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シタデル・ローマ劇場 |
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南シリア随一の観光都市ボスラは青銅器時代からの遺跡が残り、エジプト第18王朝のアマルナ文書に
ブスラナとして出てくる歴史のある街です。BC332年にアレクサンダーに征服された後、
BC1Cにはナバテア王国の北の都として発展、AD106年トラヤヌス帝時代以降はローマ属州の州都となります。
ビザンティン時代には大司教座が置かれていましたが、7Cにシリアで最初にイスラム化された町となり、
17C以降はこの地方の中心はダラーへと移り、衰退の一途をたどって行ったそうです。
アラブによって出入り口や窓が石壁で塞がれ、要塞化された2世紀建造のシタデル・ローマ劇場から
ボスラ見学が始まりました。この劇場は1946年に砂の中から発見され、修復が始まったそうです。
十字軍対抗のために作られたアイユーブ朝時代の外壕を渡り、外壁を潜り抜けると、
黒っぽい火山性の石(玄武岩?)で作られたほぼ完璧な姿のローマ半円形劇場が現れました。
ローマの有力者像が飾られていたという正面舞台の白い列柱は修復ですが、黒い部分はオリジナルで、
下から14、17、6列と3段階に配列された客席が演出効果を高め、
「はけ口」からは5000人の観客が5分で外へ出られる構造になっていたそうです。
現在も秋にはフェスティバルが行われるという劇場はこの日は遠足の子供達や観光客で賑わっていました。
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遺跡の上に現在の町が造られたボスラは遺跡の中で人が暮らしている1980年世界遺産登録の町で、
地元の子供達の姿も多く、向こうから写真をせがんで来る場面もよくありました。
劇場を出て、東側にある12Cアイユーブ朝時代の広い貯水池跡を見に行きました。
湧水が多く、土壌が肥沃なシリア有数の穀倉地帯の優れた灌漑システムであっただろうと思われました。
右下のデコレーション過多なバスは、3〜40年前の公共バスを個人が所有して、
通常より安い運賃で運行しているのだそうで、ちょっと面白いお国柄が窺われました。
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ナバテア人の門 |
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ビザンティン大聖堂 |
修道院 |
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トルコ人観光客 |
オマール・モスク |
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ナバテア人の門からローマ遺跡が多く残る区域へ入って行きました。
この門からローマ時代のメインストリートが東西に900m続いていて、西の入口には「風の門」が立っています。
511年に建てられたビザンティン大聖堂にはアマルーラ村と同じくサルキスとバコスが祀られていたそうです。
キャラバン隊の一員として、おじに連れられてこの地に立ち寄った12歳のムハンマドが、
ネストリア派の修道士バヒーラからキリスト教を学んだと言われる修道院の前も通りました。
その時バヒーラは「この子に気をつけなさい。将来立派になります。」と言ったと伝えられています。
オマール・モスクはBC1Cの神殿、AD1Cのローマ時代のアーチを利用して720年に造られたものだそうです。
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子供達と写真を撮ったりしながら、ハマム(トルコ式風呂)へ向かいました。
ハマムで出会った4人組のイラク人は「我々はテロリスト!」と銃を構える格好をして笑わせてくれました。
観光が出来るイラク人は恵まれた階層と言えるのでしょうか・・・。
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ボスラ独自のコインが発見されたことが貿易拠点としてのボスラの繁栄を物語るアゴラの前を通って、
4本の高さ13mのコリント式円柱が残るメインストリートの中心に出ました。
右下の写真は列柱通り半ばにある「灯りの門」です。
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様々な施設が完備したローマ式共同浴場跡 |
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最後にシリア国旗でお見送りを受けて?黒っぽい石造りが独特の雰囲気をたたえるボスラ遺跡の観光を終え、
少し早目の4時半にホテルへ戻りました。
ホテルの部屋からローマ劇場の外壁が見えましたが、周りには何もない所でしたので、
この日は7時の夕食まで部屋でゆっくりと過ごしました。
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