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  Oct 18 2004

     Gargilesse‐Dampierre〜Nohant〜Bourges

   
シャトールーのホテルを9時に出発し、(添乗員Uさんの提案で、希望者は昨夜と今朝の食後に街を散歩し、
サン・タンドレ教会やノートルダム大聖堂を外から見ました。)
ジョルジュ・サンドが滞在した‘美しい村’ガルジレス・ダンピエールを訪ねた後、
サンドが住んでいた館のあるノアンに寄り、夕方5時半過ぎにブールジュのホテルに到着しました。
   
ガルジレス・ダンピエール
                 クルーズ峡谷沿いのガルジレス・ダンピエールの家並み              <TS>
Mairie(村役場)と郵便局 ジョルジュ・サンドの最後の恋人の住まい

サンドが滞在したコテージ      <TS>
ジョルジュ・サンド
 

19世紀のロマン派作家ジョルジュ・サンド(1804-76)が50代半ばから度々訪れるようになり、
‘調和のとれたロマンティックな村’と紹介したという深い緑に包まれた村です。
ドラクロワやミレーがサンドの元を訪ねてきたり、モネの描いた峡谷の絵も残されているそうです。
彫版家アレクサンドル・マンソーの家の壁に‘DERNIER AMOUR DE GEORGE SAND’
‘ジョルジュ・サンドの最後の恋人’と書いたプレートが貼られている所がフランス的だと思われました。
画廊が多く、夏には多くのアーティストが訪れるというこの村は、今までの村に比べると、
家の木部がカラフルに塗られていたり、ちょっと過多とも思える装飾も見られました。

 

   
                      アルジェントン・シュール・クルーズ                   <TS>
 
ガルジレス・ダンピエールからクルーズ川を少し下ったアルジェントンの街でランチをとりました。
橋からの眺めが素晴らしかったです。この日のメニューは、テリーヌと仔牛のシチューでした。
 

   
ノアン
入口にあった看板 ジョルジュ・サンド館の門
ジョルジュ・サンドの館 館内ガイドの女性
   
ジョルジュ・サンドがポーランド貴族の家系の祖母から譲り受けたノアンの館は‘La Petite Fadette’という
看板で出迎えてくれました。これは‘愛の妖精’と訳されて、私が唯一読んだサンドの本です。
(しかも読み始めたのは今回の往きの機内から。)100冊近い著書の中でも傑作と言われているもののようです。
ジョルジュ・サンドというペンネームは(ジョルジュは男名ですよね。)26歳の時共同執筆した
同郷の執筆家で、サンドの最初の恋人ジュール・サンドゥからとったものらしいです。
8年間ショパンと暮したり、リスト、ドラクロワ、ツルゲーネフ、バルザック、フローベル、
ナポレオン3世などが滞在したことがあるという客室、書斎、寝室、台所など、当時の備品が
そのままに残されている館内を見学しました。写真の女性の機関銃のようなフランス語を私達のガイド、
ドルフィンさんが英語に直し、それを添乗員Uさんが日本語にするのですから、随分と時間がかかりました。
サンドが自ら作った人形で、村人達に人形劇を見せたという舞台がある部屋もありました。
サンド生誕200年の今年は、世界各国で記念行事が行なわれ、社会問題に真摯に向き合ったサンドに
新たな関心が向けられ、再評価がなされているようです。
   

サン・マルタン教会
               <TS>

サンド館のすぐ前にあり、サンドも通っていた小さな教会。「鳴門の大塚国際美術館」にこの教会のフレスコ画が
再現されている様子ですが、絵はそれ程鮮明に残ってはいませんでした。

 

   
   
今回のツアー中、最も美味しい夕食だったブールジュのレストランのお料理です。
メニューが残っていなくて、正確な内容が分かりませんが、アミューズの後に小さなスープ、
メインはいろんな魚貝類のお料理で、デザートはクレーム・ビュルレでした。
10代に見えるギャルソンのサービスが初々しく、お皿もとても素敵でした。
 

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