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Apr 11 2006
Hellevoetsluis〜Dordrecht〜Kinderdijk〜Dordrecht〜Rotterdam
 
   ヘルフットスライス             -IK-   
   
   
 昨夜10時半頃に入港したヘルフットスライスの町を朝食後、1時間ほど散歩しました。
ここはキンデルダイクで造船した咸臨丸を艤装した旧軍港で、幕末の日本と深いゆかりを持った港町です。

長い町の名前は、「分解すると、おぼえやすい。地獄(ヘル)への第一歩(フート)の水門(スライス)
ということになる。」「北海は名だたる荒海で、地獄の軍卒の鉾のような波がしらが、
船を待っているのである。地獄への第一歩というのは、咸臨丸の生涯を考えてもそうだった。」
(司馬遼太郎「オランダ紀行」)

造船工場の跡はほとんどは集合住宅として使われている様子でしたが、町が六稜の星形をしている所に
かって軍港であった記憶をとどめているようでした。
とうもろこし挽きの風車がオランダらしい風情を見せている整然とした静かな印象の港町でした。
   
   

 10時に出港、ドルドレヒトへ向けて3時間余りのクルージングの間、オランダ菓子‘ストループ・ワッフル’と玄米茶、
ブイヨン・スープ(何故?というサービスでしたが、なかなかおいしいスープでした。
オランダのティータイムの定番なのかもしれません。)をいただきながら、
食堂支配人ラスロさんのナプキン折り方教室に参加しました。
5種類ほど教わった筈ですが、今や再現は不可能かもしれません。
何しろ、家には布ナプキンすら存在しませんし・・・・。(日本は紙の国だからというのは言い訳!?)

船の中でバイキング形式の昼食をとってしばらくして、ドルドレヒトへ入港し、
バスで世界遺産キンデルダイクの風車見物に出かけました。

 

   
   
 大洪水に見舞われた1421年、水が引いた堤防にゆりかごが残されていたことから、
‘子供の堤防’と名付けられたキンデルダイクには、18世紀に造られた19基の排水用風車が残されています。
イランで生まれ、十字軍によってヨーロッパに伝えられたといわれる風車がオランダに伝来したのは10世紀で、
当初は製粉用だった風車を排水用に利用するようになったのは15世紀のことだと言われています。
この排水用風車が湿地帯を農地や牧草地に変え、オランダを農業大国にする大きな原動力となったのだそうです。
村の通信手段でもあった風車は、第2次世界大戦の時には無線通信並みの速さで、
ドイツ軍の動向を連合軍側へ伝えたそうです。
牧歌的で美しいとしか見えないキンデルダイクですが、オランダ人が国土を作り上げていった歴史と、
世界の歴史をしっかりと見続けてきたのですね。

小船に乗って運河からの風車景色を楽しんだり、内部見学が出来る風車に入って、風車の仕組や
台所、寝室などの居住設備を見て回りました。
   
 
 低位貯水路から高位貯水区へ水を送り込むシステムを図解してありました。
それ程広くない風車内部で、大きな揚水タービンの全容を写すことは不可能ですから、ほんの一部分ですが、
力強い働き者という感じはお伝えできるでしょうか。風車羽根の全長は28m余りだそうです。
   

 
   ドルドレヒト            -IK- 
   
   

 4時過ぎにドルドレヒトに戻り、ロッテルダムへの出港予定の6時半まで時間がありましたので、
TSさんと私達夫婦3人でドルドレヒトの街歩きに出かけました。

ライン川支流のワール川とマース川が合流する地点に11世紀初頭に建設されたドルドレヒトは
オランダ最古の町と言われ、13〜17世紀のオランダ貿易の中心地であった中世の栄華が感じられる古い街でした。
ゴッホの年表を見ると20代半ばのゴッホが、この街の書店で働いていたこともあるそうです。


 はね橋右側の写真のように、オランダの町では傾いている建物にしばしば出会いますが、
これは税金が間口のサイズで決まったために縦に細長い建物が多く、
狭くて急な内部階段が荷物運びには不向きなため、荷物を道路から吊り上げて運んだそうで、
その荷物が建物にぶつからないようにつけた傾斜であるとか、地盤沈下で傾いたものとか言われています。


 聖母教会や市庁舎の外観をみながら、1時間ほどの散策を楽しみました。
この時少し小雨が落ちてきましたが、 傘を取り出すほどではありませんでした。

 

 
    
 夕食のメイン料理のチョイス・メニューには、魚かお肉の他に大体いつもパスタ料理が入っていたのですが、
この日初めて、ムール貝に惹かれてパスタ料理を選んでみました。
肉じゃがとご飯というメニューもありましたが、この日の正解は白身魚のフライだったかも知れません。
今回のツアーはいつもグループ毎に食事をしましたが、私達3班にはアルコール好きな人が少なく、
ビールやグラス・ワインを個々に頼むことが多く、ワインリストからボトルを選んでシェアしたのは
S夫妻と同席になった2回だけでした。
  
  
   

 夕食中に入港したロッテルダムから乗り込んできた舞踊団によるオランダ民族舞踊ショーが
展望ラウンジで開かれました。早目に行って、良い席を確保したと思っていたのですが、
正面がどちらになるかの判断を誤り、側面から鑑賞することになってしまいました。

上は港町がある北部の低地地方、下は南部の農村地帯ブラバント地方の民族衣装です。
衣裳の華やかさの違いが、オランダが海洋によって繁栄した国であることを思い出させてくれます。
今回はオランダ南部へは行きませんでしたが、「美しい低地地方とはちがい、粘土質的な茶色っぽさがめだち、
いうなれば荒々しい。これが、「馬鈴薯を食べる人びと」が住んでいた大地であり、
ゴッホが育ち、生涯愛していたいわゆる‘ブラバント的風景’である。」と司馬さんは書いています。

海のクルーズには様々なお楽しみメニューが用意されていることは知っていましたが、
リバークルーズにもいろんな催しがあって、退屈をする暇がないばかりか、
持ってきた本をゆっくり読むゆとりもないというのは予想外のことでした。
無論、部屋でゆっくり過ごすことも出来たのですが、ついつい何でもみておこうという好奇心、貧乏性には
負けてしまいます。今度またクルーズする機会に恵まれたら、本は不要かもしれないと思いました。

 

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