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Oct 12 2005
Rocamadour〜Carennac〜Beaulieu〜Collonges-La-Rouge〜Sarla
 
      スポルテル                 ロカマドゥール遠望                  巡礼姿

城塞
城塞展望台から見た街並み

聖ミカエル礼拝堂のフレスコ画
ノートルダム聖堂内の黒い聖母
サンクチュアリーへの道 聖アマドゥールが発見された場所
   

ミディ・ピレネー地方の北端に近いアルズー渓谷の絶壁にはりついたようなロカマドゥールも
キリスト教者にとって重要な巡礼地として中世に発展した街です。
1166年にノートルダム教会礼拝堂の入口で隠遁者アマドゥールの腐敗していない遺体が発見された奇蹟を受けて、
高名な聖職者や王家の人々も次々と巡礼に訪れたそうです。
聖アマドゥールは聖母マリアの召使ザシェ(ルカ伝に登場)と同一視されていて、聖ヴェロニカの夫であったとも
民間伝説は伝えています。

私達は城塞前の駐車場から坂を下って、街の半ばにあるサンクチュアリー(聖域)へ入っていきましたが、
巡礼者達は216段もの階段を膝をついて這い上がるという苦行によって罪を悔い改めたそうです。
お守り兼交戦地区の通行許可証でもあったスポルテルを帽子やケープに縫いつけ、
(村の職人によって鉛、青銅、錫、銀、金で作られたスポルテルは修道院の財源でもあった訳です。)
ごわごわした毛織のマントを着て、大きな財布を杖に吊るした巡礼者達はしばしば泥棒にも襲われたそうですから
観光気分とは程遠い苦行であったことは想像に難くありません。

聖母像の黒い色は元々の木材の色、老巧化によるもの、ろうそくの煙が原因、ケルトの地母神信仰由来など
文献が残されていない為に諸説の結論はまだ出ていないそうです。
ノートルダム聖堂の中には海難に遭った人がマリア様に加護を祈り、ロカマドゥール詣を誓うと
自然になり響いたと言われる9世紀の「奇蹟の鐘」も吊るされていました。

聖ミカエル礼拝堂の外壁には断崖が屋根の役目を果たし、風雨から守られていたため、
僅かな修復だけで12世紀の姿をとどめているという受胎告知とエリザベス訪問の美しいフレスコ画が見られました。
かってはこの壁一面、断崖をも使って描かれた広大な壁画だったそうで、豊かな色彩が巡礼者達に
及ぼす宗教的暗示性、効果は絶大なものがあっただろうと言われています。

   

 
 
 

ロカマドゥールを出発して、ケルシー地方北部の村へ行きました。
最初に寄ったのは‘美しい村’に指定されているカレナックで、サンピエール教会入口の12世紀のタンパン、
「キリストの昇天」を見た後、希望者で中に入りロマネスク時代らしい重厚な石造りの回廊を見学したり、
小さな村を散策して過ごしました。同行の方が小さな手作りパン屋さんで買った量り売りのフランスパン
‘カンパーニュ’をお裾分けしてくださって、歩きながら、村ととてもマッチした素朴な味わいを楽しみました。

 

   
   

ドルドーニュ川に面したテラスを持つボリューのオーベルジュで昼食を取りました。
「今回のランチは軽食です。」とO添乗員さんに案内されたのは普通3コースの食事が2コースになるということで、
タラのグリルのメインとチョコレートケーキが出されました。同じ2コースなら、デザートは抜きで、
前菜かスープがいいと思ったのですが、フランスではデザートの方が食事の重要な一要素となるようです。

食後、写真の「最後の審判」のタンパンを持つサンピエール教会を見たり、少し街を散策して、
再びバスで20kmほど北上し、次の‘美しい村’コランジュ・ラ・ルージュへ行きました。

 

   




   

村の建物全部が赤いレンガで出来ているコロンジュ・ラ・ルージュ村です。
周りを取り囲む緑の大地とのセットで美しく感じる村でした。

今日3つ目(!)の‘サンピエール教会’の「キリストの昇天」のタンパンの下の入口は、
色から受ける印象や形がアラブ風で一風変わった雰囲気を漂わせていました。。
サンピエールというのは12使徒の一人、ペテロのことで、逆さ十字架にかかっていたり、
鍵を持った姿で表されています。教会の礎となった‘岩’が名前の由来だそうですが、
最後の晩餐の時、キリストから足を洗ってもらったということで、
どこの教会でもペテロ像の足はご利益を願う人から触られ、なでられ、ぴかぴかに光り輝いています。

1時間程のフリータイムを村で過ごした後、西方のドルドーニュ地方へ向かいました。
山道を3時間余りバスを走らせ、2泊するペリゴール・ノワール地方の中心地サルラに到着。
ペリゴールというのはドルドーニュの古名で、ノワール=黒というのは、この地方に楢や胡桃、栗など、
葉の色の濃い木が多く、森が黒く見えることから付けられた名前だそうです。
フランスの地方の呼び方はガイドブックを見てもまちまちで、よく分からないことが多いのですが、
フォアグラ、トリュフの産地であるペリゴール地方が美食の地と呼ばれるのは間違いなさそうです。
ドルドーニュ渓谷沿いは‘美しい村’が最も集中している場所でもあります。

 

 

夕食はホテルから歩いて10分ほどの街中のレストランへ行きました。
最もおしゃれに決めたドライバーのディエゴさん(休日の一日を除いて、全行程のドラ-バー)や
O添乗員さんと同じテーブルで、日仏発音講座に盛り上がりながら、
(仮名表記できないような複雑な音が入っているフランス語の発音は難しく、なかなか「Qui」と言ってもらえない
Oさんはついに発音学習を断念。ディエゴさんにも「おいしい」が「aoisi」と聞こえたようです。)
ディエゴさんの素晴らしい食べっぷりに引っ張られて、セップ茸のタルト、鴨のグリル、洋梨のケーキ
(Mouilleux au Chocolat avec Poireとはディエゴさんの仏語講座)を全量はとても無理ながら、
自身のペースでいただいた後、夜のサルラの街を散歩しながらホテルに戻りました。

帰り道、別のテーブルだった方から、「今日のレストランは×だったわね。」と声を掛けられました。
彼女のテーブルは、鴨は固いし、まずい、この煮崩れた付け合せはひどいとほとんどの人が
お皿に手を付けなかったとのことでした。その時、ふと、旅行社でもらったマナー集に
「口に合わないものが出されても口外するのはやめましょう。」と書いてあったのを思い出しました。
雰囲気ひとつでお料理の味が変わってしまうことがあるのは事実ですよね。
旅行社もクライアントの嗜好をしっかり把握して、努力をすべきだとは思いますが!

 

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