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2016・6・5 (日)
日高~越知(横倉山自然の森博物館・織田公園)~佐川

前日、梅雨入りが発表された高知は雨は上がりましたが、どんよりとした曇り空の少し肌寒い日曜日となりました。
ホテル前の追手筋では、今回の旅の楽しみのひとつとしていた日曜市が開かれていて、
待ちきれない?前野さんから7時過ぎに「少し早く行かない?」と電話が入り、約束の7時半より15分ほど早く市へ向かいました。

土佐藩4代藩主山内豊昌が1690年(元禄3)に開設日と場所を決めて行った定期市が高知の街路市の始まりとされ、
曜日毎の市がまとめられて、1877年(明治9)から本町筋で開かれるようになったのが日曜市で、
路面電車の開通に伴って1904年(明治37)に帯屋町筋へ移転、1948年(昭和23)に現在の追手筋に定まったと伝えられています。
4月から9月までは午前5時から午後6時まで、10月から3月までは午前5時半から午後5時まで、
全長1.3kmにわたって約500店が軒をならべる終日市は、1日15000人が訪れる観光名所ともなっています。



旬の野菜や果物、海産品、加工食品、植木、日用品、骨董品、刃物など「ないものはない」と言われる高知最大の街路市で、
早速、目に入った魚の干物店でお土産を買ったり、懐かしい特産品を覗きながら、
小学校の同級生、西村繁男君の絵本「にちよういち」(童心社 1979年刊)そのままの情景が残る日曜市を、
端から端までのんびりと歩いて、故郷の生活感をたっぷりと味わった朝の散歩となりました。



店主が海外僻地まで出掛けるという原種洋ラン苗店、「文化財保護法には違反していません」という沖縄のオカヤドカリなど
珍しいものも並ぶ中に、懐かしい蒸し餅のお店もありました。
西日本では柏餅にカシワの葉の代用として、サルトリイバラを使用するという説が流布していますが、
実は「かしわ」は「炊し葉」の意で、江戸では里山に自生するサルトリイバラが入手しにくいので柏の葉を代用した、
従って代用の順番は逆であるという説もあるようです。
がめ餅と呼んだ覚えがあるサルトリイバラにはさんで蒸したイモ粉のお餅を1個だけ買って、朝食後にいただきましたが、
幼い頃の記憶の味とは少し違うように感じられました。


    
スイレンボク                     カキラン                       白花セッコク 

南アフリカ原産という可憐なスイレンボク、野生のカキランなど手が伸びそうな花もありましたが、
今回は清楚な白花セッコクをひとつかみ、300円で買って帰りました。
ホテルへ戻ってゆっくりと朝食を取った後、10時に仁井田ご夫妻のお迎えを受けて、越知・佐川方面へ出発しました。

昨年の小学校同窓会のコメント欄に「50歳で登った山に魅せられて、カメラを持って野山を爆走中」という仁井田さんの近況を見て、
山歩きにお付き合いいただけるかもしれないと勝手に決め込み、
「メールをさせていただくとお伝えください」と山脇君から予告メールを出していただいてから、
仁井田さんの携帯にメールを差し上げたのは、年が明けてまもなくの頃でした。
3・4年の時に同じクラスだった仁井田さんが名前位は覚えて下さっているかしら・・・とドキドキだったのですが、
折り返し、「お懐かしい~。お家へ遊びに行ったのを覚えていますよ。」とうれしいお返事が届いて、
メールがつながったおかげで、山の話、高知情報などをいただけるようになりました。
そして、3月末に「大豊は欠席ですが、横倉山は一緒に歩きましょう。」という話へと発展し、
「いよいよ近付いてきました」という5月半ばのメールには「雨の場合を考えて、二日連休を取ろうと思っています。」
「佐川に牧野富太郎生家があって、裏山のお寺でバイカオウレンを発見したそうで、見に行ったことがあります。
予定が許せばご案内できますよ」「横倉への運転、私の主人でもいいでしょうか?」と何ともうれしいお申し出をいただいたのでした。
「うれしい!と簡単にご好意に甘えていいのでしょうか?」と言いつつ、横倉山登山をしっかりと予定に組み、
仁井田ご夫妻のご親切を受けて、この上なく充実した2日間が実現した訳でした。


高知市内から西へ向かい、30分ほどで日高村「村の駅ひだか」に到着、特産品のトマトをお土産に買ったり、昼食を調達した後、
最初の目的地、越知町立「横倉山自然の森博物館」へ行きました。

横倉山の麓に1997年(平成9)に安藤忠雄設計によって建てられた自然の森博物館は、
「アカガシ原生林の不思議」「横倉山のおいたち」「地球の歴史」「横倉山の地質」「歴史と伝説の横倉山」「牧野富太郎と横倉山」と
6つのテーマに分かれた展示室で、4億3~2千年前に南半球にあったゴンドワナ大陸が分裂し、
移動して生まれた横倉山が日本で最も古い地質を持ち、大断層帯の黒瀬川構造帯に分布していることから
地球の歴史を知る上でも重要であることをジオラマや化石などの展示物によってビジュアルに学べる場所となっています。
名前しか知らなかった横倉山の価値に改めて驚き、翌日の山歩きにますます期待が高まっていきました。


    

展示室は撮影不可でしたが、企画展「高橋宣之写真展~闇の彩り~」は撮影可となっていました。
仁淀川の澄んだ水を「仁淀ブルー」と名付けた写真家が、「漆黒の闇に恐怖はない。闇の向こうに光を求めるからだ。」と
神秘的で魅力ある仁淀川の闇の世界を20数年撮り収めたという雰囲気をお伝えできるでしょうか。



1時間余り自然の森博物館を見学した後、横倉山の展望台となっている織田公園まで林道を登っていきました。
あいにく遠望はききませんでしたが、歴史を重ねてみると、山と人里が共存する越知の風情がいっそう素晴らしく見えました。



あじさいが見ごろを迎えた織田公園の東屋で、少し遅目の昼食をいただきました。
「村の駅ひだか」で買ってきた田舎寿司や揚げ物、日高名物?「いりもち」を携帯ガスバーナーで入れたコーヒーと共にいただいて、
景色と素朴さがマッチしたうれしい昼食となりました。





2時前に織田公園を出発して、横倉山の麓に鎮座する横倉神社に立ち寄りました。
横倉山の三神社のひとつとして下の宮と呼ばれる横倉神社は伊邪那美神を祭神としていて、平家伝説とは関係がなさそうで、
隣接する秋葉神社には伊邪那美神の子、火之神が祀られていました。

越知町を出て、2時半に佐川町に到着しました。
佐川町は藩政時代、山内家筆頭家老の深尾氏の城下町として栄え、文教の町としての歴史を語り継ぐ街並みを残し、
牧野富太郎(1862-1957)の生誕地、植物学の基礎を培った地としても名前が知られています。



旧浜口家住宅

牧野公園へ続く坂道

この日は佐川町の中心部、主に商人が居を構えた上町(うえまち)地区を散策しました。
牧野公園下の駐車場に車を止めて、江戸中期から酒造業を営んでいた浜口家(国登録重要文化財)、
現在はさかわ観光協会となっている旧浜口家住宅の庭を通り抜けて、町へ向かいました。


  
旧浜口家住宅の庭に咲いていたムラサキホウチャクソウとフクリンササユリ
 

名教館

佐川文庫庫舎

名教館は深尾家6代茂澄が1772年(安永元年)に創設し、多くの人材を育成して志士や偉人を輩出した家塾で、
明治時代に入って佐川尋常小学校と改名、中本町に校舎を建設した時に移設した玄関を、
2013年(平成25)に上町地区へ再び移築して、当時の姿を伝えている県指定文化財です。
佐川文庫庫舎は須崎警察署佐川分署として建てられた明治期の洋風木造建築で、
青山文庫、佐川文庫、民具館と用途を変えながら、2009年(平成21)に現在地に移転、町のシンボルのひとつとなっています。



牧野富太郎生家跡には「牧野富太郎ふるさと館」が建ち、遺品や直筆手紙、原稿、植物標本などが展示されていました。
入場無料の上、受付の女性が「ご自由にお持ち帰りください」という押し花しおりを作っているうれしい展示館でした。



ギャラリーほてい

司牡丹酒造

旧竹村呉服店

竹村家住宅

「酒蔵の道」と名付けられた通りは、400年余りの伝統を持つ酒造「司牡丹」の酒蔵やショールーム「ほてい」、
絹織物商として繁栄した竹村呉服店、江戸時代より造り酒屋として栄え、240年前の格式ある建築様式を持つ竹村家住宅など
国重要文化財、国登録文化財が軒を連ね、歴史が感じられる一画となっています。



金峰神社

1時間ほど町散策をして駐車場へ戻ったところへ、「明日は都合が悪くなったから、今からそっちへ向かう」と
森木君から仁井田さんの携帯へ電話が入りました。
はっきりと読めない状況でしたが、それならば、と待ち時間に前野さんとすぐ近くの金峰神社へ行ってみることにしました。
後になって、ここが牧野富太郎とバイカオウレン出会いの神社と分かって、
行ってみれば往復20分でしたが、下から見ると果てしないと思われる階段に挑戦したことが正解だったことが分かりました。


金峰神社のバイカオウレン -仁井田さんが2月に撮影-

  

金峰神社から降りて間もなく、翌日の横倉山は「蛇がきらい」だから同行できないという森木君が、
下山後に合流して案内して下さる予定だったお知り合いの果樹園のジャムをわざわざ届けて下さいました。(多謝!)



その後、今回は立ち寄りませんでしたが、土佐三大名園のひとつとされる深尾家菩提寺の青源寺の下を通って、
佐川の町を見下ろす牧野公園へ登って行きました。
牧野富太郎が1902年(明治35)に東京染井で見つけて送ってきたソメイヨシノの苗を、
地元の有志が青源寺の土手に植えたことに始まり、桜の名所として有名となった牧野公園は、
「牧野博士ゆかりの植物公園」を目指して、再生工事が幾度となく繰り返されている様子でした。
植栽されたものですが、山の中に咲く野草を見ながら、ゆっくりと散策を楽しみました。


    
ホタルブクロ                    ヤマアジサイ                       オカトラノオ
    
コショウノキ                    キツリフネ                       フクリンササユリ

佐川の町はまた是非とも再訪したいという思いを残して、4時半に車に乗って、高知へ戻りました。
途中のスーパーマーケット店で、お土産発送用の段ボールを入手して、5時過ぎにホテルまで送っていただきました。


    

    

宿泊日数分もらっていたウェルカムドリンク券を使って、ホテルのレストラン「マリモンテス」で一服入れた後、
帯屋町へ出掛け、ふと目について入ったトラットリア「ノンナ」の夕食は大当たり、
ゆっくりと美味しい食事を楽しむことが出来ました。
(デジカメのバッテリー予備を持参するのを忘れて、前菜以外は前野さんのスマホ画像を拝借)

盛り沢山だった一日の終わりの心地よい疲れの中、散歩がてら帯屋町を少し遠回りして、ホテルへ戻りました。



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