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Apr 15 2005

Al Bayda〜Tolmeitha(Ptolemais)〜Benghagi〜Tripoli  

 
 
今日はベンガジからトリポリまで飛行機移動の日です。朝9時にバスでホテルを出発しました。

最初にバス・ストップをしたのは、ワディ・アレコフ(涸川)にかかる吊り橋(1980年完成)で、
そこから遠くの山の中腹に見える抵抗運動の拠点となった洞窟を遠望しました。この洞窟の地下連絡通路は、
最大10kmも続いているそうです。イタリアによるリビア支配は1911年に始まり、1930年頃には
西部トリポリタニア地方の支配がほぼ終わったそうですが、その時キレナイカ地方の地形を利用して、
抵抗運動をしたのがベンガジ出身のオマル・ムフタール率いるゲリラ軍だったそうです。
1931年に捕らえられ、民衆の目前で絞首刑にされたムフタールの活動は、
「砂漠のライオン(原題:オマル・ムフタール)」というタイトルで1981年に映画化されています。

その後、そこから程近い蜂蜜の産地アルバイヤーダに立ち寄ったので、割れると困るけど、と言いながら
小さな瓶を一つ買いました。女王バチが作るブラック・ハニーは予約でないと買えないそうです。
写真の左端はドライバーのアレクさん、その隣がセキュリティのハッタンさんです。
ハッタンさんは人畜無害な?私達に安心したのか、バスの後部席で昼寝をしたり、
寝坊をしてしまって私達の観光場所に後から現われたり、ラテンの血が濃そうな本物の!警察官でした。
 

   
   
時間に余裕があるということで、トルメイダ(プトレマイオスはギリシア名)の遺跡に寄りました。
今回のツアーではいろんな所でお金を払った覚えの無いミント・ティを飲みましたが、
H添乗員さんが後始末をして下さっていたのかもしれません。
ミント・ティーはグリーン・ティにミントの葉とお砂糖を加えた甘いお茶で、
アフリカの乾燥した風土に合った飲み物なのだろうと思います。
出発前は何処へ行っても甘いミント・ティーが出ると言う情報にちょっと心配しましたが、
慣れて来るとおいしさを感じ始めました。
   
    付属博物館展示のモザイク                      成田修復の様子          −TO−
遺跡入口 コルネード・パレス
貯水槽 オデオン
ヴィラの跡 ビザンチン時代の要塞を遠望
 
午前中、付属博物館で遺跡の出土品を見ました。修復をしていたのはポーランドの実習学生だそうです。
昼食後、考古学専門家のアドブ・サラームさんのガイドで遺跡内を見学しました。
コンスタンティヌスの門、紀元前の持主は不明のハドリアヌス帝が再建したというコルネード・パレス(柱の宮殿)、
25km先の水路から水が運ばれていたという貯水槽、ローマ時代にはプールとして使われていたギリシア時代の
オデオン(音楽堂)など汗ばむ陽気の中、2時間近く歩いて説明を受けました。
これでまだ10%程度しか発掘が進んでいないというのですから、これから訪れる人は大変です。
足は鍛えなくてはいけないし、写真の整理はもっともっと困難をきわめるでしょうし・・・。
でも、この広い麦畑の下にお宝が限りなく埋もれていると思うと心が躍るようですね!
   

   
         トルメイダの海岸                         車窓より              −TO−
 

遺跡近くの海岸を少し散歩した後、3時過ぎにトルメイダを後にして、ベンガジへ向かいました。
ベンガジは人口100万人でリビア第2の都市だそうです。
リビアでは飛行機のオーバーブッキングは茶飯事、乗客が少なければ飛ばない、政府高官優先など
余り良い情報がなかったのでちょっと心配しましたが、予定より数分早く、無事離陸しました。
(国内線が時間どおりに発着することはまれだというガイドブックは正しかった訳です!)
「女性だけ別室検査があります」と空港到着早々に言われたのも心配の種でしたが、
これも簡単な手荷物チェックだけで済みました。

シルテ湾をひとっ飛び、1時間余りのフライトで8時半過ぎにトリポリに着きました。
そして9時半にホテルにチェックインしたのですが、予約ミスで夕食の支度が出来ておらず、
夕食開始は10時半ということで半数はパス、しっかり食べに行ったのは6名ということでした。
長い移動と暑さで疲れた私はツアー最年少ながら、夕食パスの組に入ってしまいました。  

 

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