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21 Oct.2012
 Santiago de Compostela~Padron~Santiago de Compostela

  

パラドールの朝食は幾種類ものハムやチーズにキャビアや丸ごとスモークサーモンまで並ぶ豊かさで、
小食を残念に思いながら、ゆっくりと、いつもより多目の食事を楽しみました。



この日の観光スタートは9時45分と遅目でしたので、8時半から1時間ほど大聖堂を中心に見て歩きました。
最初に向かったのは11~12C初頭に建設された南側のPuerta de las Platrias(=銀細工師門)です。
かって銀細工師が多く住んでいたというプラテリアス広場には、
4頭の馬像の上に星を手にした女神を置いた噴水があり、階段の上がプラテリアス門となっていました。

サンティアゴ・デ・コンポステラのサンティアゴは聖ヤコブのことですが、
コンポステラの語源については星の野(Campuss Stellae)や墓標(Compositum)など諸説あり、
女神が持つ星は街の象徴ではなく、魔女裁判を暗示する「Morning Star」(朝星棒)なのかもしれません。


  

改修の度に西や北扉口から移された彫刻が混じり、一貫性がないといわれるプラテリアス門の彫刻群ですが、
キリストの受難の物語が彫られた二つの扉口のタンパンや柱の足を組むダビデ像など、
今回の旅で見て来た巡礼路教会と同じ流れをくむロマネスク彫刻を楽しむことが出来ました。



主祭壇

アルフォンソ1世の許可を得たテオドミーロ司教が建てた9C初頭の小さな礼拝堂を基に、
アルフォンソ3世が899年に献堂した新教会がイスラム軍に破壊された後、
ディエゴ・ヘルミレス大司教が1075年に建築を始めたのが今に残るサンティアゴ大聖堂です。
増改築によってバロック様式で埋められた大聖堂ですが、
身廊の長さ40m高さ24mの基本的な三廊式の構造はロマネスク様式そのままに残されています。


 

17C半ばのチュリゲラ(スペイン・バロック)様式の主祭壇には上部に白馬に乗ったマタモロス・ヤコブ像、
中央に天使や弟子達に囲まれた金銀製のヤコブ像が置かれていました。


  

巡礼路様式の教会特有の周歩廊には礼拝堂が放射状に並び、ピラール聖母礼拝堂ではミサが行なわれ、
黒い聖母像を置いた礼拝堂もありました。



ゆっくりと 聖堂内を見学していると、プラテリアス門の方から二人の男性(私服の聖職者?)が、
重さ70kg、吊り紐を含めた長さ160cmの大きな香炉を運んで来るのが見えました。
神の目が描かれた大聖堂交差部ドームに設置された金具に香炉を吊り下げて振る「ボタフメイロ」は
14Cに始まった宗教儀式で、綱の先が柱にしっかりと巻き付けられて、5分ほどで準備が終了しました。



朝陽を受ける時計塔 (キンタナ広場)

元・ラホイ宮

旅仲間から「朝陽がきれいですよ」と教えられて、キンタナ広場へ写真を撮りに行った後、
プラテリアス広場に面した回廊の外壁を利用したお店を覗いて、
お定まりの?ホタテ貝のペンダント・トップを数個買ってからパラドールへ戻りました。
ガリシア自治州首相府とコンポステラ市庁舎が共有する1766年建造のネオクラシック様式の元・ラホイ宮の前で
大聖堂を背にして記念撮影をする巡礼者を見かけましたが、
逆光の朝よりは西日を受けた大聖堂の方がポイントは高そうだと思われました。


 

ラホイ宮ではマタモロスのヤコブ、大聖堂では杖と聖書を手にした巡礼姿のヤコブの像が
オブラドイロ広場を見下ろしていました。



フランコ通り

ヴィラ通り



9時45分から観光が始まって、先ず、ポルトガル方面からの巡礼路にあたるフランコ通りを通って、
かっては7つあった旧市街の門のひとつ南門を出て、アラメダ公園へ行きました。
公園入口でボーイフレンドを求めて公園へ通っていたという二人のフランス人女性像の出迎えを受けました。


並木道を少し入った所にノーベル文学賞を受賞した詩人ファン・ラモン・ヒメネス(1881-1958年)が
座っているベンチがありました。ベンチに偉人を座らせた像が好きなお国柄のようですが、
ともあれ、少し視線を上げたラモンが座っているベンチが置かれているのは・・・。




大聖堂ビュー・ポイントでした。朝陽の中で堂々とした姿を見せている大聖堂の全景を堪能した後、
老舗カフェや巡礼オフィスがあるヴィラ通りを通って大聖堂へ戻りました。



免罪の門

プラテリアス広場の回廊外壁

聖堂東側のキンタナ(=死 お墓があったことに因む)広場に面した17Cのバロック様式の免罪の門は
聖ヤコブの祝日7月25日が日曜日に当る聖年にだけ(前回は2010年)開かれるそうです。
左側が「レアル門」、右側が「聖なる門」と呼ばれています。



プラテリアス広場

サン・ヘロニモ神学校

プラテリアス広場の噴水奥に見える赤い窓の建物は展示場として使われている18Cのチャプターハウスで、
オブラロイド広場南側にパラドールと向き合って建つ初期ルネサンス様式のサン・ヘロニモ神学校は、
現在はサンティアゴ大学の学長オフィスとして使われているそうです。



10時半から30分程、大聖堂博物館を見学しました。
内部は撮影禁止でしたので、バルコニーや回廊で写真を撮りましたが、
バルコニーからの写真を見ると80mX100mのオブラロイド広場の大きさがよく分かります。



巡礼者用水盤

回廊に置かれた鐘

回廊の中庭に置かれている水盤は元々は北門の外に置かれ、巡礼者が身体を清めていたものだそうです。
回廊に沿って、司教者達の墓が並んでいるのも見られました。



現地ガイドのルシアさん

博物館では中世の聖具類、石の聖歌隊席、ルーベンスやゴヤが下絵を描いたタぺストリー、
レパント海戦旗、図書館内のボタフメイロ置き場(この日は本物の代わりにコピーが置かれていました。)、
ロイヤル・チャペルの聖遺物、宝物館では主祭壇のヤコブ像が18Cから2004年まで着ていたマントや
聖年に免罪の門で使う銀製のハンマーなど大聖堂に因む様々なものを見て、
長い歴史を目で確かめることが出来ました。




11時過ぎにボタフメイロで焚かれた乳香の匂いがたち込める大聖堂内の中へ入り、
次回の12時から始まるボタフメイロ見学のために北側翼廊の座席を確保した後、
ガイドのルシアさんや添乗員Iさんの案内でペラーヨ女子修道院へクッキーを買いに行きました。
店構えをしている訳ではありませんので、場所も買い方も案内なしには無理な買物でしたが、
予定していたお土産を無事に入手、それらを夫がパラドールへ置きに行くという役割分担もうまく運び、
ほっとしながらボタフメイロを待ちました。
伝統的なクッキーやサンチャゴ・ケーキは凝り過ぎない素朴な味が好評でした。


11時50分ごろから修道女による賛美歌の練習があった後、12時から巡礼ミサが始まりました。
祈祷と唱和、賛美歌合唱、この日サンティアゴへ到着した巡礼者の出発地、国籍、人数などが読み上げられた後、
聖体拝領に入ってから、禁止されていた写真撮影を解禁しました。
(ミサの間は厳禁と言われていた割には撮っている人もいたのですが・・・。)
司教の背中の黄色いマークはサンティアゴを象徴する「剣十字」マークです。



かっては特別な祭礼の時に行われていたボタフメイロ(ガリシア語で香炉の意)ですが、
現在は寄進次第の面もあり、旅仲間が添乗員Iさんの重めの口を割って聞き出したところによると、
260ユーロの支払いによってボタフメイロがほぼ確約され、
ミサの時に「ハポンの寄付により・・・」と発表されることになったようです。

中央に進み出た男性が腰につけた鍵で香炉の蓋を開け、司祭が香料を入れて点火して蓋が閉じられると、
ボタフメイロは一気に垂直に引き上げられた後、翼廊に沿って左右にゆっくりと振子運動を始めました。

  

最大時速70km、振幅65m、高さ22mまで達するというボタフメイロは、
堂内を香煙で充たし、天井にぶつかるかというクライマックスを見せた後、徐々に減速していきました。



降りてきた香炉をつかんだ男性が自身の身体を回転させて振子運動を止めるまで
2分程のパフォーマンスでしたが、そもそもは巡礼者のにおい消しが目的だったというお清めの儀式は、
迫力があって、面白い演劇性を伴ったものでした。



大香炉が運び出され、司祭も段を降りて退場して、1時過ぎにボタフメイロが終了しました。

 

かっては巡礼者用の入り口であった北側の天国の門から外へ出てフリータイムとなりましたが、
私達は添乗員プログラムに参加して、昼食後、電車でパドロンへ行くことにしました。
天国の門は門前の広場にアサバチェと呼ばれる黒い木の化石を細工する職人が集まっていたことに因み、
アサバチェリアの門とも呼ばれています。


  

  

「REST MESON KULIO」で添乗員Iさんチョイスのカンタブリア海の幸のランチをシェアして、
美味しく、楽しいランチ・タイムを過ごしました。



サンチャゴ・デ・コンポステラ駅

国鉄「Renfe」

旧市街を抜け、南へ歩いて、新市街のサンチャゴ・デ・コンポステラ駅へ20分程で着きました。
「Renfe」の乗車時間はわずか20分足らずながら、それでも鉄道が旅気分を高揚させてくれた小遠足でした。



サンティアゴ教会

サル川

ヤコブの遺骸を載せた小舟が漂着したという伝説を持つパドロン(=河口 旧名イリア・フラビア)に3時前に到着、
遺骸を載せた石が収められていると言われるサンティアゴ教会は閉まっていましたので、
ロープで舟をつないだという石(コピー)をサル川岸へ見に行きました。



聖なる石?

 

「Bodegon O Carro」

巡礼宿

教会が開くかもしれないという時間つぶしもかねて、バルで一休みして、
シシトウとピーマンの中間のような地元名物のピミエント料理ピミエントス・デ・パドロンをつまみました。



「ピミエントス・デ・パドロン」

オリーブ・オイルで揚げて塩をふっただけのものですが、人によっては癖になる味かもしれません。
時に目が覚めるというか、口の中がしびれてしまうような激辛物も混じっていました。



結局、教会は開くことはなさそうだと諦めて、丘を上って、巡礼宿でスタンプをもらった後、
さらに上の教会前からの眺望を楽しんで、2時間余り滞在したパドロンを後にしました。



休日の夕刻のせいか、パドロンから乗った電車は満員でデッキに立ったままの帰路となりましたが、
5時半に混雑したサンチャゴ駅へ無事に降り立ちました。



ラドールへの帰途、ヴィラ通りの巡礼オフィスに寄って巡礼手帳に最後のスタンプをもらいました。
入念なチェックを受けて発行される巡礼証明書は有料ですが、スタンプだけなら無料で押してもらえます。


 
  成田巡礼証明書(コンポステラーノ)



スペイン国内の主要巡礼路800kmの中、徒歩で100km、自転車なら200kmをこなした人がもらえる
巡礼証明書には手が届きませんでしたが、
10月14日のパンプローナから始めたスタンプ収集は8日間でそれなりの成果が得られました。

6時半にパラドールへ戻り、一休みした後、7時半にペラーヨ女子修道院へグレゴリア聖歌を聴きに行きました。
女声の聖歌も味わい深く、私達に視線を向けた男性司祭による
「あらゆる国の人の訪問を歓迎する」というような英語の挨拶もうれしいものでした。

8時に修道院を出てパラドールへ戻り、夫と落ち合ってから、お土産の買物をした後、夕食に行きました。
フランコ通りでレストランを物色していて、「日本人がいるよ」と誘い込まれたお店に入ると、
ペラーヨ女子修道院から直行した旅仲間10人程がテーブルを囲んでいました。


  

途中からでは仲間入りは難しいですので、添乗員Iさんに貝料理のオーダーを頼んで別テーブルに座ると、
二人用のメニューを渡されましたので、量が多すぎるだろうなぁ・・・とサラダとパエリャだけ注文しました。
貝があるからパエリャはシンプルなものをと思ったのですが、
結局、テーブル担当が違ったのか、貝料理は忘れられてしまいましたので、
ボーイに押し切られて注文したロブスター・パエリャが大成功だったという結果になりました。
支払いを済ませると、「ちょっと待って」と持ってきてくれた食後酒をほんの真似事体験してみました。



9時50分頃、パラドールに戻って、サンチャゴ旧市街と小遠足を楽しみ、
旅のフィナーレに相応しい充実した、そして、お天気にも恵まれた一日が終わりました。


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