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2015・2・17 (火) 
高知~窪川~土佐清水~竜串・見残し~足摺岬

「ブライトパーク ホテル」がある追手筋はフェニックスの並木が南国らしさを演出し、日曜市が立つことでも有名な通りです。
その一筋南側に帯屋町という高知市の中心商店街がありますが、
朝8時頃ホテルを出て、朝食に行くと、通勤、通学用サイクルロードと化している様子が見られました。






高知は「モーニング」と呼ぶ喫茶店の朝食文化が盛んな土地柄という記憶があって、ホテルの朝食をパスしたのですが、
いざとなると「サンマルク カフェ」などという全国展開のお店に入ってしまい、故郷を離れて半世紀・・・の半端さとなってしまいました。



高知城天守閣

追手門

朝食後、散歩がてら、高知城まで足を延ばしました。
初代土佐藩主、山内一豊が1601年に築城を開始、10年の歳月をかけて造営された高知城は1727年に焼失しましたが、
1729年から再建に着工、1749年に完成した4重5階の天守閣は今も往時の姿をとどめています。
1841年(明治4)の廃城令によって、本丸周辺の天守閣や追手門などを残して城郭建造物が取り壊されましたが、
残された15棟の建造物が1934年(昭和9)に国宝(現行法では重要文化財)の指定を受けています。

お城周辺を30分程散歩した後、9時15分にホテルを出発し、平成に入ってから整備された高速道路「高知自動車道」で、
この日の宿泊地の足摺岬へ向かいましたが、その前に、高知ICの程近くにある土佐神社に立ち寄りました。

古代日本の行政単位66か国2島の諸国には、平安時代後期から国ごとに「一の宮」と呼ばれる神社の格付けが行なわれ、
国司巡拝の有力神社として一国の精神的支柱を担なっていきましたが、
そういえば土佐の一の宮がどこか意識をしたこともなかった・・・ということに気付き、調べてみますと、
「一宮」(いっく)と呼んでいた場所にある「志那禰様」(しなねさま)とも称する土佐神社と分かり、遅ればせの初参拝となりました。
志那禰の語源は諸説あるようですが、8世紀半ばを起源とし、土佐三大祭のひとつとされる毎年8月24・25日の例祭で有名です。



楼門

参道

1631年(寛永8)に土佐2代目藩主山内忠義によって建立された「神光門」とも称される素木造りの楼門は、
奈良時代に中国から入って来た和様と呼ばれる様式で、勾欄をつけた外廻縁などに古式を伝え、
1982年(昭和57)に国の重要文化財の指定を受けています。
室町時代に造られた楼門から300mほど続く参道が神社の格式を伝えているようでした。


  
楼門の両側に鎮座する随神


鳥居と社号標

「日本書紀」に「土左大神」、「土佐国風土記」「続日本書紀」に「高加茂神」の記述がある土佐神社の創祀は明らかではありませんが、
味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)が雄略天皇(457-479)の怒りに触れて土佐に流され、
現在地に祀られたという伝承から、5世紀の創建と伝えられています。
また土佐の国造に任ぜられた大和葛城の加茂氏の一族が氏族の祖神を奉斎し、
国土開拓、産業の繁栄の神である大国主神の御子の味鋤高彦根神や一言で物事が解決する和合協調の神である一言主神を主祭神として
土佐の総鎮守、一の宮としたとも言われています。




1570年(元亀元年)に長宗我部元親によって再建された社殿は、本殿の前に平面十字型に幣殿と拝殿が配されていて、
トンボが着地したような「入蜻蛉(いりとんぼ)式」と呼ばれる形式が土佐神社独特のものとされ、
1904年(明治37)に国の重要文化財に指定されています。
戦の凱旋を意味する「入蜻蛉式」に対し、トンボが飛び立つ「出蜻蛉式」の若宮八幡宮で元親は戦勝祈願をしたと伝えられています。



拝殿を左側に回った所に、向かって左から、事代主神社、西御前社、大国主神社の3摂社があり、
その奥手に神木の大杉や樹齢を重ねたスギやヒノキが繁る社叢が広がり、清々しい神域となっていました。



礫石

輪抜祓所

社叢を抜けると境内の東北の一画に、土佐大神が鎮座地を定めるために投げたと伝えられる石が
礫(つぶて)石と名付けられて祀られていましたが、これは古代の磐座信仰の名残りとも考えられています。
また珪石の礫石が蛇紋岩の地層の上にあることも謎とされていて、転石と称される学問上の特殊資料とされているそうです。




本殿の西北にあったスギの神木の奉斎によって造られた輪を内部に納めた輪抜祓所は、
左・右・左と輪を抜けることによって、心身が清められ、大木の長寿や逞しさが授けられると言われています。


輪抜祓所近くの神饌所の奥に、入母屋造で極彩色に彩られた本殿の側面を見ることが出来ましたが、
神社の本殿というより、寺院の趣きが感じられました。




黒板の袴腰の上に本殿と同様の彩色を施した上層を載せた入母屋造の鼓楼は、
1649年(慶安2)に2代目藩主山内忠義が造営、1934年(昭和9)に国の重要文化財の指定を受けています。
正面に山内家紋章の三葉柏を刻んだ蟇股(かえるまた)装飾が見られました。



善楽寺本堂

大師堂
[第30番] 百々山 善楽寺 東明院

土佐神社の参道沿いに、大同年間(806~809年)に弘法大師が土佐神社の別当寺として建立したと伝わる善楽寺がありました。
明治初期の神仏分離令で一時は廃寺となっていましたが、1929年(昭和4)に29番札所の国分寺に預けていた寺宝類を戻して復興、
阿弥陀如来を本尊とする30番札所となっています。


10時15分に土佐神社を出発、四万十町中央ICまで60kmほど高知自動車道を走り、11時過ぎに「道の駅 あぐり窪川」に到着しました。
土佐あかうし、窪川ポークのレトルト・カレー、須崎名物鍋焼きラーメン、塩けんぴ、宗田カツオのだし醤油、四万十えび煎餅など、
名物もどき・・・と思いつつ、美味しそうなパッケージに誘い込まれて?あれこれと買物をした後、
「生乳しぼりたて 手造りアイスクリーム」で一休みして、国道56号線、321号線で土佐清水を目指しました。



四万十大橋を渡って、まもなく見えた天満宮前で車を止めて、四万十川河口近くの景観をカメラに収めました。
実崎天満宮は古い狛犬などに歴史が感じられましたが、訪れる人もいないような寂れ方で、
海抜17.8mに位置することが津波避難路としての役割を担っているようでした。

    

窪川から2時間ほど車を走らせ、1時半に土佐清水に到着、ネットで調べておいた「お食事処 あしずり」で遅めの昼食になりました。
メニューを見るまでもなく、今では高知市までも流通しなくなったといわれる清水サバの刺身定食とたたき定食を選び、
ウツボのたたきも添えて、はるばるやって来たという感慨と共に、地元の新鮮な味を堪能しました。





昼食後は竜串へ行くことにしましたが、途中で標識を見て、あしずり港公園の「海の駅 ジョン万次郎 資料館」にも寄り道をしました。
資料館は電気工事中で閉館となっていましたので、近くの展望台へ上って、太平洋や足摺港を一望しましたが、
青い空と海が南国を感じさせるほかは閑散とした足摺港だけが広がる景観でした。





グラスボート乗り場

竜串海岸

2時半過ぎに竜串へ到着、以前に2~3度訪れたことのある場所でしたので、きちんとした行先も決めずに歩いていたら、
ちょうど乗り場へ戻って来たグラスボートから降り立った家族連れから「面白かったですよ!」と聞かされ、
私達もグラスボートで見残し海岸まで行ってみることにしました。
道の険しさのために弘法大師が訪れるのを「見残した」ことから名付けられたと伝えられる千尋岬の見残し海岸は
まだ行ったことがありませんでしたので、とてもタイミングの良い出会いとなりました。

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・・・と思っていましたが、古いアルバムを取り出してみると、1963年春に見残しへ行っていたことが判明しました。
当時の竜串は今のように観光地化されておらず、見残しの方が主要観光地だったのかもしれません。   (2015.3.31追記)
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サンゴや様々な魚類が亜熱帯的な海中景観を形成している竜串湾は1970年(昭和45)に国内初の海中公園の指定を受けましたが、
2010年(平成22)の法律改正によって、「竜串海域公園」と改称された足摺宇和海国立公園の景勝地です。
すぐれた海中景観と共に地質の博物館とも称される奇岩群が見所となっていますが、
年間80万人の観光客の中、ここまで足を延ばすのは5分の1にも満たないと言われているのはもったいないことだと思われます。

1946年(昭和21)の南海地震によって隆起した落窪海岸から瓜白海岸の海食台に、
海底の堆積物の表面に波や水流が造った凹凸を地層面にそのまま残した化石漣痕(れんこん)が豊富に見られますが、
特に千尋岬、竜串の化石漣痕は貴重な自然遺産として、1953年(昭和28)に国の天然記念物に指定されています。
この辺の竜串層と呼ばれる地層は2000~3000万年前の新第3紀に比較的浅い海の中で形成されたため、
漣痕、つまり、さざなみの痕、という名前がつけられていますが、アナジャコなどの生痕化石や節理現象も至る所に見られ、
地球の営みの最前線エリアとして、室戸に負けない迫力ある景観を見せていました。


竜串海岸

閑散期のことで、グラスボートは私達だけを乗せてすぐに出港し、見残しへと向かいました。
竜串の地名は竜に大串がささったように見える、アイヌ語の「ツクシ」(=美しい)、海岸沿いの臥竜山に因むなど様々な由来を持ち、
大竹・小竹、蛙の千匹連、夢の浮橋、竜門の滝など様々に名付けられた波食、風食によって生れた砂岩、泥岩の奇岩群を間近に見たり、
触れることも出来るお勧めスポットですが、今回は岩場散策はせず、海上からのアングルを楽しむことになりました。



足摺海底館を遠望

「象の鼻」が折れて、現在は「しし岩」の呼称



冬でも水温が15℃を下らないという竜串海域公園の海底にはテーブルサンゴや小さな熱帯魚の姿が見られました。
このあたりにも30年余り前からオニヒトデが発生し、定期的に駆除作業が行なわれているそうです。




  

20分程で到着した見残し湾では高知県の天然記念物の指定を受けているシコロサンゴの群生を見ることができました。
ひとつの群体の大きさが50X30m、高さ3mにも及び、国内最大級の規模を持っていると言われています。



3時過ぎに見残し海岸に降り立ち、散策に出発、打ち寄せる波のような模様が見える「波の花道」を抜けると、
上部でふたつの岩がくっつき、「愛情の岩」「夫婦岩」または角度によっては「ほてい岩」と呼ばれる岩がありました。


小さな浸食穴をたたくと良い音がする「つづみ岩」

塩風化のタフォニ


化石漣痕

左下に見られるのが「こけし岩」




室戸岬の80~90度より傾斜が穏やかと見受けられるのは浅海隆起のせいでしょうか・・・?
右の写真は見残しで最も大きな浸食穴で、漁師が月夜に照らされる人魚を見たという伝説を持つ「人魚御殿」です。


「らくだ岩」

浸食の集大成といわれる「蜂の巣城」


渦巻き状の石紋が重層した「渦巻き岩」や、
生物や岩石中の珪酸や炭酸塩などを核として生れたノジュールと呼ばれる球状の石など珍しいものにも出会えました。
前の写真に載せた「こけし岩」もノジュールのひとつとされています。

竜串・見残し海岸には、どちらかというと形状によって‘情緒的’に名づけられた岩が多く、学問的なことはよく分かりませんでしたが、
様々な奇岩には驚嘆するばかりで、素晴らしいジオツアー体験が出来たことは間違いありませんでした。


  

と言いつつ、もうひとつ報告を添えるなら、実は、「遊歩道」といいながら、
写真のような箇所が多々あって、私にとっては、結構なアドベンチャー感あふれる体験でもありました。
波が高い時はグラスボートが運航されませんし、滑りにくい砂岩ですから、靴さえ間違えなければ問題はありませんが、
幼児、老人(・・・!)は要注意とも言えそうです。


奇岩群海岸歩きを、‘怖わ’楽しんだ後、海抜53mにある展望台まで山道を上りました。
当然のことながら見残しまでは陸路もある筈ですが、おそらく、カーナビでは辿り着けない地形が確認できたようでした。

案内板通りに50分程で散策コースを見て回り、船着場へ戻りましたが、グラスボートは乗客を迎えに行っていて、
20分程待つことになってしまいました。
到着したボートの中には一組の夫婦が乗っていましたが、見残し海岸に降りられる4時を過ぎていましたので、
海からの観光だけを承知の上の乗船の様子でした。



おそらく遅い時間の乗船客のために見残し海岸を大回りしてから(私達には幸運!)、竜串へ戻りました。
今、土佐清水市ではジオパーク認定に向けた取り組みが始められていると言われます。
室戸に比べて浅い海の隆起という点で、学術的なダイナミックスさには欠けるかもしれませんが、
素人目には充分に互角と思われる自然の造形を見せてくれた見残し海岸も応援していきたいと思われました。

4時40分頃、竜串を出て、足摺スカイラインを30分ほど走り、5時15分に足摺国際ホテルに到着しました。
ロビーにいた2組の台湾人観光客グループを見て、
前日までは空室があったのにこの日は満室というネット情報を得ていた次女の疑問が瞬時に解けました。
旧正月の春節で中国や台湾からの観光客が日本へ押し寄せていると報じられていましたが、
高松空港と台北間には週4便の直行便が運行されていますから、
ミシュラン・グリーンガイド二つ星の足摺岬が人気を呼んでも不思議のないことです。

 
  
足摺国際ホテル

部屋から見た伊佐漁港

5時40分頃、ホテル・フロントで教えられた白山洞門の上まで夕日を見に出掛けましたが、
水平線のかなり上まで雲が覆っていて、太陽は早々と姿を消してしまいました。
天気予報の雨マークが前日の夕方になって消え、一日よいお天気に恵まれただけでも幸運ですが、やはり残念は否めないことでした。



道路を挟んで向かい側に足摺地方の氏神様を祀る白山神社がありました。
この神社は1916年(大正5)に金剛福寺の奥の院として白皇山にあった白皇神社と合祀されたため、
鳥居には白山神社、拝殿には白皇山と標記がありました。


    

ホテルへ戻り、ゆっくり温泉に入ってから、7時半から予約の「伊勢海老鍋会席料理プラン」の夕食をいただきました。
高知ではネイリと呼ぶカンパチやカツオのお刺身、チャンバラ貝(=マガキ貝)、ウツボの天麩羅の仕上げが伊勢海老鍋・・・。
充分すぎるボリュームはご飯をパスすることで乗り切ることになりました。

頭の中を不安がよぎった台湾パワーには、浴場でもレストラン(個室)でも遭遇することなく、静かに過ごせたのは良かったのですが、
私達がヨーロッパの大型ホテルに泊まった時、レストランなどで隔離されたような場面も思い出されて、
少しばかり複雑な思いが湧いた夜でもありました。
ホテルに用意されていた「足摺スターウォッチング」という9時からの無料プログラムはエネルギー切れでパスとしました。


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