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 2017・9・27 (水) 
羽田~福岡~宗像大社~志賀島~香椎宮~博多

9月の終わりに初秋の九州旅へ出掛けて来ました。
見かけは学生時代のサークル仲間3夫婦の旅ですが、実は、九州をレンタカーで周るという吉川夫妻の計画を春先に聞いて、
同じサークル仲間の矢野夫妻と、遠慮なくも便乗させていただいた、というのが正確ないきさつで、
少しの計画案交換はありましたが、基本的には飛行機と宿以外はほとんど未定のまま、4泊5日の旅が始まりました。

出発日の朝、8時前に羽田空港へ到着すると、9時出発予定のANA245便が機材整備のために20分遅延とアナウンスされていました。
時間に余裕がありましたから、2015年7月に導入されたという自動手荷物預け機「ANA Baggage Drop」もゆとりを持って初体験、
3夫婦も無事に合流して、のんびりと出発を待ちました。


羽田空港

ほぼ満席のB777-200機は、結局、30分近く遅れて羽田空港を飛び立ちました。
初めて経験する九州航路は、多摩湖上空あたりを飛んだ後、ほとんど雲の中となり、景色を楽しむことは出来ませんでしたが、
中部・中国地方上空から一旦、日本海へ抜けた後、玄界灘へと南下していったようです。


志賀島

海の中道

福岡空港へ向けて高度を下げ始めると、眼下に博多湾の志賀島、能古島、海の中道などが見え、旅の期待を高めてくれました。
出発時の遅れはそのままに、30分程遅れて、11時15分に福岡空港に到着しました。



TOYOTA 「 WISH 」

空港前でレンタカーを借り受けた後、福岡から北へ30km、宗像市へ向けて出発しました。
コンパクトなミニバン車はキャリーバッグ4個でトランクが満杯となり、ボストンバッグは座席下という状況になりましたが、
何とか収めることができて、先ず先ずの車内環境を整えることができました。


 

朝が早かったこともあり、走り始めてまもなく、「お腹が空いた」という声が上がり、旅の最初の食事となりましたが、
国道バイパス沿いでは高望みも出来ず、様子が分かっていて安心、都内にもチェーン店があるという「丸亀製麺」で、
メニューの豊富さと価格の安さに驚きながら、讃岐の(地元でなく残念・・・)釜揚げうどんランチとなりました。



鳥居の先に本殿

鳥居内側の太鼓橋

「丸亀製麺」を12時40分過ぎに出発し、50分程で宗像大社辺津宮に到着しました。
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、今年7月に国内21例目のユネスコ世界文化遺産に登録された宗像大社は、
予想したほどの人出もなく、静かな佇まいを見せていました。


    

天照大神の御子神として生まれた宗像三女神は、「道の中に降り天孫を助けよ」との神勅を得て、宗像の地に降臨、
田心姫(たごりひめ)は沖合60kmの沖ノ島・沖津宮、湍津姫(たぎつひめ)は11km沖の大島・中津宮、
市杵島姫(いちきしまひめ)は九州本土の辺津宮(へつみや)に鎮まったと、宗像大社は、日本書紀正伝に基づいて伝えています。
古事記とは女神の名前と順番に異同が見られますが、伝承内容は変わりなく、
九州北部沿岸部と玄界灘に勢力を持っていた海人系一族の宗像氏が三女神を祀ったことに由来する宗像大社は
国内有数の古社としての歴史を誇っているようでした。


辺津宮 拝殿

宗像大社の総社と位置付けられる辺津宮は、弘治3年(1557)に本殿・拝殿ともに焼失した後、
天正18年(1590)に切妻造の拝殿が再建されています。


本殿

天正6年(1578)に大宮司・宗像氏貞によって再建された桃山時代初期の様式をとどめる五間社流造の本殿は、
調和のとれた優美な姿を見せていました。



旅の前にたまたま放映されていた「美の巨人たち」日本の建築シリーズでは、
杮葺きには普通2~3mmの板を使う所、辺津宮では6mmのサワラ板を使うことによって質感、量感を増し、
表面の段差で波を表現、軒先を二段にすることによって曲線美を際立たせ、華麗さ、軽やかさを出している、
火災から守るお守りの妻飾りの懸魚に施された水色の彩色は波を表現、宗像氏の美意識の表れと説明していました。


祓舎 末社群

九州と朝鮮半島を結ぶ海洋航路に位置し、海の安全を護って来た三女神は交通安全の神とされ、
日本で初めて車のお祓いを行った神社となり、手水舎と向き合って、立派な祓舎(はらえしゃ)が設けられていました。
本殿を挟んで22の社殿に121の末社が鎮まっているという末社群は、江戸時代初期の整備と言われています。


      御神木「楢」                                    御神木「相生の樫」

  

宗像大社では皇統守護の由緒から菊のご紋を表紋、歴代大宮司家の楢の家紋を裏紋としているそうですが、
樹齢550年と言われる御神木の「楢」はカシワと見受けましたので、どんぐりの形が違う・・・などというのは野暮ですね。
「相生の樫」は九州の旅で最もよく見かけた樫、アラカシのようでした。



本殿を取り囲む広大な神苑には第二宮(ていにぐう)、第三宮(ていさんぐう)へ通じる「鎮守の杜の道」がありました。
右は立ち寄りませんでしたので、大社HPから写真を借用しましたが、
天照大神の命で三女神が降り立った場所とされ、古代の神籬(ひもろぎ)が行われる神苑北東に位置する高宮祭場で、
現在も毎月1日と15日に月次祭が行なわれています。



第二宮

第三宮

第二宮に田心姫、第三宮に湍津姫の分霊を祀った二つの唯一神明造りの社殿は、
昭和50年(1975)に伊勢神宮の内宮別宮である伊那奈岐宮、伊那奈弥宮の社殿が特別に下賜されたものだそうです。

昭和29(1954)年から46年(1971)まで、3次に渡る調査によって沖ノ島から発掘された
8万点に及ぶ国宝の神宝が収蔵された神宝館見学は割愛し、2時20分過ぎに宗像大社を後にしましたが、
3年程前に矢野さんと出光美術館で展覧した「宗像大社 国宝展」が、
「海賊と呼ばれた男」で有名になった出光佐三が沖ノ島の発掘調査や神社再建に深く貢献したことに
結びついていたことにようやく思い至りました。

吉川夫妻がご親戚のお見舞いに宗像市内の病院に立ち寄った後、次の目的地の志賀島へ向かい、4時前に到着しました。



志賀海神社

ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも吾は忘れじ志賀の皇神   (万葉集 巻7)

宗像氏と共に玄界灘を中心に活動した古代の海の民であった安曇氏が本拠地とした志賀島に鎮座するのが、
伊那奈岐の禊(みそぎ)から生まれた表津綿津見(うわつわたつみ)・仲津綿津見・底津綿津見の三神を祀った志賀島海神社で、
海上交通の安全、海産物の恩恵をもたらす海神の総本社として、古来より篤い信仰を集めています。



印鑰(いんやく)社

石造宝篋(ほうきょう)印塔 貞和3年(1347)建立

    

神功皇后の三韓出兵にまつわる伝承も残る志賀海神社の創建は明らかではありませんが、
約350年前に現在の社殿が再興されて、大正15年(1926)に官幣小社に昇格という歴史を持っています。



遥拝所

亀石

楼門

太鼓橋

拝殿前

御潮井(清め砂)

2005年3月の福岡県西方沖地震の折に、志賀島も甚大な被害を受けた爪痕は、
志賀海神社の建造物の基礎を固めたコンクリートの色などに今なお記憶を留めているようでした。

長野県安曇野市、石川県志賀市、滋賀県安曇川などに交易の足跡を残す安曇野氏への思いも馳せた志賀海神社を後にして、
周囲10kmあまりの志賀島を時計と反対周りに1周し、休暇村を車窓に見た後、蒙古塚に立ち寄りました。



2005年の地震ですっかり倒壊した様子の蒙古塚は、真新しい碑が立ち並ぶ一画となっていましたが、
異郷の文字に歴史が偲ばれるようでした。


  
センニンソウ                           エビヅル


蒙古塚を出て、海の中道へ向かう途中に、「漢委奴国王」の金印が出土したと伝わる記念公園への上り口がありましたが、
チェーンで閉鎖され、寂れた様子が窺えました。
国宝に指定された金印は福岡市博物館に常設展示されていますが、現在は、江戸時代の贋作説が優勢となっているようです。

香椎宮

志賀島から40分ほど、5時20分にこの日最後の目的地である香椎宮に到着しました。



仲哀天皇と神功皇后が滞在した橿日宮があったとされる香椎宮は、神功皇后が祠を建て、仲哀天皇の神霊を奉ったことに始まり、
神亀元年(724)に皇后自身の神託によって、香椎廟が創建されたと伝えられています。
仲哀天皇と神功皇后、二人の御子の応神天皇、伊那奈岐の禊によって志賀海神社の綿津見三神と共に成り出た住吉三神を祭神とし、
明治時代に官幣大社香椎宮とされています。


享和元年(1802)に再建された日本で唯一の香椎造の本殿

神楽殿

五大臣の一人を祀る巻尾神社

御神木「綾杉」

稲荷神社と鶏石神社




神功皇后が西暦200年に3種の神器「剣・鉾・杖」の上に植えられたと伝わる杉は、
海草の海松(ミル)のように葉が交わって綾紋に見えることから綾杉と呼ばれ、御神木とされています。

     ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成りけり  
                                                    (読み人知らず 新古今和歌集)
      秋立や 千早ぶる 世の杉ありて               (夏目漱石)  

神殿や末社を駆け足で、30分程で見学した後、5時50分に香椎宮を後にして、博多へ向いました。
カーナビなくしてはあり得ない、盛り沢山で、忙しくも満足な初日の行程となりましたが、
心配された雨も宗像大社で一度傘を差しただけに終わったことは、幸運のひとつに数えられそうです。


    

6時40分頃、この日の宿泊先、ホテルサンルート博多に到着し、部屋へ荷物を置いた後、
地下鉄に乗る&天神で食事をしたいという矢野さんの希望に沿って、天神まで行きましたが、期待したようなお店との出会いもなく、
結局、博多駅まで戻って、行きに目星をつけていたホテル裏の地魚を看板とした居酒屋「雑魚屋」で夕食となりました。
夕刻の博多の地下鉄には、シルバー世代がうろうろする姿は見られず、
そのお陰か、電車や道を尋ねた若者たちからとても親切にされたことが印象に残りました。



    

8時過ぎから「雑魚屋」で始まった夕食が終わったのは9時半近く、朝が早く、長い一日となりましたが、
先ずは、旅の本番へ向けて上々のスタートを切った初日に乾杯をしました。



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