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Oct 19 2004
Bourges
   
サン・テティエンヌ大聖堂の塔から見たブールジュの街並み
   
シェール地方の中心都市であるブールジュは、
要塞化された町の周囲を川が囲み、その両岸一帯を沼地が埋めている天然の要害の地で、
「ガリアでもっとも美しく、強い町」とユリウス・カエサルが評しています。
古代ローマ時代以後も異民族の侵入や諸侯の勢力争いの場となったり、
14世紀にはジャン・ド・ベリー公の公爵領の首都と定められたり、
1422年にはシャルル7世によってフランスの首都とされた歴史の街です。
現在の人口8万人ほどで、ミシュランの宇宙開発研究所などがあるそうです。

その中世の面影を色濃く残したブールジュで一日を過ごしました。
あいにく時々小雨が降るお天気でしたが、バーバラさんのガイドで、
午前中はサン・テティエンヌ大聖堂とジャック・クール宮殿をツアーの人達と一緒に廻り、
午後のフリータイムは町のあちこちをゆっくり歩いて散策しました。
   
   <TS>                         サン・テティエンヌ大聖堂
西扉口        大天使ミカエル          <TS>
15世紀の天文時計 美しいステンド・グラス
 

サン・テティエンヌ大聖堂は12世紀にイル・ド・フランスでおこったゴシック様式をロワール川以南で
はじめて採用した大聖堂で、1195年に着工し、1255年ごろ完成したといわれています。
重い後陣を外側から支える二段重ねの飛梁が珍しく、
西正面は左側二つの扉が修復中でしたが、五つの扉がずらりと並んでいる所が壮観でした。
その中央扉の「最後の審判」がとりわけ有名なようですので、
そのタンパンの中の魂の重さを計る大天使ミカエルをアップ画像にしてみました。
ミカエルは微笑んでいるように見えますが、隣の悪魔の形相を見ると、
出来ることならば、やはり地獄へは行きたくないと思わされます。
ロマネスク様式に比べ、ゴシック様式はリアルな表現が印象的でした。
この大聖堂で最も有名なのが12世紀から17世紀にかけての技術を網羅したステンドグラス群で、
シャルトル・ブルーとブールジュ・レッドという表現で並び称されるこのステンドグラスの価値で、
1992年にユネスコの世界遺産に登録されています。

午後のフリータイムに正面の塔に上って、ブールジュの街並みのパノラマを楽しみました。
トップ画像の通り、雨で煙っていましたが、川に囲まれた地形はカエサルの時代から
大きくは変わっていないのだろうと思いながら、緑に包まれた風雅な古都の様子を堪能しました。
帰りは高さ66mの塔の螺旋階段の段数を数えながら下ったのですが、
途中で上ってきた夫婦に「ハロー!」と声を掛けられた途端に数が飛んでしまい、
ちょっと怪しいですが、大体380段位でした。
(後でガイドブックをみると365段になっていましたが、せっかく数えたのですからアピールを!?)

 

   

ジャック・クール宮殿の外観
宮殿の中庭

ジャック・クールのシンボル
宮殿ファサードのクール像
 

ジャック・クールは1395年頃、ブールジュに毛皮商人の子供として生まれ、
地中海貿易、金融、鉱山開発などで巨万の富を築き、
シャルル7世の財務官までつとめた立身出世の人物だそうですが、
それが妬みとなって公金横領の罪で投獄されたり、ギリシャに逃亡したり、
栄華の極みから転落して、60歳位で亡くなったようです。
名声と権力を得た最盛期に建設されたのがこのフランボワイヤン・ゴシック建築の宮殿で、
中庭、厨房、サウナ、水洗トイレなどの発想が斬新で、
後のルネッサンス建築にも影響を与えています。
建物正面の2階の窓からクールが外を見ている面白い意匠のだまし絵ならぬ、
だまし彫刻が夫婦が対になって装飾されていました。
ジャック・クールのほたて貝とハートの図柄のシンボルが宮殿内の随所に見られました。
ほたて貝=サンジャック、ハート=クールということのようです。
因みにトランプのハート柄も、最初はクープ(聖杯)だったそうですが、イギリスからトランプを輸入し、
フランスで大流行させたジャック・クールを顕彰して、ハート柄になったのだそうです。
波乱万丈の人生で、いろんな分野に伝説を残した人物のようです。

 

   

  ランチ・テーブル           <TS>
   ランチのお店

  木骨組みの家            <TS>
プチ・トラン
   

昼・夕食がセットされていないこの日は、ほとんどの人は添乗員Uさんと中華ランチに行きましたが、
TSさんと私達夫婦はジビエを食べようということになり、
ガイドのバーバラさんに鹿、猪、兎、雉などのフランス語を教えてもらって、
レストランが並ぶ通りへ出掛けて行きました。
最初に入った店にはお客さんが一人もおらず、所在なげな様子のオーナーシェフ?に
「ジビエありますか。」と聞くと、(正確に言うとセンテンスではなく、単語だけの会話です。
以下、・・・と聞いたつもり、・・・・と言ったらしい、というように割り引いてお読みください!)
「やってない。」と言うので、「食べられるお店を教えて」というと「右に出て○?×?△?」という訳で、
「すみません、地図を書いてください」とお願いすると、同じ通りのお店を二つメモ帳に書いてくれました。
(親切なのか、厚かましい東洋人に負けたのか・・・・?)
そして、その中の一つ、外から厨房が見えて、おいしそうなお店に入り、
また「ジビエは?」と聞くと、「ノン」。「どこで食べられますか。」と聞いたら、
何と「オテル・ド・ブルボン」、つまり私達が泊まっているホテルのレストランの名前が登場しました。
仕方なく、ではジビエは夜にしてランチはここでしましょうということになり、
フランス語メニューから単語を拾って、ありつけたのが写真の鮭、お魚のカルパッチョ、牛肉料理です。
前菜から二つ、メイン一つを選んで、怪訝な顔をされましたが、
「シェアするから。」と言ったら、明るい顔で「OK」と言ってくれてほっとしたことでした。
(実は出てくるまでどきどきだったのですが。)
ワインはカラフェ、お料理はシェアで、ちょっと疲れ気味の胃にちょうど優しいランチになりました。
食後にお茶を飲んで、一人16ユーロ、2000円ちょっとで、味も良かったので満足してお店を出ました。

レストラン周辺の通りは木骨組みの家が立ち並び、とても風情がある所でした。
フランスの観光地でよく見かけるプチ・トランが走っている、というより、
渋滞にもお構い無しに、堂々と通り過ぎていきました。
プチ・トランには別の街で乗ったことがありますので、今回は乗車を割愛しました。

 

   

プレ・フィショー公園
川沿いのプラタナスの並木道
川辺の家 ブールジュ駅
 
昼食後、ホテルへ一度戻られるというTSさんと分かれ、
ブールジュ土産ならとここだとバーバラさんに教わったフォレスティーヌでキャンディを買ったり、
子供服店で、(婦人服には興味がない連れ合いも、子供服、つまり孫服なら喜んでついて来ます。)
今回のツアーで初めての買い物をしたり、大聖堂に上ったり、街歩きを楽しみました。
ホテル近くのプレ・フィショー公園は修道院跡地に1920年代に作られたアールデコ様式の公園で
市民の憩いの場となっているようでした。
川沿いの景色はどこも美しく、川の成り立ちが日本とは違うのかもしれませんが、
市街地のまん中にこんな川が流れているのは本当に羨ましいと思われました。
パリからブールジュまで列車で2時間足らずだそうですから、いつか再訪できたらと思います。
 

   
オテル・ド・ブルボン レストラン‘アベイ・サンタンブロワ’
   
3泊したオテル・ド・ブルボンです。
部屋はちょっと狭かったですが、17世紀の修道院のチャペルを改築したレストラン
‘アベイ・サンタンブロワ’などがあり、雰囲気の良いホテルでした。
街歩きの途中で再びお会いしたTSさんが、今夜の夕食は日本から持参したものにするとおっしゃったので、
ジビエは最後のオレルアンのランチの時ということにして、
連れ合いはUさん達とピッツアを食べに行き、‘最強の胃軍団’6人で2時間ばかり盛り上がった様子、
頑強とはいえない胃の私は、朝食と夕食を1回ずつ抜いたツアーとなりました。
雰囲気のあるホテルのいくつかの部屋から、おかゆやカップ麺の匂いが漂って来た夜だったようです。
 

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