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Apr 14 2005
Tubrug〜Cyrene〜Al Bayda 
 
 
トゥブルグは人口13万5千人、第2次世界大戦の激戦地のひとつであったため、戦没者墓地を訪れる
ヨーロッパからのツアー客の多い町だそうです。朝、食事に行く為に乗ったエレベーターで、
「おはようございます。」と日本語でおじいさんから挨拶をされました。昔、日本語を勉強したけれど、
ほとんど忘れてしまったというアイルランド人でした。ヨーロッパ各国からのジョイントのようなツアーの一団が
レストランで食事をしていました。朝食後ホテルの周りを散歩、8時半に出発してキュレーネへ向かいました。
 
 

リビアは東部のキレナイカ、西部のトリポタニア、南部の砂漠地帯フェザーンと大きく三つの地方に分けられ、
人口の大半が地中海沿岸の平野部に住んでいるそうです。
トゥブルグを出て、砂漠の中にたまに現われる検問所を通り抜けながら、地中海沿いに西へ進むと、
緑の山(Al Jabal Al Akhdal)と呼ばれるキレナイカ(Cyreneに由来)地方の緑豊かな丘陵地帯が広がってきます。
イチジク、レモン、オレンジ、リンゴ、スイカなど果物の豊かな産地といわれるこの辺りは、
ここがアフリカであることを忘れてしまうような風景でした。

1時過ぎに台地の石灰岩盤を利用して作った洞窟レストラン‘CAVE’に到着。リビアは禁酒国ですから、
数名はノン・アルコール・ビールをお伴にしてのランチでした。レストランの周りには、リンゴの花や
ケシ、アザミ、ボリジ、知らない小花が沢山咲いていて、わくわくしてしまいましたが、
名前の同定などという野暮はアフリカには向きませんので(?)そっと咲かせておくことに致しましょう。

 

   
ゼウス神殿 フォーラム
ギリシャ神殿を遠望 イルカに守られたニケ像
ローマ時代の貯蔵庫跡 アポロンの泉
アポロン神殿 アポロン祭壇
 

紀元前630年ごろ、エーゲ海のティーラ島(現サントリーニ島)の市民200人がアポロンの神託を受けて移住し、
築いた町がこのキュレーネです。リーダーのバットスが初代王となった町は、前600年ごろには人口2万人を
超す大都市になったそうですが、その後エジプト、ローマの支配を経て、地震や津波による被害があったり、
アラブの侵入・破壊を受け、7世紀には砂に埋没してしまったそうです。
18世紀初頭に発見されたこの遺跡のアポロンの泉は、2600年涸れることなく湧き続けているそうですが、
水源についてはいまだ解明されていないそうです。きっと神のみぞ知る大地の技なのでしょう。

英語で話し掛けてきた遠足の女子高生達は、日本に興味津々の様子でした。
スカーフはかぶっていたり、いなかったりで自由なようです。Eメール・アドレスがあれば
写真を送ろうと思ったのですが、高校生にはまだPCは普及していないようでした。

 

   
 

夕方6時にアルバイダのホテルに到着しました。いよいよ‘シャワーのみ’ホテルの初体験です。
しかもお湯は3分しか出ません、と言われ、どうなることかと思ったのですが、
二人が汗を流すには事欠かない量がありましたし、添乗員Hさんの事前TELでお勧めのビーチサンダルが
とても役に立ち、清潔でないバスタブより余程我慢が出来ると思いました。

大理石のロビーは立派ですが、(日本と違って、大理石が安いから使っているというのがYSさん説です。)
レストランとの境はカーテンだけでした。でもそのお陰で結婚式カップルが入ってきた時、食事中にもかかわらず、
ロビーに飛び出して写真をとらせてもらうことが出来ました。おめでたさに華を添えたと思って
もらえたら良いのですが・・・・?後方の女性が高い声を上げながら、飴を撒いていました。

夕食後、備品の不具合で部屋を変えてもらったTOさんのお部屋がスィートルームということで、
見学がてらお茶でもいかがですか、というお誘いを受けました。リビングルーム、バスタブ付きで、
このホテルでは最上級の部屋のようでしたが、羨ましく思う程でなかったのは幸い?でした。
TSさんご持参のCDプレイヤーで(小型ながらステレオ・スピーカー!)カンツォーネを聴きながら、
ようやく旅にも慣れて来て、リラックスした気分で1時間程のティータイムを過ごさせていただきました。

 

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