた理由のひとつかもしれません。
ところが帰国後、たまたま見たNHKの世界遺産番組で、
現在はこの宮殿を賃貸住宅として使っていると報じていて、本当にびっくりしてしまいました。
王朝終焉後、オーストリア共和国の財産となったものを、1992年に政府出資会社、
シェーンブルン宮殿文化施設管理会社を設立、住宅難解消のために、
展示スペースの2階以外の大部分の部屋を賃貸住宅として供与し、管理しているのだそうです。
室内を無断で改造しない、外観を損ねる目立つ色のカーテンは禁止という程度の条件で、
入居資格は特になく、100uの部屋で10数万円の家賃だそうですが、ウィーン市民にも余り知られていなく、
知っていても古さに失望して帰る人も多く、現在の入居者は250世帯だそうです。
年間220万人もの観光客が訪れる宮殿の裏側で、そんな日常生活が営まれているとは、
ちょっと面白い話だと思いましたが、 愉快に感じるか、夢が損なわれるかは微妙な所です。 |