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2022・11・12 (土)
正倉院展~東京

旅行社より10月末に届いた最終日程表で12日はホテルチェックアウト11時、京都駅15時16分の新幹線と分かり、
少し慌ただしいかもしれないけれど、帰京前に正倉院展へ行く時間が取れそうだと思いつき、
早速ネットで空席を確認して、12日9時の前売り券をローソンで入手しました。
結果的には12日はJR奈良駅改札口に1時に集合ということで午前中いっぱい滞在を楽しむことが出来ました。

春日大社境内入口 大楠

昨夜買っておいたコンビニ簡易朝食後、ホテルフロントに荷物を預けて、8時頃のバスで国立博物館前まで行き、
正倉院展へ行く前のひと時を飛火野(とびひの)散歩で過ごしました。

春日大社表参道に面した飛火野という広大な芝地は、
古くは春日野と呼ばれた御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地で
鹿島大明神がこの地に着いた時、お供の矢代尊(やしろのみこと)が道明かりとして口から火を吐き、
その炎がいつまでも消えず飛んでいるように見えたこと、
または古代の通信、烽火(のろし)=飛火が名前の由来とされ、
万葉の昔から貴族たちの打球、若菜摘み、花見などの遊びの名所ともされていたそうです。

10月28日に斎行された春日若宮正遷宮(本殿遷座祭)を祝う門から春日大社境内に入ると、
先ず目に入って来たのが「飛火野の大楠」と呼ばれる巨樹で、
明治41年(1908)に明治天皇が陸軍大演習の饗宴に臨席された時の玉座跡に植樹されたクスノキでした。
3本が一体化したように見える大楠は、樹高23.5m幹周4.83mの堂々たるものでした。

この広大な芝地管理に鹿(≒芝刈り&肥料散布)が貢献していることは間違いないと思われますが、
8世紀頃には御蓋山から飛火野までイチイガシが優占していたと考えられている照葉樹林帯を
現在のような芝地にしたのも鹿なのかもしれません。



鹿が葉を食べる高さ2mをdeer line(鹿摂食線)と呼び、その高さまで金網で保護されている街路樹もありました。

   
飛火野の朝景色

飛火野の奥まったあたりの朝日を受けたナンキンハゼ、サクラ、モミジの紅葉と鹿のコンビネーションは
これぞ奈良!の光景で、この写真スポットにはカメラ隊の一団が陣取っていました。

旧奈良県物産陳列所 鷗外の門

飛火野を後にして国立博物館へ向かう途中、不思議な建物を見つけ、帰宅後調べると、
旧奈良県物産陳列所、現在は奈良国立博物館仏教美術資料研究センターとのことでした。
外観は飛鳥時代以来の日本の様々な建築様式や平等院鳳凰堂の意匠を取り入れ、
窓にはイスラム建築のモチーフ、内部は洋風意匠を持つという
明治35年(1902)に辰野金吾の弟子、関野貞によって建てられた重要文化財指定の近代建築で、
通常は非公開となっています。

その先、国立博物館敷地の東北隅の一角に「鷗外の門」がありました。
森鷗外(1862-1922)は大正6年(1917)12月から11年(1922)7月に現職で亡くなるまで、
帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)を務め、毎年秋には約1か月奈良に滞在し、
正倉院の曝涼(ばくりょう=虫干し)や開閉封に立ち合い、調査・修理の監督、指導にあたったそうです。
昭和20年代に取り壊された官舎に残されていた門を平成11年(1999)に修理、
「猿の来る官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり」という石碑と鹿が門を守っていました。
「戸あくれば朝日さすなり一とせを素絹の下に寝つる器に」
鷗外が初めて開封の儀に立ち会った時に詠んだと言われる歌です。

奈良国立博物館 東・西新館 入場待ちテント

チケットに10分前より早く並ばないようにという注意書きがありましたが、
20分程前に会場前へ行くと既に数十メートルの列が出来ていて、並んでいる間にチケット確認があり、
9時になるとほとんど渋滞することもなく、会場内へ入場することができました。



昭和21年(1946)に第1回目を開催、東京国立博物館で開催した昭和24年、34年、56年を除いて、
奈良国立博物館で毎秋開催、今年74回目を迎えた正倉院展には、
約9千点といわれる所蔵品の中から59点が出展されていました。
図録の中から数点をご紹介しましょう。

-正倉院宝物の成り立ち-

白石鎮子(はくせきのちんす) 全浅香(ぜんせんこう)
唐由来と見られる大理石のレリーフ

香木:ジンチョウゲ科ジンコウジュ属の常緑樹

漆背(しっぱい)金銀平脱(へいだつ)八角鏡 銀壺(ぎんこ)
聖武天皇ゆかりの唐からの舶載鏡 称徳天皇奉納の大型の銀製壺

-調度の美-
鳥獣花背円鏡 金銀平脱皮箱
遣唐使が将来した霊獣と葡萄模様の鏡

8世紀の金銀飾り、黒漆塗の皮箱


-天平の演劇世界-
伎楽面 力士 大歌緑綾袍(あやのほう)
大仏開眼会で用いられた楽舞の面

大仏開眼会で用いられた綾の上着

-仏教荘厳の美-
金銅幡(ばん) 鉄三鈷(さんこ)
寺院堂内や法会の場を飾る荘厳(しょうごん)具

唐由来の鉄製の古密教の法具

-宝物の保存 東大寺屏風-
 
象木・鸚鵡(おうむ)﨟纈(ろうけち)屏風 錦繍綾絁(あしぎぬ)等雑張
絹製ろうけつ染めの屏風

東大寺屏風に貼り交ぜられた染織品

長年宝物を守って来た校倉造の宝庫は平成9年(1997)に国宝指定、翌年に古都奈良の文化財の一部として、
ユネスコの世界文化遺産に登録されていますが、
昭和27年(1952)に東宝庫、昭和37年(1962)に西宝庫、共に鉄筋コンクリート造り、空気調和装備完備の宝庫が
建築された後、現在は宝物の大部分を収蔵する西宝庫が正倉に代わる勅封倉となり、
毎年秋季に開封され、宝物の点検や調査、防腐剤の入れ替えなどが行われています。
東宝庫には染織品を中心とした整理中の宝物や聖語蔵経巻が収納されています。

その西宝庫の開封に合わせて行われるのが正倉院展で、
2022年は10月6日に開封、10月29日から11月14日までの会期に8万7672人が展覧した後、
12月2日に「閉封の儀」が営まれたそうです。


「閉封の儀」 -読売新聞オンライン画像借用-

庫内の六つの扉の錠に麻縄を巻きつけ、天皇陛下から託された紙をその上に結んで、
宝物は翌秋まで封印されることになります。
例年、20数万人が訪れるという正倉院展をコロナ期の入場制限で半数以下の環境で拝観できたことは
私達にとっては幸運でしたが、国立博物館の予算不足の報道には憂慮が禁じえません。

なら仏像館

正倉院展入場券でなら仏像館(旧・奈良国立博物館本館)の入場も可能でしたが、
正倉院展を充分に堪能しましたので、仏像館のネオバロック様式の外観を見ながら奈良公園を散策しました。

興福寺境内 大湯屋

興福寺方面へ向かい、境内を歩くと、都市公園でありながら自然が残され、
山懐に抱かれた奈良独特の風景に気持ちがなごむようでした。
近くにあった非公開の建物「大湯屋」は寺院の風呂場として使われていたもので、
現在の建物は部材の特徴から五重塔再建と同時期の応永33年(1426)頃のものと考えられています。


    

  

11時頃、国立博物館の真向いの「下下味(かがみ)亭」へ行き、
正倉院展の間だけのメニューというビーフシチュー・ランチをいただきました。
写真は撮り忘れましたが、食後のホームメイド・チーズケーキ共々、ほっこりする家庭的な味わいでした。

12時頃、レストランを出て、歩いてホテルへ戻り、荷物を受け取って、
少し早めにJR奈良駅へ向かいました。

JR奈良駅コンコース 奈良物産店 みやこ路快速

週末の奈良駅コンコースに出ていた奈良物産展を覗いていると吉野町ブースの方から、
「いかがですか?」と勧められて、「賞味期限10分の葛菓子をいただいて来た」などと話している中に、
その女性がボランティアガイド依頼の件で次女とメールのやり取りをし、
「ご希望は西行庵ということですが、ご両親さまはご健脚でいらっしゃいますか?」と質問をしていらした
吉野ビジターズビューロー事務局の梅本さんと分かり、偶然に驚くと共に、
盛りだくさんだった奈良旅にもう一つエピソードが加わって、いっそう楽しい締めくくりとなりました。

1時23分発JRみやこ路快速に乗って2時12分に京都に到着、小1時間の自由時間の後、
3時16分ののぞみ392号で帰路につきました。


浜名湖 富士山シルエット

日暮れていく風景を車窓に2時間余り、品川駅に5時21分に到着して、渋谷でタクシー待ちをしましたが、
駅周辺で行われている大規模改修工事のため、待ち時間の見通しが立たない状況がみられましたので、
諦めてバスに変更して、6時半過ぎに帰宅しました。

ということで、帰京してからの徒歩数も加わって、最終日の歩数は15251歩となりました。
歩きに歩いた1週間旅の直後は奈良を充分に堪能した思いでしたが、
時間を経ると足りない部分も多々と分かり、再訪の機会を得たいという思いが湧いています。

                                            (2023.1.12)


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