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Apr 23 2005
Kairouan〜Tunis
 
 

カイラワン(=ケロアン)はアラビア半島から侵入したウマイヤ朝のウクバ・ブン・ナーフィ率いるイスラム軍が
ビザンティン軍を破って、670年頃マグレブの地に初めて築いた軍事基地の街です。
街名のカイラワンは隊商、キャラバンという意味で、ラクダによるキャラバンは、
鉄道、自動車、飛行機とも比肩しうる経済革命だったと言われています。
イスラムの総督府が置かれたカイラワンの将軍が、ベルベル人を率いてイベリア半島を
征服することが出来たのも、軍隊、物資を運んでくれるラクダがいてこそのことであったようです。
このカイラワンを中心としたマグレブ地域から、シチリアやスペインへと伝播していったイスラム文明は、
ギリシア・ローマ文明を西欧文明に橋渡しするという重要な役割を果たしたのだそうです。

街が発展したアグラブ朝の時代の9世紀に高度な技術で作られたアグラビットの貯水池を見学しました。
32km離れた山に水源を持つこの貯水池には6万立方メートルの飲料水を溜めることができたそうですが、
11世紀にベドウィン人によってパイプを破壊されてからは使用されなくなり、現在は雨水が溜まっているだけでした。

1988年に世界遺産に登録されたイスラムの古都カイラワンは、現在はメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ
4番目のイスラム聖地とされ、ここを7回訪れることがメッカへ1回巡礼することに相当するといわれています。

   

 
 
イスラム教開祖ムハンマドの同志アブ・ザマエル・ベラウィが眠るシディ・サバブ廟です。
色鮮やかなアラベスク文様のタイルで埋め尽くされた廟は、マグレブで最も美しい霊廟と言われています。

ムハンマド生誕の特別な聖なる日には、無料で割礼をしてもらえるということで、礼服姿の男の子が
家族に連れられて続々と入って来ていました。割礼は現在は義務ではないそうですが、4〜5才頃に行なうことが
多いそうです。親類からお祝い金をいただいて、おもちゃを買うのが後のお楽しみとか。
ここでも例の高揚の声、ザカリートが聞かれました。
民族衣装を着た楽隊が何組か、お祭が始まるのを待っている様子でした。
 

   
 

チュニジア最古のグランド・モスクは街の創始者ウクバが672年に建設し、シディ・ウクバ・モスクと呼ばれています。
創建当時はミナレットはなく、監視塔を持つ要塞兼用のモスクだったようですが、アグラブ朝時代の836年に
今見られるT字型モスクに再建されたそうです。大理石で被われた中庭は中央に向かって緩やかに傾斜していて、
写真のように中央の穴で雨水を地下に溜める設備を持っていました。
ここにはイスラム世界最初のミンバル(説教壇)やマクスーラ(支配者用礼拝室)があるそうです。
回廊や礼拝室内部の石柱は100km余り離れたスベイトラのスフェチュラ遺跡から持ってきたものだそうで、
まちまちの長さをアーチや土台で調節していました。
17身廊に分かれている礼拝室は男女別に3000人を収容することが出来るそうです。

 

   
 
9時半頃にカイラワンを出発して、120km北のチュニスへ向かいました。
雪が残るアトラス山脈の裾野に広がるオリーブやぶどう畑の田園風景はまるでヨーロッパのようでしたが、
遊牧中のベドウィン達が砂漠の国にいることを思い出させてくれる車窓風景でした。
今の遊牧民は定住村を持っていて、男の人達だけが春から夏にかけて砂漠から北の地帯へやって来て、
放牧期間、羊の数で決めた価格を牧草畑の所有者に支払って遊牧をしているそうです。
   
 
2時間半ほどで着いたチュニジアの首都チュニスの新市街のメインストリートは、
あちこちに建つミナレットがなければ、パリにいるのかと錯覚するような街並みでした。
ランチのレストランも往年のハリウッド・スターの写真を飾ってある‘Oscars’というホテルの中にあり、
食べ物以外はすっかり欧米調でした。スカーフを被っている女性もほとんど見かけなくなりました。

 

 

   
 

昼食後、世界一のモザイクのコレクションを誇るバルドー美術館へ行きました。
19世紀にトルコのロイヤル・パレスだったという建物に先史、ギリシア、カルタゴ、ローマ、ビザンチン、アラブと
時代別に分けた膨大な数のモザイクが展示されていました。
中でもローマ時代のモザイクは1片が5mm角だそうで、緻密な表現はまるで絵画そのもののようでした。
写真の個人の邸宅から持って来られたという著書‘アイネイス’を膝に乗せたベルギリウスの肖像が、
大理石のグラデーションで作られたモザイク画なのですから驚きです。
狩猟、農業、漁業など日常生活をモチーフにしたもの、神話物、戦闘などの歴史を伝える物などをガイドを
受けながら見て回りました。その後のフリータイムにミュージアム・ショップで3月のツアー説明会の担当者に、
偶然出会ってびっくりしました。彼はチュニジアだけのツアーの添乗に来ているとのことでした。

 

 

   
17世紀のトルコ風ミナレット 左の階段はグランド・モスクの入口
 

ホテルへ入る前に旧市街のスークへ寄りました。メディナの中心に立つグランド・モスクは732年創立、
イスラム界最古のマドラサ(高等教育施設)が併設されています。
スークの中は、衣料品、金属製品、日用雑貨など商品別に店が連なり、全く迷路のようでした。
同じチュニスでも旧市街は全くアラブ国そのものです。

ジェルバ島から一緒だったガイドのロトフィさんは、このメディナ出身だそうですが、
今は郊外に住んでいるそうで、ガイド出張が終わり、ホテルまで車で出迎えの奥さんと坊やと、
数日振りのお家へうれしそうに帰っていきました。

 

 

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