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Apr 6 2006
Volendam〜Amsterdam〜Enkhuizen〜Urk
 

2階船室の窓辺
セレナーデ号
フォーレンダム             -IK-
 
昨日の花畑のお土産のチューリップ(温室産)が部屋らしさを演出してくれる船室で迎えた3日目の朝は、
時差も少し解消して来て、朝食後にフォーレンダムの散策を楽しみました。
ガイドブックには民族衣装の村と出ていましたが、朝早いせいか、人影はほとんどなく、
寒そうな様子の1羽のアオサギがヨットに止まっているのが印象的でした。
オランダではどこの港にもヨットがたくさん停泊していました。
 

   
アムステルダム中央駅 運河
ボートハウス 草浮台?
国立ゴッホ美術館 国立博物館
   

アムステルダム観光にバスで行きました。車窓に見るアムステルダムは赤レンガの建物と運河の街でした。
「外出するときは靴を磨いて下さい。汚い靴では道路が汚れます。」という冗談があるほど清潔だったこの街は、
ドラッグ愛好の若者が世界中から流入してきた1970年以降見る影もなく変貌したそうです。
移民に寛大で、売春、安楽死など自由と寛容の国のマイナス面といえるのでしょうか。
現在運河に浮かぶボートハウスは2500隻だそうですが、人が住むことで起きる‘垂れ流し’は、
週5回、水門を開けて90%の水を入れ替えることで清潔さを保っているそうです。
草を定植すると水入れ替え作業に支障が起きるので、草を植えた浮台?を設置しているのでしょうか。
この上で巣作りをしている鳥もみかけましたし、環境と生態系に配慮した構造物に見えました。

午前中、ゴッホ美術館でゴッホ作品とレンブラント生誕400年記念展「レンブラントとカラバッジョ」を観ました。
1年前の東京・国立近代美術館のゴッホ展に出品されていた作品の数々のお里帰りを確認したようでした。
記念展は二人の同じテーマの(主に神話や聖書を題材としたもの)作品を並べて展示してありました。
レンブラントの「預言者エレミア」にはやはり上野で出会った記憶があります。
記念展会場を出る時、外を見ると雨が降っているようでしたが、これは1999年に黒川紀章が設計した
別館(写真左側のガラスの建物)の水の流れの意匠だったようです。
ゴッホ美術館は撮影禁止でしたので、残念ながら画像でのレポートは出来ません。
右側の国立博物館には「400歳?私が?」と書かれたレンブラント記念展の大きな広告が下げられています。
オランダ人のユーモアには定評があるようですね。

運河沿いの店で、トマトクリームのスープとチーズとハムのパンケーキの昼食(写真を取り忘れましたが、
オランダ人好みのパンケーキは薄さも大きさもピザ位ありました。)の後、
ダイヤモンド研磨工場見学(工場というより観光用ショールームのようで、日本人スタッフが
かなりいましたが、我が3班には関心、購買意欲のある人はいませんでした。)、
そして国立博物館へレンブラント、フェルメールに会いに行きました。

 

 
 
 
「ゆっくりご鑑賞ください。」と言うにはボケ画像ですが、
フラッシュ禁止、混雑の中のことですから、どうぞご容赦ください。

レンブラントの光と影の表現は天才の技という言葉しか浮かんできません。
「夜警」というのは、ニスが黒変して夜のようにみえた所から18世紀につけられた通称だそうです。
アムステルダム国立博物館ではフェルメールのこの4作品に出会えます。
タイトルは左から‘The little street’‘The kitchen maid‘‘The love letter’
‘Women reading a letter’でした。「牛乳を注ぐ女」は日本だけのタイトルのようです。

市民社会が繁栄した17世紀のオランダが残した大きく幸せな遺産に出会えた至福の時でした。
 

 
エンクハイゼンに向かうバスの車窓から
エンクハイゼン
 
4時過ぎにアムステルダムを出て、船が待つエンクハイゼンへバスで向かいました。
水路が張り巡らされた車窓の田園風景はやはり目を和ませてくれるものでした。
それにしてもこの水位を保つ裏には相当に精巧な水路システムがあるのだろうと思われました。
水鳥たちも本当にゆったりと暮らしているように見えました。

5時過ぎにエンクハイゼンに到着。Y添乗員さんと希望者7名は、船に戻らず、町散策に出掛けました。
この町はVOC時代が終ると単なる漁村となり、北海の入口に大堤防が出来ると外洋への出口という
地の利をなくし、経済が壊滅したそうですが、「野外博物館」と呼ばれる古い街並みが観光の目玉となって、
近年また注目を浴びるようになっているそうです。
ニシン景気の時代を彷彿させるように、3匹の鰊が町の紋章となっていました。
現在は下の左の写真の旗の向こう側に写っている細長い網でウナギ漁を行なっているようです。

オランダの町を歩いていると運河や水路にほとんど保護柵が取り付けられていないのに気が付きます。
この国では水に落ちても助かるように子供たちに徹底的な着衣水泳教育がなされるのだそうです。
それが景観を美しく保つことにもつながっているのですね。

ぎりぎりにはなったのですが、6時半出港に間に合うよう10分程前に港へ着くと、
何とセレナーデ号は岸を離れて港を出て行っているではありませんか。
とても驚きましたが、船の停泊場所の関係で移動せざるを得なかったという事情があったようです。
乗員数を確認するために、外に出る時は部屋の鍵をフロントで下船カードに替えるのが船のルールで、
これによって積み残しはされない仕組になっています。
戻ってきた船に8名無事に乗船し、ウェルカムドリンクで迎えていただき、ほっとした一幕でした。
(船の駐在スタッフTさんの顔には、もう少し余裕を持って帰船してほしいと書いてありました・・・。)
 

 
 
アイセル湖を横断してユルクへ向かいましたが、中2階にあるレストランでの夕食時には、
時々窓に当る程波が高く、船がかなり揺れました。少し船酔いをされた方もいたようです。
夕食メニューはマグロのカルパッチョ、人参のスープ(生のオレンジと生姜入りで結構美味でした。)、
マスのグリル又はカモのインドネシア風蜂蜜ソース、マンゴパフェという内容でした。

食後は展望ラウンジで「オランダ民謡の夕べ」というアコーデオンの生演奏を楽しみました。
8時ごろ入港したユルクの町で乗船してきた陽気なミュージシャン達のようでした。
 

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