[ホーム] [目次] [P7]

Feb 11 2004
Siracusa〜Taormina
   
++ギリシャ劇場++ ++ローマ円形闘技場++
シラクーサはコリント人が先住民を駆逐して前8世紀に築いたシチリアで2番目に古いギリシャ植民都市です。
前5〜4世紀には現在の3倍を超える40万人もの人口を擁していたと言われています。
 古代にネアポリス(新市街)と呼ばれた市街地のあたりは石灰質の岩盤で出来ていて、
巨大な石切り場跡があちこちに見られます。
そのひとつ、考古学公園の中には前5世紀に岩山をくりぬいて作られたギリシャ神殿や、
3〜4世紀建造のローマの円形闘技場などがあります。
 
++ディオニュシオスの耳++ ++ヒエロン2世の祭壇++
ディオニュシオスの耳というのは石窟の尖頭アーチのような形の入口が(高さ23メートル、幅11メートル)
耳を連想させるので、猜疑心の強い前4世紀半ばの僭主ディオニュシオスが、
石切り場で働く囚人達の話を盗み聞きしていたという伝説に因んで
(太宰治の「走れメロス」がこの伝承をもとにしたお話だとは知りませんでした!)、
バロック画家のカラヴァッジョが名付けたと言われています。
このあたり一帯を‘天国の石切り場’と呼んだのもカラヴァッジョだそうです。

 ヒエロン2世の祭壇は198×22.8メートルもの大きさがあり、
一度に450頭の牛がゼウスに捧げるために焼かれ、市民に分配されたそうです。
「わしはアルキメデスの言うことしか信じない。」とヒエロン2世の絶大な信頼を受けていたアルキメデスは、
「一人の人間の頭脳が四個軍団にも匹敵する場合があることを、ローマ人は体験させられることになった。」
(塩野七生著:「ローマ人の物語」)と、様々な防衛戦具を考え出してローマ軍を悩ませたそうですが、
シラクーサ陥落時の混乱の中でも数学に熱中していて、ローマ一兵卒の手にかかり殺されてしまったそうです。
このことはローマ軍最高司令官のマルケルスをも残念がらせたと言われています。
 
++砕片レンガを並べている職人たち++ ++自然木の柵++

古代シチリアで最も繁栄した輝かしい歴史を持ち、
キケロやリウィウスから最も気品あるギリシャ都市と讃えられたというシラクーサの栄光を
今の街の様子から想像するのは楽しくもあり、難しくもありましたが、
考古学公園内の周回路をこういう手作業で整備している光景は、
2千数百年前の遺跡と現代が‘人の手’によって共存しているようで、ちょっとうれしくなりました。

 




++アポロン神殿++ ++狩りの女神ディアナの噴水++
シラクーサ発祥の小さな島、オルティージャ島はシチリア本土と橋でつながれています。

 前575年頃建てられたドーリス式アポロン神殿はギリシャ世界最古の石造神殿かもしれないと言われています。
(古くはギリシャ本土でも木造建築神殿が一般的だったそうです。)
ディアナの噴水は島の中心、アルキメデスの名前を持つアルキメデ広場に立っていました。
 
++ドゥオモ++ ++ドゥオモ広場++
バロックのファサードをもつドゥオモ(大聖堂)は、前5世紀建立のアテナ神殿の上に、
キリスト教会堂として7世紀に建てられたもので、建物の内外にドーリス式列柱が残っています。
シラクーサ守護聖人サンタ・ルチア(ここは歌でお馴染みの方の出身地でした。)の祭壇が置かれていました。
近くにある州立美術館でカラヴァッジョの「サンタ・ルチアの埋葬」の絵も観ました。
市庁舎もあるドゥーモ広場はバロック建築が建ち並び、広々としたとても美しい広場です。
 
++アレトゥーザの泉++ ++イオニア海++
女神アルテミスに仕える水の精アレトゥーザが川の神アルペイオスに追われて海に身を投げ、
この地で泉に変身したと言う伝説を持つアレトゥーザの泉には
古代から自生しているというパピルスが生え、アヒルが沢山泳いでいました。
エトナ山中で一つ目巨人のキュクプロス達と鍛冶工房をやっていたゼウスとヘラの息子の火の神ヘファイストス、
失踪した愛娘の帯をアレトゥーザの泉で見つけたという農耕の女神デメテルなど、
シチリアはギリシャの神々の住む島でもあったそうです。

 


[目次] [P7]