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2017・11・15 (水)
日高村(小村神社)~高川(一の谷やかた)~程野~高知

西部遠足の日は朝8時にオリエントホテルで1人、はりまや橋で3人をピックアップして下さった5人乗車の森木車と、
上町組を中心とした4人乗車の荒瀬車が、日高村の小村神社で9時10分過ぎに無事に落ち合うことができました。




国土形成の根源神とされる国常立尊(くにたちのみこと)を御祭神とする土佐二宮の小村神社は
 587年の鎮座と伝えられる由緒ある古社です。
国道33号線から北へ伸びる杉林が千本杉の地名の由来となっている参道で西部遠足参加者9人が揃って、
           記念写真を撮りました。     (撮影:川崎さん友人)


250mの長い参道


社殿前では開始直前となった秋大祭の様子がみられました。
氏子から選ばれた頭人の家で頭家祭を行った後、神輿とともに村内を練り歩く頭家なばれと呼ばれる小村神社の神事は、
神社に専属神職が出来る前の氏子達による共同祭祀の面影を残しているとして、
昭和36年(1961)に日高村の無形民俗文化財の指定を受けています。

小村神社へ立ち寄ったのは、この日、年一日だけ公開される国宝の大刀を拝観することが目的だったのですが、
展示された尚徳館が開く10時まで、神社境内を見学して過ごしました。



中央部に高屋根を持つ出トンボ式拝殿


本殿正面

流造の本殿と御神木の牡丹杉

牡丹杉の根元

異変の時、こずえに火が懸るという伝説を持ち、燈明杉の別名を持つ牡丹杉は、
高さ31m余、幹回り8m余、推定樹齢1000年と言われ、御神木らしい堂々とした風格を見せていました。


  
剱神社                           秋葉神社                      仁井田神社

剱神社は高岡郡生まれの箱根権現の別当、行実が曽我五郎の師匠だったという縁で、
五郎のゆかりの「瀬のぼりの太刀」を御神体とするという伝説を持ち、曽我五郎・十郎を御祭神とする神社です。
秋葉神社は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)を主たる御祭神とし、防火の神として崇拝され、
仁井田神社は山祇神他五柱を御祭神とし、農漁業を守護していて、
これら本殿の周りの摂社三社も大切に祀られている様子が伺われました。

10時前に尚徳館の準備が整い、 昭和30年(1955)の国の調査で詳細が判明し、翌年に国の重要文化財、
昭和33年(1958)に国宝に指定された7世紀初めの「金銅荘環頭大刀拵・大刀身」を拝観させていただきました。




古墳出土が多い中、小村神社の大刀は社殿に秘蔵されて来た全国で唯一の伝世品と言われ、
保存状態の良さと千数百年の歴史をまとった美しさで、圧倒的な存在感を見せていました。
朝鮮半島から6世紀前半に持ち込まれた大刀は、6世紀後半から大和朝廷の工房で多種多様な装飾を施して国産化され始め、
6世紀末から7世紀初めにかけて大量生産されましたが、律令国家へと変わっていく中で、
装飾付大刀のような権威の象徴は社会の中での役割を失い、生産されなくなったと言われています。
弥生時代末期から古墳時代後期に使用された刀身がまっすぐな直刀を大刀、
平安時代から室町時代まで用いられた刃の長さが2尺(約60cm)以上、刀身が反り返っているものを太刀と区別しますが、
大刀は杖を付くように立てたり、刃を下に向け、腰に吊り下げるという二通り、
太刀の方は刃を下にして、横向きに腰に吊り下げるという身に付け方にも違いがありました。



長さ118cmの大刀の金銅(銅に鍍金したもの)板金製の環頭は2匹の竜が向き合い、一つの珠を食む形の透かし彫りで、
木地に金銅板金をはった柄・鞘には、ワラビ状や円形の打ち出し文様が施されていました。
雲や雨を自在に支配する水神の性格を持つ竜神を象徴する環頭大刀が小村神社に御神体として守られて来たことには、
仁淀川流域の水田開発との間に深いつながりがあったのだろうと考えられています。


        

        
   
銅鉾 行道面

平成7年(1995)に牡丹杉の根元で神職が発見した県内最古の部類の銅鉾や、
法会の練供養で使われる平安時代後期のクスノキ1木造の2面の木造菩薩面(国重文指定)、蓬莱鏡(県文化財)、須恵器など、
社宝の数々も拝観し、神社成立以前から、土地の祭祀が行われていた特別の場所であったと考えられ、
また参道に沿って調査が行われている千本杉遺跡から古代から近世の掘立柱様式の建物跡も発掘されているという
由緒ある小村神社の長い歴史に触れたひと時でした。
(写真撮影は禁止、図録など印刷物の発行もなく、ボランティアガイドさん手持ち写真の転写のため不鮮明画像はご容赦ください。)


  
本殿妻彫刻

  

コピー写真を転写させていただいたボランティアガイドさんのご案内で、もう一度、社殿を一周し、
菊紋(天皇紋)、桐紋(皇后・皇室紋)、蟇股に山内家家紋が見られる本殿の妻彫刻や、
宝永2年(1705)に建造された現在の社殿の柱の下に敷かれた虫よけの鉛や耐震構造について、教えていただきました。


土讃線で拝観にやって来た山脇君と遭遇し、尚徳館前で記念撮影

秋大祭の祭祀が行われた本殿


実をつけたサカキ


10時40分頃、秋大祭の祭祀が終わったようで、本殿から宮司さんが退出する姿が見えた後、
拝殿に置かれていた御神輿が境内に持ち出されました。

そんな珍しい光景も見ることが出来て、満足と共に、10時45分に小村神社を後にして、いの町へ戻り、
国道194号線を北上して、本川を目指しました。




11時20分に道の駅「633美の里」でトイレ休憩をしましたが、
国道194号線と439号線が交わる地に因み、二つの数字を足して、この吾北地区に生息するムササビにかけたのが
変わった道の駅名の由来だそうです。



40分ほど山道を進み、高知・愛媛の県堺となっている四国最長5432mの寒風山トンネル手前の「一の谷やかた」に
12時過ぎに到着しました。
吉野川奥支流の幽谷の地で、龍馬が愛し、長谷川平蔵が食したという軍鶏すき昼食というのが、
第4小高知の幹事さん達が選んでくださった西部遠足のプランでした。

平家の落人伝説に充ちた四国山脈の奥深く、鵯越(ひよどりごえ)に因んで名付けられた「一の谷やかた」は、
鄙にあって、雅びな趣きを見せるお店で、ちょうど見頃の紅葉がいっそうの風情を添えていました。




 
伊予路しゃも「負けんがやき寒太郎」

美しい景観、美味しい食材、懐かしい仲間達と3拍子揃えば、足りないもののある筈はありません。
ほっこりと、ゆったりと、和やかな昼食を堪能しました。
3人ずつで囲んだ鍋の奉行は吉永さん、坂井君、仁井田さんが務めてくださいました。



一の谷やかた敷地の裏手にモミジの紅葉が美しい一画が広がっていて、散り敷いた落葉の上を歩き、
紅葉狩りのひと時も楽しむことができました。

2時前に一の谷やかたを出発して、仁淀川水系の源流部のひとつ、程野地区へ向かいました。
最近、全国ネットTVでも取り上げられ、人気を博しているのが程野のにこ渕ですが、
興味津々ながら、ロープを使う急斜面があり、アラ古希世代には危険だろうというのが事前に得られた情報でした。


にこ渕

それでも気になるにこ渕で車を止めていただき、近寄って見ると「立入禁止 土砂崩れにより危険!!」となっていて、
残念と挑戦せずに済んだ安堵が半ばする思いだったのですが、
上って来る人や通りかった人の話から下りられそうだと判断、禁止標識をくぐって、降りてみることにしました。
結局、鎖場があるという下まで降りて行ったのは仁井田さんと合田君の二人で、
坂井君と私は滝つぼが見られた所で引き返すことにしましたが、
地元では水神の化身の大蛇が住むと言われている神秘的な雰囲気の一端を味わうことは出来ました。
時間にすれば、わずか15分ほどでしたが、満足感のある寄り道となりました。



崖で見かけたミヤマフユイチゴ


にこ渕からさらに20分ほど山道を進んで、程野の展望台から落差60mの東滝を展望、
スケールの大きい自然と出会うことが出来ました。
程野にはその他、西滝、権現滝、大樽の滝があり、それらが見られるという遊歩道の案内板を見て、
少し歩きかけましたが、行くだけでなく帰る時間も考えると、無理な行程だと直ぐに判明、
3時半に程野を出発して、高知への帰路に着きました。



仁淀川

森木車は「高知アイス売店」でひと休み、仁淀川の素晴らしい景色を見ながら、「土佐ジロー濃厚ソフト」を賞味しました。
(荒瀬車の皆様、打ち合わせが悪くて、ごめんなさい。)
最高のロケーションで、本当に美味しいアイスですから、高知の皆様も伊野方面へおでかけの折には是非お立ち寄り下さいね。

5時過ぎに高知へ戻り、森木車の川崎さん、坂井君と私の3人は廿代町のパレスホテル高知でお茶をして、
6時20分頃、近くの「La Pizzeria Nakayama」へ向かいました。



この夕食会は12日の同窓会にいらっしゃれなかった大西さんにお膳立てをしていただいたもので、
13名の中、この夕食会だけに出席された方が3名いらして、また一味違った雰囲気を楽しむことができました。


    

    

荒瀬君の終わりのご挨拶で、またの再会を約して、8時半頃に夕食会がお開きとなりました。
その後、「壁」での2次会に(朝から入れると、5次または6次会・・・?)半数以上が集まって、名残りを惜しんだ夜でした。



9時半過ぎに「壁」を出て、同方向の秋山さんのタクシーに便乗させていただくつもりでしたが、
ちょうどこの日に行われていた龍馬生誕&没後150周年イベントの余韻を残す帯屋町をおしゃべりしながら歩いていると、
「あら、もうオリエントホテル」ということになってしまいました。
10時過ぎにホテルへ入り、楽しく、無事に、成功裏に終わった4日間の同窓会と東西遠足に感謝しつつ、気持よく眠りにつきました。



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