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Apr 17 2005
Gadamis
 
 

早朝4時半過ぎのアザ−ンを夢うつつに聞きながら、ガダミスに滞在という楽しみな1日が始まりました。
9時にホテルを歩いて出発し、旧市街へ向かいました。
お墓の前を通りましたが、イスラムではメッカの方向にむけて土葬で埋葬するのだそうです。
アラブ界では、歓迎の意を表すること、埋葬、女性の結婚の3つが急いで良いことだと言われています。
後のことはインシャッラー、神のみぞ知る、でしょうか。

 

 
 

先ず博物館でガダミスの歴史や、伝統工芸品、生活用具、旧市街の建築構造などの展示物を
見学しました。ガイドはモハメッド・アリさんです。(同じ名前が多そうですね。)
原色を使った独特の装飾の中に、どの民族にも共通する生活に根ざした知恵の結晶を見ることが出来ました。

ヘロドトスがギリシア人の衣裳のルーツはリビアにあると書き、日本では江戸中期に新井白石(1657−1725)が、
「アフリカとは、中国で以前からいわれている利未亜のことだ」「利未亜は700余州、その南端は
カポ・デ・ポネスペランサ、即ち喜望峰」「700余州の実情はほとんどわからない。
たぶん西洋人が行きにくいところのせいだろう」と著書「西洋紀聞」に書いているそうです。
博物館で展示を見ながら、文化伝播の遠く、長い歴史にも興味を誘われました。

 

   
   
 

ガダミスはアフリカ内陸部のチャド湖方面とトリポリを結ぶ交易ルートの中継地点として紀元前から繁栄し、
‘サハラの真珠’と呼ばれるオアシス都市です。
1986年に世界遺産に登録された旧市街は、オアシスの水が次第に枯渇し、
1983年に新市街が作られてからは住民の移住が進み、今では全く人の住まない町となっています。

イスラムの教えを遵守して、女性は人の目に触れないよう2階のテラスを使って移動し、
男性だけが地上の通路を歩く構造の旧市街のモスクやコーラン学校、広場、住居などを見学して歩きました。
時に懐中電灯を取り出すような暗い通路のある迷路のような町を歩くと方向音痴が増幅するようでした。
ナツメヤシとの素晴らしいコンビネーションを見せる、この日干し煉瓦に白い石灰を塗った家々が、
修復技術を持つ職人がいないために保存が難しい状況にあるというのは本当に残念なことだと思われました。

旧市街の中の伝統的な装飾のカフェでミント・ティでひと休みをしたり、住居をレストランにした部屋で
ラクダのクスクスのランチをいただきました。
その後ホテルに戻って、1時間ほどのシエスタタイムがありました。

 

   
 

一休みした後は、4WDに分乗して、オフロードを40分ばかり走って、フライアイ湖という塩湖を見に行きました。
ハエの目と呼ぶ湖はそれぞれ水深35mと70mまでフランス人ダイバーによって確認されているそうです。
地元の若者達が元気良く飛び込んで、格好の水遊び場所となっているようでした。
アルジェリアのワディ(涸れ川)からの氾濫で、車が不通になる程の大雨が降ることもあるそうですが、
今は砂漠の中に忽然と現われた不思議な湖という感じでした。水辺でキセキレイが餌を食べていました。
左の写真は地中から浮かび上がった重金属が風化したという黒っぽい土が描いた模様が、
また不思議に感じられた一帯を写したものです。

 

   
   
 
 

1度ホテルに戻った後、再び4WDに乗り、砂丘の夕日を見に行きました。
トゥアレグ族の小屋カフェ?で、ミント・ティを飲んだり、砂の中で焼いたナンのようなパンを食べた後、
(そうそう、1ディナール払って、ラクダと記念撮影をしたのでした!)
夕日のビューーポイントまで砂丘を登りました。突然起こったミニ砂嵐に驚いたりしながら、
アルジェリアの方へ落ちていく太陽をずーっと眺め続けました。
絵に描いたような夕焼けが見られなかったのは残念ですが、写真を見ると懐かしく思い出される光景のひとつです。

 

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