[ホーム] [目次] [P3]

 
15 Feb 2007

Casablanca〜Rabat〜Meknes〜Fes

 
   ハッサン2世モスク
 

昨夜、ホテルのロビーで「明日の朝の出発時間に変更があります。」と添乗員のMさんからアナウンスされた時は、
フライト疲れを考慮して遅くなると期待したのですが、30分早く、8時半にホテル出発ということになりました。
いずれにしろ体内時計は当分狂ったままですから、どちらでもいいことですけれど・・・・・。

ホテル前からバスに乗り、9時前に大西洋に面して建つハッサン2世モスクに到着しました。
1984年から86年にかけてモロッコを襲った記録的な旱魃によって悪化した経済を活性化しようと、
前国王ハッサン2世(在位1961−1999年)が全国キャンペーンを張って寄付を募り、
出来上がったのが、このカサブランカのハッサン2世モスクで、
22億ドルもの寄付金を集めたこのキャンペーンを「スマートなアイディア」と
ガイドのアラミさんが表現していた所に、国民の信頼を受けていた国王であったことが覗われました。
因みに建設費の3分の1を政府から出資し、残った寄付金は福祉政策に使われたそうです。

6年の歳月をかけて1993年に完成したモロッコ最大のハッサン2世モスクは9haの敷地を持ち、
世界でもサウジアラビアのメッカ、メディナに次ぐ3番目の規模で、
モスク内には2万5千人、広場を含めると22万人を収容したという記録が残っています。
世界一を誇る高さ200mの角型ミナレットや馬蹄型、多弁型アーチは北アフリカやスペインで好まれた
ムーア・スタイルと呼ばれるもので、設計にはフランス人も関わったそうです。
電動で昇降するシャンデリアや(唯一の外国製品でベネチアン・グラスを使っています。)
天井の開閉装置、音響、地下のハマム(浴場)など内部は現代のハイテクノロジーが駆使されています。

東京のモロッコ政府観光局に勤めたこともあるという民族衣装のジェラバを着たアラミさんの
熱弁ガイドは1時間半に及びました。
「あなた方は日本語ガイドでラッキーです。」と自画自賛のアラミさんでしたが、
確かに英語ガイドであったら、添乗員さんの通訳を介して2倍の時間を要する訳ですから、
ラッキーだったことには間違いはありません。
(但し、英語ガイドもアラミさんと同じ長さのガイドをしたとして、という計算になりますけれど・・・・。)
私はHPのためにかなり熱心にメモを取った訳ですが、時差ぼけ気味のツアー・メイトは、はてさて。

 
 

再びバスに乗り、ナツメヤシの街路樹が異国情緒を見せているカサブランカの街を走り、
市庁舎や裁判所、フランス領事館などのある新市街の中心のムハンマド5世広場で写真タイムを取りました。
赤い派手な衣裳を着ているのは名物の「水売り」ですが、今や水を売るより写真のチップが収入源のようです。
一緒には写真を撮らず、バスの中からこっそり狙ってしまいました。

カサブランカは紀元前10世紀にベルベル人がアンファと呼ばれる丘に住みついたのが起源と言われ、
フェニキア人やローマ人とも交易があったそうですが、7世紀のアラブ人によるイスラム化の動きの中、
4世紀の間イスラムへの改宗を拒んだ後、12世紀にアルモハッド朝の手に陥ちたそうです。
カサブランカという街名は18世紀のスルタンが小麦の輸出を許可した時にスペイン人が
カサ・ブランカ(白い家)と呼んだのが由来と言われています。
映画「カサブランカ」は全てセット撮影だそうですが、市内にはリックのカフェをモチーフとしたバーがあり、
トレンチ・コートを着たバーテンダーがサービスをしてくれるそうです。

 

 
ハッサンの塔ムハンマド5世霊廟の外観
ムハンマド5世霊廟警備の騎馬衛兵
 

カサブランカを後に人口220万人のモロッコの首都、ラバトへ行きました。
衛兵が守る広大な王宮や官庁、各国大使館が連なる「庭園都市」と呼ばれる町並みを車窓に見ながら、
ハッサンの塔、ムハンマド5世霊廟を訪れました。

ハッサンの塔はムワッヒド朝のヤーコブ・マンスールが1195年に建築に着手したものの死亡した為に、
未完のままで残されている高さ44mのミナレットです。モスクの列柱もそのまま残されています。
ムハンマド6世現国王の2番目の子供が間もなく生まれるということで、花火の用意がされている為、
近付くことが出来ないということでしたが、実際に女児が誕生したのは2週間後の28日だったようです。

中央にムハンマドの石棺が置かれている1968年に完成した5世霊廟の左右には、
ムーレイ・アブドゥラー王子とハッサン2世の石棺が安置されていました。
(モロッコの国王名はハッサンとムハンマドを繰り返すようです。)
きらびやかさと警備の衛兵達の数に目を引かれました。

 

 
 
イスラムの国では禁酒を厳しく守る国もありますが、観光に力を入れているモロッコでは規制がないようで、
自国ビール、ワインなどが沢山出回っていました。
大西洋に面したレストラン「BORJ EDDAR」でのランチ・メニューは魚のスープ、魚のグリル、プリンでした。
     
 

レストランから見た大西洋の景色と、近くに見えた12kmあるという11世紀のメディナ(旧市街)の城壁です。
ヨーロッパの芸術家達に人気があるという城壁の中も見所が多いようですが、今回は立ち寄りませんでした。
ブーレグレグ川に橋や港、リゾート施設を作る2012年完成予定のラバト・リゾート・プロジェクトが着々と進行し、
観光に力を入れて行こうとしているモロッコのようですが、
日本人観光客にとってモロッコは、リゾートよりも砂漠や古い街並みで充分であるという気がします。
(リゾートの為に片道27時間を使う気にはなれません・・・。)
ほとんど同じ面積、14kmしか離れていないスペインを訪れる観光客は年間5000万人なのに、
モロッコにはたった500万人とアラミさんのガイドにはぼやきが入っていました。

 
 

ラバトを出発して、リフ山脈とミドル・アトラス山脈にはさまれた内陸部の穀倉地帯をバスは進みました。
モロッコは小麦、オリーブ、ブドウ、オレンジなど輸出の3分の1を農産物が占める農業国ですが、
フランスから独立した時に国が買い取った土地を2010年まで無税にしたこと、
大きなダムを作って水を政府の農場専用にして小さな川を枯らしていることなど、
「政府がバカだから。」とアラミさんのぼやき?は続き、オレンジの輸入規制の日本批判まで波及していきました。

コルク樫が続くあたりではロバの荷車で作業している人達が土饅頭のようなものを台に並べて売っていましたが、
中味は何とトリュフなのだそうです。フランス支配の置き土産でしょうか・・・・。
物価の安いモロッコでも1kg10万円という高価さだそうです。

お手洗い休憩のお店でミント・ティーを飲みました。
モロッコでは紅茶ではなく中国産の緑茶を使うそうですが、甘さはどこの国のミント・ティーも変わりなく、
添えられた角砂糖を入れなくても充分すぎる甘さでした。きれいな銀のポットに入って100円程でした。

 

 
ムーレイ・イスマイル廟
 

メクネスに立ち寄り、ムーレイ・イスマイル廟を見学しました。
メクネスは9世紀にベルベル人によって建設され、現在の王朝アラウィー朝(1666年〜現在25代目)の
2代目のスルタン、ムーレイ・イスマイルの時代に最も栄えた世界遺産の古都です。
イスマイルは同時代に君臨したフランスのルイ14世に心酔し、ヴェルサイユ宮殿に匹敵する王宮、王都を
夢見ていたと言われていますが、55年この町を繁栄させたムーレイ・イスマイルが
1727年に亡くなった後、メクネスは衰退し、歴史の舞台はマラケシュやフェズへと移って行ったそうです。
イスマイルを偲んで、アラウィー王朝後継者達によって建立された廟の中の彼が眠る部屋には、
ルイ14世から贈られた時計が飾られていました。

 
マンスール門 44km続く城壁
エディム広場 アラミさんとM添乗員さんと共に
 

旧市街のほぼ真中にある王都の入口のマンスール門、正式名マンスール・エル・アルージュ門は、
「改宗者の勝利の門」という意味で、イスラム教に改宗したキリスト教徒の建築家エル・マンスールによって
設計されたことに因んで名付けられたもので、「北アフリカで最も美しい門」とモロッコ人自慢の門だそうです。
ムーレイ・イスマイルは完成を見ずに他界、息子のムーレイ・アブダラーによって1732年に完成したそうです。
その前のエディム広場では、大道芸を披露する人達の前にいくつもの人だかりが出来ていました。
アラミさんやMさんと記念撮影をしている後ろをねずみ男が?通リ過ぎています。

ここメクネスは美味しいワインの産地としても有名で、モロッコにいる間の食事の時は、
一つ覚えのようにメクネス・ワインと唱えていました。

 

 
 

6時半頃、今回のツアーの目玉のホテル、フェズのパレ・ジャメ・ホテルに到着しました。
部屋からフェズのメディナ(旧市街)が一望出来て、とても楽しみな2泊の滞在です。

7時45分にロビーに集合し、夕食前に今回のツアー仲間の簡単な自己紹介の時間が持たれました。
夫婦4組と1人参加の男性2名、女性7名(友人同士1組)で合計17名というメンバーです。
異色は?オーストラリア・ゴールドコースト在住のご夫婦の参加でしょうか、
リタイア後、日本の旅行社のツアーに現地合流で参加なさっているご様子です。

夕食メニューは海老とトマトのカルパッチョ、七面鳥(マスタードとエストラゴン風味)とK夫人のお誕生日ケーキの
お裾分けでした。モロッコで1・2を争うホテルのダイニング・ルームでの夕食はサービスも味も快いものでした。

 

[目次][P3]