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18 Feb 2007
Ceuta〜Tanger〜Ceuta
 
ホテルの部屋から対岸のジブラルタルのターリク山を望む
 

モロッコにはジブラルタル海峡に面するセウタとアルジェリアに程近いメリジャという2つのスペイン領がありますが、
476年に西ローマ帝国が滅亡した後、首都をトレドに置いてスペインを支配していた西ゴート族を
イスラムのウマイヤ朝が滅ぼした時、その進出の拠点となったのが今回訪れたセウタです。
セウタは8世紀当時も西ゴート国領であったのですが、セウタ総督フリアン伯の娘フロリンダを巡って、
トレドのロドリーゴ国王との確執があって、フリアン伯はイスラム側へ寝返ったと言われています。
真実はともあれ、政情不安定も大きな要素となって、イスラムはわずか2年でイベリア半島を征服しますが、
その端緒を切ってイスラムの北アフリカ総督ムーサの指令でジブラルタルを渡ったのが、
ターリク・イブン・マルムークです。ターリクが上陸したイベリアの山麓は
ジャバル・アル・ターリク(ターリクの岩山)と命名され、
それが訛ったのがジブラルタルという地名だと言われています。
その後イスラムが衰退し、セウタは1415年からポルトガルに支配されますが、
1580年にポルトガルがスペインに併合されて以降、現在に至るまでスペイン領のままとなっているそうです。

朝食後、ホテルの周辺を散歩して、国際的なリゾート海岸やポルトガル時代に作られた
サン・フェリペ要塞などを見て歩きました。
私達の泊まったパラドール・ラ・ムラーリャは「城壁のホテル」という名前で、
城壁を取り込み、兵舎を改装して作ったパラドールのようですが、
多分、新館の中だけで過ごしてしまい、全容を見過ごしてしまったのが残念です。

 

   
地中海沿いのモロッコの車窓風景
 

9時半にホテルを出発、再び、スペイン国境を通過してモロッコの西端の街タンジェへ向いました。
国境の担当官に説明するためにガイドのジャマールさんは私達のツアー・コースを確認していましたが、
「昨日フェズからセウタへ来て、今日はタンジェ?その前はパリからカサブランカ?・・・・」と何回も聞き直しても、
旅程が理解不能の様子でした。モロッコ人には信じ難いコースだったのでしょう、おそらくは。
朝ホテルを出て、先ずセウタ港に寄って、明日フェリーに乗ってジブラルタルを渡るという証明書を
もらって来たこともあって国境は難なく通過出来たのですが、
モロッコに入ってから予定の道路は工事中で通行止めということが判明、ぐるーっと迂回して、
昨日通ったティトゥアン経由となってしまい、1時間半でタンジェ到着の予定が3時間もかかってしまいました。

車窓に見るリーフ山脈の山並みや黄色のオキザリス、カレンジュラ、カラシ菜が一面に咲く緑豊かな地中海沿いの
モロッコの風景はアフリカのイメージとは違う美しさでしたが、予想外の長いドライブとなりました。
途中にいたラクダは観光写真用にはるばる砂漠から連れて来られたようです。

   

 
タンジェの海岸通り スパルテル岬の露店
スパルテル岬
タンジェ(英語ではタンジール)に入ってから、先ずアフリカ北西端のスパルテル岬へ行きました。
大西洋と地中海を分ける岬からはスペインを見ることが出来ましたが、
1946年に作られた灯台の他は見るべき所もなく、その景観を露店を開いている人達が損なっている感じでした。
岬周辺の高台は高級別荘地となっているようで、モロッコやサウジアラビア王族所有の建物が点在していました。
サウジアラビア王家は専用の空港まで持っているそうです。
 

 
 
 
タンジェの街中のレストランでのランチは豆のスープ、ケバブ(ひき肉を固めたものを串に刺して焼いたもの)、
野菜のクスクス、揚げ菓子とミント・ティ−というメニューで、民族音楽を聴きながら、モロッコ料理を堪能しました。
 

 
メディナ グラン・モスク
土産物店
 
昼食後、ジャマールさんの案内でメディナを散策しました。
「買わなくてもいい」と言いつつ、次々とカーペットを広げる土産物店やヘンナ(植物のタトゥ)を
勧めるハーブ店などへ連れて行かれ、ちょっと不興気味の空気が流れましたが、
アラビア語、スペイン語、フランス語が併記された街路標識、野菜を売るベルベル人など
他とはちょっと違った旧市街の様子も垣間見ることが出来ました。
 
カスバの外側 タンジェ港
 

海の神ポセイドンの息子アンティオスが作り、アンティオスの妻ティンギスに因んで名付けられたと
ギリシア神話に出て来るタンジェは、フェニキア人がカルタゴとスペインを往来する途中に寄港していたといわれる
長い歴史を持つ街です。8世紀からのアラブ支配の後、スペイン、ポルトガル、フランスの領有争いを経て、
第1次世界大戦後は国際連盟管理下の自由都市という歴史も刻んだ街ですが、
そのエキゾチックな佇まいがマチスやドラクロワ、「シェルタリング・スカイ」の原作者ポール・ボウルズなど
欧米の芸術家達をとりこにしたそうです。海岸沿いの街並みは国際的な港町そのものでした。

セウタへ帰る前にお手洗い休憩に寄ったホテルの土産物店でフェズ・ブルーの小さな蓋物の陶器を買った後、
75ディラハムという小さなタジンを手元に残った60ディラハム(≒750円)に値切って購入しました。
「おねえさんには負けたよ。」と(sisterと言っていたので、多分、‘おばさん’ではなかったと・・・。)
最初はちょっと渋い顔のおじさんでしたが、その後、次々と入ってきたツアー・メイト達が
旺盛な買い物を始めましたので、すっかりご機嫌になったようです。
僅かなお金もきれいに使い切って、いよいよモロッコとお別れです。

 

 
往きとは反対側のモロッコ車窓風景
 
時々出て来る街並みや、建設中の鉄道、道端で何かを売っているベルベル人達を車窓に見ながら、
再び元の道を通ってセウタまで戻りました。

タンジェを4時に出発して、7時半にホテルに到着。(スペインとモロッコで時差が1時間ありましたが、
この日は私の時計はスペイン時間のままで過ごしました。)
結果的には何度も国境を越えながらセウタは泊まっただけの街となり、M添乗員さんに
「昨日はタンジェのホテルに泊まった方が良かったのでは?」と尋ねると、「今はそれ程でもないそうですが、
以前は治安が悪く、ホテルから出ないで下さいと言っていたような街ですから。」とのことでした。
効率の悪さも旅の面白さとは思いつつ、そして車窓風景も充分楽しみつつ、又パラドール2連泊という
魅力も理解しつつ、ドライブ時間に比してタンジェの滞在時間が余りに少な過ぎましたので、
ティトゥアンに泊まるという選択肢もあったのでは?と思った一日でした。
 

 
 
海老と野菜のパイ包み、白身魚のアーモンドソースとアイスクリームが夕食メニューでした。
スペインでは大抵9時頃から夕食が始まります。短期間にそれに適応するのは大変かと思いましたが、
スペイン時間に関しては旅の流れの中でそれ程違和感なく過ごすことが出来ました。
 

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