「諏訪ノ湖水眺望」 渓斎英泉画 (1790-1848) かつては諏訪湖に突き出していた水城の高島城は、「諏訪の浮城」とも呼ばれていたそうですが、 江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影を失ったと言われています。 創作がかなり加わっているとは思いますが、江戸の雰囲気が伝わって来る英泉の浮世絵です。 高島城天守閣
御頭御社宮司総社 大祝、神長官と共に初めて出会ったのがミシャグジ神という言葉でした。 諏訪大社は建御名方命ほか3神の出雲系の神が御祭神とされていますが、祭祀は樹木や石や生神・大祝に降りてくる精霊である 御社宮神、御作神、御左口神など様々に表記される諏訪地方古来の神、ミシャグジ神を中心に行われ、 表向きは中央政体に従いながら、縄文時代以来とも伝わる土着の神を守り継いで来た諏訪独特の信仰が見えて来るようでした。 ミシャグジ神を祀る諏訪地方の神社の総社とされるお社が守矢家敷地の高台にありました。 神長官守矢資料館 神長官守矢資料館は守矢家に伝わる1600点に及ぶ古文書や家伝品を保存、公開するために平成3年(1991)に建てられたもので、 建築家としての藤森照信氏のデビュー作品ともなっています。 壁土を塗った外壁面の一部にサワラ手割り板を貼り、屋根には天然スレートや地元産の鉄平石を用いて、 外見的には鉄筋コンクリートの構造を見せない造りが、周囲の景観にすっかり溶け込んでいました。 正面入り口の庇を貫く地元産のイチイの木を用いた4本の柱は、偶然、設計の鉛筆が走って生まれたものだそうですが、 上社祭器の薙鎌(なぎかま)が打ち込まれた姿には、原始の力強さが込められているように感じられました。 兎の串刺し 耳裂鹿(みみさけしか) 鹿・猪の頭 館内には諏訪大社上社の最も重要な神事とされる御頭祭の神前供物が復元展示されていました。 これは江戸中期、天明4年(1784)に御頭祭を見た菅江真澄の細密なスケッチによるもので、 御贄柱(おにえはしら)、さなぎ鈴、根曲太刀、藤刀、弓矢などの神前祭具や猪の皮焼き、脳和え、生鹿、生兎、五臓などの肉料理が 狩猟との結びつきが強いといわれる諏訪のお祭りの一端を伝えていました。 耳裂鹿というのは、神前に献ずる75頭の鹿の首の中に必ず、神の矛にかかった耳の裂けたものがあったという伝えによるものです。
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