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11 Oct.2012
Andorra〜La Seu d’Urgell〜Espot〜
Parc national de Aiguestortes〜Vielha



ホテルの部屋からの眺望

ホテル近くの景色

夜半の雨が上がった中、9時15分にアンドラ・ラ・ベリャのホテルを出発、30分程で到着した国境ゲートで、
希望者はパスポートを添乗員Iさんに預け、(日付の入らない)記念スタンプを押してもらいました。
アンドラ公国は避暑やスキーの観光業とトラックなどの通行税を主な国家財源としていますが、
ガソリン以外は免税とあってヨーロッパ各国からの買物客も多く、出国時には制限量検査などあるようですが、
日本人観光客のバスはノー・チェックで通過できました。

   

神学校

左:神学校  右:パラドール

アンドラから10kmほど南下、10時ごろセウ・デ・ウルヘルに到着しました。
バスターミナルから歩いて街の中心へ向かうと、現在は使われていないという立派な神学校の建物があり、
その前を右折した左側にパラドール、突き当りにサンタ・マリア大聖堂が見えました。



街の下に広がる田園風景

街の中心広場

サンタ・マリア大聖堂の下方には緑豊かな田園風景が広がり、セウ(=司教座)・デ・ウルヘルが
カタルーニャの宗教の中心地として栄えた中世以来の古都である様子が窺えました。



サンタ・マリア大聖堂

サン・ミゲル教会

11Cに建てられたサン・ペドロ教会とサン・ミゲル教会を12Cに結合したサンタ・マリア大聖堂の後陣には、
北イタリアのロンバルディアから導入した様式の窓や蛇腹帯が見られました。



サンタ・マリア大聖堂 正面

サン・ミゲル教会

 

後陣からサンタ・マリア大聖堂の正面に回ると、黙示録の怪物と思われる彫刻が施されたファサードや
トンネル・ヴォールトの天井を持つ3廊式の内部など典型的なロマネスク様式が見られましたが、
スピーカーから流れる聖歌や中庭回廊を隔てたサン・ミゲル教会でプロジェクターで再現していたフレスコ画など
観光客サービス過剰・・・とも思えた司教座教会でした。





13Cに造られた中庭回廊の柱頭彫刻にはイスラムの影響を受けたモサラベ様式の怪物や文様が多く見られ、
番号がふられているアーチもあり、修復が続けられている様子でした。



ベアトゥス写本 (絵葉書より転載)

壁画、聖母子木像、ローマ教皇から贈られたという13Cの司教衣、聖具などが展示された付属博物館の目玉は、
8Cにベアトゥスが書いた「ヨハネ黙示録注解書」を基にした10Cの写本で、
「名物」と評される仕切り屋おじいさんの指示に従って、日本語ビデオを観た後、実物と対面しました。
本に登場する7つの頭と10本のつのを持ったドラゴンに代表されるサタン達は、
敵であるイスラムを象徴していると言われますが、鮮やかな色使いや人物、動物表現がオリエント風で、
イスラムの影響が明らかな所に歴史の綾が感じられる写本でした。
このように挿絵の入った写本は世界中に25冊しか現存しない(教会パンフレットによる)と言われています。

11時半にバスに戻ってセウ・デ・ウルヘルを出発し、山道を走り、峠を越えて、
アイギス・トルテス国立公園の東側入り口に位置するエスポトに1時過ぎに到着しました。




エスポトでのランチ・メニューは肉詰め茄子、地元名物「うずらの香草焼き」、クリーム・ブリュレでした。
うずらは見かけもさりながら、食べにくさも手伝って、残してしまうことになりましたが、
焼き立てを豪快に手づかみ出来たら、「名物」域に達するのかもしれません。

この時、自己紹介の時間がもたれ、夫婦6組、友人や単独、様々なスタイルで男性2名、女性9名が参加、
60代を中心に30代から80代までかなり幅広い年齢層の23名が今回の旅仲間であることが分かりました。



ランチ・レストラン 「HOTEL ROYA」

エスポト村

ランチを終えて外へ出ると、食事中に降り続けていた雨がちょうど上がった所で、
幸運を喜びながら、ピレネー山脈の山懐の鄙びたエスポト村の景観をカメラに収めました。

その後、レストラン前に待機していたランドクルーザー3台に分乗して、
「うねうねと流れる川」を意味するというアイギス・トルテス国立公園へ向かいました。
山道に入ると、しばらく舗装道が続いた後、突然、上下左右に身体を振られるオフロードに入り、
頭をぶつけた夫人に「おい、車を壊すなよ」と声をかけるIさんのジョークに気を紛らわしたりしながら、
30分ほどのハード・ドライブをやり過ごすことになりました。



難行の後に待っていた景観


下車してから、展望台までさらに10分程歩きましたが、目の前に広がる雄大な自然を見ると、
難行の不平もたちどころに消え去って行きました。
氷河に削られた地形、ころがる花崗岩や石灰岩、広葉樹が少し混じる針葉樹林が奏でる自然のハーモニーは
荒々しくはあっても、潔よく、心地よさを感じるものでした。



     サン・マウリシオ湖とエンカンタッツ峰
         

標高2190mの展望台からダム湖のサン・マウリシオ湖や標高2747mのエンカンタッツ峰の景観を楽しみ、
お決まりの記念写真を1枚・・・となった訳ですが、そろそろ下山という頃に雲が視界を遮り始め、
本当にお天気運に恵まれた一日となりました。



ラテラ湖

乗車したランドクルーザー

サン・マウリシオ湖

ダム設立記念碑?



ラテラ湖、サン・マウリシオ湖で写真ストップを取りながらエスポト.へ戻る途中、
森の中にシカの群れを発見し、私達が出した大声に、運転手さんが車を一瞬止めてくれた車窓から、
コンパクト・デジカメで頑張って?大ボケながら証拠写真を物することができました。

1万230haの広さを持つ国立公園のほんの一端に触れただけですが、
満足感と共に4時半にエスポトを出発、この日の宿泊地アランの谷のビエリャを目指して1時間余りドライブ、
標高2072mのボナイグア峠を越えて、5時45分にビエリャのパラドール(国営ホテル)に到着しました。



パラドールのバルコニーから見たビエリャの村は虹と共に私達を歓迎してくれたように見えましたが、
この日、夕食のために8時半にロビーに集まった時、
スペイン全域で半公務員が勤めるパラドールとしては異例のストに入ること、
このビエリャのパラドールではレストランがストを行い、食事がミニマム・サービスとなることが、
添乗員Iさんからアナウンスされ、ちょっとした衝撃が走りました。
「レオンやサンチャゴはどうですか?」「今の所、何とも言えません。」・・・
じたばたしても仕方のない一筋の暗雲が旅の道連れとなってしまいました。




小さなアミューズ、パンプキン・クリームスープ、白身魚、チョコレートケーキとミントアイスと
見かけは悪くない夕食メニューですが、今回の旅では味がワースト・クラスだったのはストの影響でしょうか。
それでも旅慣れた面々で囲んだテーブルは旅話で盛り上がり、楽しい食事時間を過ごしました。
連泊で荷造りがなく、10時には就寝出来たこともうれしい夜でした。


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