カイラワン(=ケロアン)はアラビア半島から侵入したウマイヤ朝のウクバ・ブン・ナーフィ率いるイスラム軍が
ビザンティン軍を破って、670年頃マグレブの地に初めて築いた軍事基地の街です。
街名のカイラワンは隊商、キャラバンという意味で、ラクダによるキャラバンは、
鉄道、自動車、飛行機とも比肩しうる経済革命だったと言われています。
イスラムの総督府が置かれたカイラワンの将軍が、ベルベル人を率いてイベリア半島を
征服することが出来たのも、軍隊、物資を運んでくれるラクダがいてこそのことであったようです。
このカイラワンを中心としたマグレブ地域から、シチリアやスペインへと伝播していったイスラム文明は、
ギリシア・ローマ文明を西欧文明に橋渡しするという重要な役割を果たしたのだそうです。
街が発展したアグラブ朝の時代の9世紀に高度な技術で作られたアグラビットの貯水池を見学しました。
32km離れた山に水源を持つこの貯水池には6万立方メートルの飲料水を溜めることができたそうですが、
11世紀にベドウィン人によってパイプを破壊されてからは使用されなくなり、現在は雨水が溜まっているだけでした。
1988年に世界遺産に登録されたイスラムの古都カイラワンは、現在はメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ
4番目のイスラム聖地とされ、ここを7回訪れることがメッカへ1回巡礼することに相当するといわれています。
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