[ホーム] [目次] [2日目]

             初夏の高知旅          2016・6・2〜6・7                     

昨年2月に5年振りに帰省した後、「早春の高知旅」レポートを書いていた頃に小学校同窓会の案内が届きました。
1990年から5〜6回開催された同窓会に出席したことはなかったのですが、
「また、小さな旅、大きな旅で、故郷再発見の機会が訪れることを願いつつ・・・!」と「早春の高知旅」を結んだ頃には、
1年後の再訪を漠然と予感していたように思います。

3月に同窓会欠席の返信葉書を出した時、メールアドレスと共に「写真を送っていただけるとうれしいです」と添え書きしたことを受け、
5月の連休の頃、森木君と山脇君から郵送とEメールで写真やDVDが送られて来ました。
一気に懐かしさを誘われるには50数年の歳月は遠すぎ・・・?という印象も否めませんでしたが、
長い歳月のギャップを埋める手段として、メールでのネットワークを思い立ち、
PCメール・アドレスがわかる10名足らずの同窓生に、5月半ばに同報メールを突撃発信しました。

その時に、「正直に言うと、初めまして、ですよね。」とその日の中に返信を下さった他クラスの前野さんとは、
ほとんど瞬時に好みの類似が判明、メールが頻繁に行きかい、5月下旬にはランチを共にするという成り行きとなりました。
そして、秋の終わり頃、「一緒に高知へ行かない?」とお誘いすると、「行きましょう!」と即快諾、
「何日位?」「5泊」と迷いのないお返事が返ってきました。
その後、幹事さん達と連絡を取り合い、女性幹事さん達には突撃電話で宿泊を伴う同窓会の可能性をさぐりながら、
5泊6日の旅プランが出来上がって行きました。

今回の旅プランの一部には突撃同報メールに2番目に返信があったクラスメイトの藤原君がお相伴して下さり、
卒業以来のご無沙汰にも関わらず、メールのやり取りだけで、仁井田ご夫妻が2日間も車で案内役を務めて下さいました。
旅にお付き合い下さった方々、幹事さん達、同窓会出席の皆様に感謝をこめて、
「故郷探訪 初夏の高知旅」を綴っていきたいと思っています。
「古稀同窓会」番外編として、レポート完了まで伴走していただけたら幸いです。

「東の空に城仰ぎ・・・」と校歌に歌った方向とは逆ですが、仁井田さんのご紹介で4連泊したウェルカムホテル9階の部屋からの
高知城(コンデジ・ズームの限界・・・)をTOP画像に高知レポートを始めることにしましょう。

 2016・6・2 (木)
品川〜岡山〜大歩危〜大豊

富士山

浜名湖

高知の梅雨入り平均日が6月5日、昨年は2日に梅雨入りという時期にしては、この上なく幸運な週間天気予報が続いていましたが、
出発前日になって、週末に雨、曇りマークがついて、少し雲行きが怪しくなりました。
それでも出発の日は好天に恵まれた中、朝7時前に早目に自宅を出発、
湘南新宿ラインのポイント故障の影響で大崎駅手前で15分停車というピンチも無事に切り抜けて、
品川駅8時10分発の「ひかり463号」に乗車、次の新横浜駅から前野さんと合流して、高知旅が始まりました。

私達が高校3年の時に開業した東海道新幹線は、半世紀を経た今、
「のぞみ」であれば、当時の東京〜大阪間の所要時間と同じ3時間余りで岡山まで着いてしまいます。
ジパング倶楽部利用の私達は「ひかり」利用ですから、プラス1時間でしたが、
ノスタルジックにJRで帰郷しましょうという計画と、「おしゃべりは、疲れない程度に楽しんで帰って来て下さい」という
山脇君からのメッセージのどちらにも偏る暇すらないスピード旅でした。



それでも、いつか登ってみたい伊吹山をカメラに収めたり、姫路城を撮り損ねたりしながら、
車窓風景とおしゃべりを程ほどに楽しんでいる中に、
あっという間に4時間が過ぎて、定刻の12時20分に岡山駅に到着しました。



ひかり463号

南風11号

1時5分発の「南風11号」に乗車、電化されていない四国に向かうジーゼル車の音に懐かしさを誘われながら、
座席に落ち着くと同時に、お弁当を開きました。
前野さんは横浜の「崎陽軒」のお弁当が定番と聞いていましたので、私は品川駅で「柿の葉壽司」を購入しましたが、
今回は前野さんは予定を変更、岡山で調達されましたので、お揃いではないお弁当となりました。


    

瀬戸大橋線の車窓風景

開業した1988年の夏休みに家族で乗った記憶のある瀬戸大橋線ですが、
それから30年近い歳月が流れたこと、1時間を要した宇高連絡船がホバークラフトで時短されたことなど懐古する間もなく、
僅か10分足らずで瀬戸内海を通過していきました。



大歩危駅で2時43分に下車して、大歩危峡観光遊覧船乗り場「大歩危峡まんなか」までタクシーで向かいました。
3時15分の乗船券を購入し、携帯電話で「お山の宿 みちつじ」の安達さんと迎え時間の打ち合わせをした後、
「責任は負いません」と言われながら、観光客が置き場としているお店の片隅に旅行キャリーバッグを置いて、
長い階段を船乗り場まで下りていきました。



階段途中に咲いていたチダケサシ


「大股で歩くと危険」または崖の山頂を「ホケ」と呼んだことが地名の由来と言われる吉野川中流域に位置する大歩危は、
8千万年から6千年前に形成された変成岩の峡谷ですが、
その中に2億年から1億年前の海底プレートの沈み込みによって生まれた礫質片岩が含まれることが
日本列島の成り立ちを知る上の学術的価値を持ち、
2014年3月に国の天然記念物、2015年10月に国の名勝に指定されています。


水深は5〜10m、大歩危と小歩危の間はV字谷になっているので、波板状の岩石の傾きが逆などという説明を聞きながら、
土讃線や国道から見るのとはまた違うダイナミックな渓谷美を堪能した往復約4km、30分ほどの遊覧でした。


  
カワウ                             アイガモ・ファミリー

4時前に「大歩危峡まんなか」へ戻り、ソフトクリームで一休みをした後、4時半に安達さんの出迎えを受けて、
徳島県と高知県の県境の大豊町長渕集落まで車で山道を登っていきました。



5時少し前に吉野川を見下ろす絶景に立つこの日の宿「みちつじ」に到着しました。
ここはIターン移住した30代の安達ファミリーが20年近く空き家となっていた築100年の古民家を半年余りかけてリフォームし、
3年近く前に営業を始めた3室だけの小さな山の宿ですが、
母屋や安達さんのセルフビルドという別棟の風呂・トイレの素朴な佇まいが山の景観にしっくりと溶け込んでいました。
最近、増加傾向にあるらしい高知移住の若者のブログからたどり着いた宿ですが、
限界集落に移住し、地域を再生してくれる若いエネルギーに期待、応援したい思いでした。



地元の番茶をいただいてから、「みちつじ」の上にある永渕神社へ行きました。
神社前の大杉は2年ほど前に2度の落雷で受けた無残な痕を残しながらも、村の鎮守様としての堂々とした風格を見せていました。
旧暦9月27日にこの神社で行われる永渕神楽は国の無形重要文化財の指定を受けている伝統芸能で、
安達さんも教えを受けて、踊り手として大切な一角を担っていらっしゃるようです。



「みちつじ」の庭のユズの実


畑作業中の神社のお家の方と立ち話をしたり、茶畑のある山の景観を楽しんだり、30分ほどの夕方散歩となりました。
6時前に宿へ戻ると、「6月2日の別のお客様は、実はイギリスの家族です。小さい子供が二人います。」と
事前情報を受けていたイギリス人ファミリーが到着していました。
「小さい子供」が2歳半のイザベラちゃんと生後3か月のオランド君という予想を超えた小ささに驚きながら、
簡単な挨拶をした後、彼らに先に入浴することを勧めて、私達は7時半の夕食までのんびりと部屋で疲れを休めました。




  

一見懐かしさを誘われる日本の団欒的食事風景ですが、ちょっと気も張る「横メシ」が7時半から始まりました。

谷中に泊まって大相撲見物をした後、石垣で遠浅の海を楽しみ、広島経由で高知入りしてオーベルジュ土佐山で温泉体験、
大豊の後は高野山、京都、高山、北海道・・・とロンドン在住ファミリーの驚くべき2か月休暇計画を伺いながら、
コッツウォルズとスコットランド出身の夫妻とイギリスの食事のことなど雑談をしながら夕食が進みました。
安達さんが「猪鹿工房おおとよ」で解体技術を習得された「日本一の鹿肉」という「みちつじ」が誇る食材が話題になった時には、
イザベラちゃんが宮島でみた鹿のことで話に入り、小さくてもしっかりと旅を受け止めている様子が伝わって来ました。
この辺りの鹿は本州鹿より少し小型の九州鹿で、くくり罠で捕獲し、生きたまま止め刺し(血抜き)をした後、
すぐ解体することが臭みを残さないポイントだそうです。
鹿の背ロースのロースト、地元の野菜料理、飼っている鶏が生んだ卵を使ったプリンなど
Mrs.安達の心づくしの家庭料理をうれしくいただいた夕食となりました。

8時半頃に部屋へ戻り、一人ずつ入浴をして、早寝を決めた夜、星空をみることを忘れたことに気づいたのは翌朝のこと、
少し無念を残してしまいました。



[目次] [2日目]