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Oct 14 2004
Chartres
 
 

朝方、夜半来の雨は止みましたが、シャルトルの一日は予想以上の寒さで始まりました。
朝食後、出発の9時までホテル周辺を散歩した時は、体感温度は5〜6℃位、日中も曇り勝ちで
10℃そこそこという感じでした。持参の洋服中、最強の防寒対策で出掛けることにしました。

パリのモンマルトルの丘からシャルトルまで歩く学生巡礼の話を読んで以来、
シャルトル・ノートルダム大聖堂は麦畑の中に建っているものとばかり思っていましたが、
今回は到着が夜だったこともあり、いきなり街の中で大聖堂に出会ってしまった感じでした。
左側は翌日シャルトルを離れるバスの中から写した写真ですが、このように遠くに尖塔を見ながら、
巡礼者のようにシャルトルに近付いていく感動を味わってみたかったです。

この大聖堂は4世紀の最初の教会堂の基礎石の上に、1194年から1250年頃にかけて再建された
世界遺産です。ゴシック様式(左側・高さ115m)とロマネスク様式(右側・高さ105m)の尖塔が
違和感なく西扉口正面に並んで立っています。全長130mの壮大なカテドラルですが、
‘石の衣を着た’と表現されるように、石の重みを感じさせず、むしろ優美な佇まいを見せて
シャルトルの丘に大きな存在感を示して立っています。

   

西扉口(王の扉口)のタンパン−黙示録のキリスト−
音楽・文法の擬人像やアリストテレス(左下)の浮彫
イザヤ エレミヤ シメオン 洗礼者ヨハネ ペテロ メルキゼデク アブラハム モーセ サムエル ダビデ
 
カテドラルのタンパンの図像や柱頭彫刻、林立する彫刻群は、文字を持たず、聖書を買えない中世の
多くの人びとにとっての聖書そのものであり、自然、学問、道徳、歴史を学ぶ読み物だったと言われています。
私達が訪れた日も、幼稚園児が先生に引率されて勉強していましたが、キリスト教文化圏でない国の者にとっては、
図像だけでメッセージを読み取ることは難しく、文字や知識から入っていかざるを得ない部分があるようです。
しかし表情、人間性豊かに彫られたロマネスク、初期ゴシック様式時代の彫刻は、時代、宗教、人種を超えて、
多くを語りかけてくる魅力を持っています。繊細な表現を石に刻んだ技術の高さにも目を見張らされます。
 
  北バラ窓−栄光の聖母−     <TS>   −美しき絵ガラスの聖母− <TS>
 

‘シャルトル・ブルー’という固有名詞で讃えられる大聖堂のステンドグラスは、総面積約2000uというスケールで
圧倒される美しさです。これもほとんど聖書の世界ですが、縦長の大きな窓のステンドグラスの最下段は、
それを寄進した職人組合の図柄になっていて、12〜3世紀の社会風俗史にもなっています。大工、石工、製鉄、
肉屋、魚屋、靴屋、毛皮屋、水運び人などいろんな同業者組合の様子がユーモアたっぷりに図像化されています。

 

   
ピカシェットの家
 
午前中、ノートルダム大聖堂ともう一箇所行ったのがピカシェットの家です。
1900年生まれのレイモン・イジドール(ピカシェットはニックネーム)は墓守を職業としていたそうですが、
散歩の度に食器やガラスのかけらを拾うのが好きで、やがてそれらの破片で家の装飾をするようになり、33年間で、
家の外壁から内部の天井、壁、床、家具、雑貨に至るすべてをモザイクで覆い尽くしたそうです。
ナイーフ派芸術のようでもありますが、ちょっと尋常ではない頭の持ち主だったとか。
歴史文化財の認定を受けているそうです。
 

   
大聖堂北塔からの眺望 東南側の丘からの大聖堂遠望


洗濯場が残るウール川沿いの家並み
螺旋階段‘ベルト女王の階段’がせり出した家
 
午後の自由時間は、一人で散策中のTSさんと大聖堂近くでお会いし、大聖堂北塔の狭い螺旋状の石の階段を
息を切らせながら上ったり、空軍パイロットの記念碑がある丘まで歩き、シャルトルの街並みの眺望を
ご一緒に楽しみました。そして中世の木骨組みの家が残るウール川のほとりを散策したり、
国際ステンドグラスセンターに寄ったりして、夕方5時近くまで徒歩でゆっくり古都の風情を味わいました。
 

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