[ホーム] [目次][P11

 
23 Feb 2007
Granada〜Alpujarras:Lanjaron-Capileira-Pampaneira:〜Granada
 
アルプハラの村へ向う車窓風景
 

ランハロン

カピレイラの村を遠望
野生のクリスマスローズ
 

9時にホテルを出発して、バスでシエラ・ネバダの麓のアルプハラ地方の村を訪ねました。
ここはナスル朝最後の王ボアブディルがアルハンブラを去った後、2年間隠棲生活を送った地です。
(その後、再びモロッコのフェズに追われて、そこで生涯を閉じてしまいます。)
ボアブディル一行が辿った荒涼とした丘陵には、「涙の丘」とか「モーロ人の最後のため息」と
今でも呼び習わされている場所があるそうです。
「泣くがいい、男として守り切れなかったからには、女のように泣くがいい。」と母アイシャから叱責され、
「もしも、わしがボアブディルであったらなら、守るべき城ひとつない敗残の身でどうして生きながらえよう。
いっそ、このアルハンブラを死に場所として選んだことだろうよ。」とカルロス5世から
嘲笑されたと伝えられるボアブディルの評価は、
誠実であったとか、愚か者であったとか、様々に分かれているようです。

ミネラル・ウォーターで有名なランハロンの健康センターのような所で、
持参した空のペットボトルに水を入れてもらってから、カピレイラの村へ向いました。
加工していないミネラル・ウォーターはガス入りのような味で、好みではないという人が多かったようです。

 

 
カピレイラの村の中
   
シエラ・ネバダの南西斜面に位置する標高1432mのカピレイラに11時半頃到着し、
40分程のフリータイムが取られました。
小さな村のメインストリートにはお土産物屋さんが並び、観光の村という印象を受けました。
ずらりとぶら下げられたハモン・セラーノは壮観でした。
少し住宅地の方に入ると壁を石灰で塗りなおしていたり、窓辺で編物をするおばあさんがいたり、
普通の生活も垣間見ることが出来ました。

15世紀末にこの地で叛乱を起したムデハル達(キリスト政権下のイスラム教徒)は、逆に制圧されてしまい、
キリスト教に改宗するか、国外追放かを迫られることになったそうですが、
その時は表向きの信仰を捨て、モリスコとしてスペインで生活を続けることを選んだ人が多かったようです。
しかし現在のアルプハラの住民は当時のモリスコの子孫ではなく、他の地方からの移住者だと言われています。
 

 
 
パンパネイラまでバスで下りて、小さなレストランで、ガスパッチョや美味しい自家製のソーセージを賞味しました。
この地方に豚肉料理が多いのは、豚肉を食べないイスラム教徒の改宗を証明する踏絵のようなものだったとか、
キリスト教徒の見せびらかしだったとか言われ、食べ物にも深く複雑な歴史を感じたひと時でした。
 

 
パンパネイラの村
 

傾斜地に連なる白い家並みは、今回の旅で数え切れない程目にしましたが、
今なお、イスラムとキリスト教の共存が見られるアンダルシア地方という土地柄には興味がつきませんでした。

 

 

スペインに唯一残る行商人宿
 
4時半近くにホテルへ戻り、7時40分の夜のアルハンブラ宮殿見学までの自由時間は街へ下りて、
お土産ショッピング・タイムとしました。

13世紀に建てられた行商人宿(イスラムの穀物取引所と書いてあるガイドブックもあります。)や
市庁舎のある広場を通ってデパートへ行きましたが、ここでひとつ失敗をしてしまいました。
スペインでクレジット・カードを使う時は身分証明書の呈示が必要らしいのですが、
パスポートをホテルの部屋のセーフティ・ボックスに入れて来てしまい、
結局、夫の運転免許証で通してもらいましたが、免税はパスポートなしではどうにもならず、
(売場のひとつでは、「字が読めない。」と笑いながらカード使用は認めてくれました。)
10%ほどらしいTAX返金額とタクシーでホテルまで往復する時間と労力とを秤にかけて、
今回はスペインへ納税する方を選ぶことにしました。
 

 
夜のアルハンブラ宮殿
 
夜のアルハンブラ宮殿へ出掛け、昼間とは違った魅力を見せる宮殿内を1時間程見学しました。
光と影のコントラストが一段と明確になって、幻想的な美しさでした。
 

 
 
ホテルでの最後の晩餐はセロリのクリームスープ、黒鯛のグリル、アルハンブラ風ケーキというメニューでした。
旅行社からの差し入れワインで乾杯をして、旅の名残りを惜しんだひと時でした。
 

目次][P11