ミディ・ピレネー地方の北端に近いアルズー渓谷の絶壁にはりついたようなロカマドゥールも
キリスト教者にとって重要な巡礼地として中世に発展した街です。
1166年にノートルダム教会礼拝堂の入口で隠遁者アマドゥールの腐敗していない遺体が発見された奇蹟を受けて、
高名な聖職者や王家の人々も次々と巡礼に訪れたそうです。
聖アマドゥールは聖母マリアの召使ザシェ(ルカ伝に登場)と同一視されていて、聖ヴェロニカの夫であったとも
民間伝説は伝えています。
私達は城塞前の駐車場から坂を下って、街の半ばにあるサンクチュアリー(聖域)へ入っていきましたが、
巡礼者達は216段もの階段を膝をついて這い上がるという苦行によって罪を悔い改めたそうです。
お守り兼交戦地区の通行許可証でもあったスポルテルを帽子やケープに縫いつけ、
(村の職人によって鉛、青銅、錫、銀、金で作られたスポルテルは修道院の財源でもあった訳です。)
ごわごわした毛織のマントを着て、大きな財布を杖に吊るした巡礼者達はしばしば泥棒にも襲われたそうですから
観光気分とは程遠い苦行であったことは想像に難くありません。
聖母像の黒い色は元々の木材の色、老巧化によるもの、ろうそくの煙が原因、ケルトの地母神信仰由来など
文献が残されていない為に諸説の結論はまだ出ていないそうです。
ノートルダム聖堂の中には海難に遭った人がマリア様に加護を祈り、ロカマドゥール詣を誓うと
自然になり響いたと言われる9世紀の「奇蹟の鐘」も吊るされていました。
聖ミカエル礼拝堂の外壁には断崖が屋根の役目を果たし、風雨から守られていたため、
僅かな修復だけで12世紀の姿をとどめているという受胎告知とエリザベス訪問の美しいフレスコ画が見られました。
かってはこの壁一面、断崖をも使って描かれた広大な壁画だったそうで、豊かな色彩が巡礼者達に
及ぼす宗教的暗示性、効果は絶大なものがあっただろうと言われています。
|