トリポリから西に向かい、1時間余りでサブラタに到着しました。
サブラタもレプティス・マグナ同様の歴史を持っていて、フェニキア、カルタゴ、ヌミディア、ローマ、ヴァンダル、
ビザンチンと支配者が変わった後、7世紀にアラブの占領され、廃墟となった街です。
オエア(現トリポリ)、レプティス・マグナ、サブラタを擁するトリポリスは、今もリビアの穀倉地帯で、
全人口の70%がこの地域に居住しているそうです。
サブラタでも博物館の休館というアンラッキーにぶつかってしまいましたが(愛知博のリビア館に、
この博物館の彫刻が出品されているそうです。)遺跡内のフォーラム、神殿、バシリカ、ローマ浴場などを
ゆっくり見て回りましたので、はるか遠方に見えるイシス神殿までの徒歩見学は多数決の結果不成立となり、
保存、修復のかなり良い円形劇場が最後の見学となりました。
金、宝石、象牙などの交易港として栄えたローマ期に作られた北アフリカ最大といわれる円形劇場は
3階建て楽屋の赤みがかった大理石の列柱が壮観でした。
座席の最高部から広い遺跡を一望すると、地中海から古代と同じ涼しい海風が渡ってくるようですが、
実は修復技術の悪い時代の性急な修復によって、塩害による遺跡の傷みが進んでいるのも事実だそうです。
(例えば、鉄を使う時は鉛で隔離するという古代人の知恵を持たず、大理石の補強に直接
鉄のかすがいを使った為の酸化、膨張現象などがギリシア遺跡にも見られるそうです。)
アレクサンドリアの遺跡で見かけたヤツガシラに(英語名はHoopoe、リビアではピョンピョン飛ぶので
ホッポーと呼ぶそうです。)また出会えました。冠羽を拡げた姿は見られませんでしたが、
随分ユニークな姿をした鳥だと思いました。日本でもたまに見られるようですね。
遺跡の隣のレストランで昼食後、売店で手持ちのリビア・ディナールを使いきって、一路チュニジアへ向かいました。
右端のラテン系セキュリティのハッタンさんとは国境でお別れ、ガイドとドライバーの両アブドゥールさんは
ジェルバ島のホテルまで送って来てくれました。一週間を一緒に過ごしたガイドのアブドゥールさんの
「出会いがあれば別れの時が来るのは分かっているけれど・・・」という挨拶にはみんなでしんみりしてしまいました。
都市部で麻薬や売春が増えたこと、収拾がつかないゴミ問題などで、カダフィ大佐の政策は60%位の評価だと、
今のリビアの国情などを率直に話してくれた誠実なガイドは印象深いものでした。
出身地のガダミスの伝統に従って、「結婚しても母親が第一」と言ってガールフレンドから振られた?彼に、
よい相手が見つかればいいのですが!
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