パノラマの右端、下の写真の中央上部の4角い大きな建物が私達が泊まったパレ・ジャメ・ホテルです。
そこから斜め左下に見えている緑色の切妻屋根が連なっている建物がカラウィン・モスクで、
モスクの少し右手の土色の部分がタンネリ(なめし革工場)だと思われます。
フェズのメディナは東西2.2km、南北1.2kmの規模を持ち、「世界一の迷宮都市」と呼ばれています。
イスラム開祖のムハンマドの一族の子孫ムーレイ・イドリースが、バグダッドの王朝に反乱を企て失敗し、
西へ追われて、786年に辿り着いたのがモロッコで、知恵深く、勇敢であった彼が先住民のベルベル人から、
イスラムの指導者として認められ、モロッコ初のイスラム王朝イドリース朝を興し、彼の死後、
息子のイドリース2世が809年にフェズ川沿いの谷間に築いたモロッコ最古の王都がこのメディナです。
イドーリス2世によって857年に建立されたカラウィン・モスクにはマドラサ(高等教育施設)が併設され、
10世紀には大学の機能も持つようになり、カイロ大学と並ぶイスラム最古の大学と言われています。
モスクを中心に学問の街として発展したフェズは「アフリカのアテネ」と呼ばれ、近隣の北アフリカや
スペインのアンダルシア地方から多くのイスラム教徒が移住して来たそうです。
チュニジアのカイラワン出身の人達が作ったのがカラウィン・モスクを中心としたカラウィン地区で、
その東側タンネリの下を流れるフェズ川の東岸にアンダルシア出身の人達が作ったのがアンダルス地区です。
11世紀末のムラービト朝時代に両岸が統合され、市壁で囲まれた地区がフェズ・エル・バリ(旧メディナ)で、
13世紀マリーン王朝時代にその西側にフェズ・エル・ジュディド(新メディナ)が建設されています。
宗教と経済の中核である旧メディナと行政の中核である新メディナ、そしてフランス統治の時代に作られた新市街と
フェズの街は大きく3つの地区で成り立っています。
1981年に世界遺産に登録されたフェズの旧市街は最盛期の14世紀には人口10万人を擁していたそうですが、
現在は4万人余り、ぎっしりと立ち並ぶ2800の建物の中の半分の修復を終えた所だそうです。
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