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15 Mar 2008
Bosra〜Jerash〜Amma
ボスラ・シャーム・パレス・ホテル シタデル・ローマ劇場

旅も3分の2を過ぎた所で、体調は問題なく、もう必要はなさそうだということで荷物減らしのために、
部屋でお湯を沸かして、持ってきたおかゆを朝食にしました。
夫はそれは前菜で?その後、いつも通りレストランへ出掛けて行きましたけれど。
9時出発までの間、少し外へ出てみたり、私達以外に宿泊客のいなかったホテル内を探索してみました。
イスラム圏のホテルによく設けられている床に座るコーナーは、
使われているのは見たことがありませんが、頼めばカフェやバーになるのかもしれません。
シリア・ツアー・スタッフ3人の最後のミーティングがロビーで行われていました。



 

9時40分頃、南シリアの中心都市ダラーを通過すると間もなく国境に到着しました。
係員がバスに乗り込んで来て、出国スタンプの押されたパスポートと顔を1人ずつ照合したりしましたが、
順調に20分ほどで出国、ファイサルさんとはここでお別れとなりました。
「初めの5日間は‘difficult’に感じたが、後半は楽しい旅が出来た。これをきっかけに皆さんがシリアを
好きになってくれたらうれしい。」と挨拶したファイサルさんは怒ったり、踊ったりする珍しいガイドでしたが、
寂しさも深く感じていたのでしょう、1人ずつ握手をしてバスを降りる時には、目を合わせようとはしませんでした。
ダマスカス大学英文科の出身で、年間100日程のガイド以外は読書と物書きをしていて、
年齢は52歳だと最後に明かしてくれましたが、奥さんが4人いるというのは誰も信じませんでした。
10日間の総走行距離は2162km、国土面積が日本の半分程のシリアをほぼ1周した感じです。

オリーブ畑が続く2km程の緩衝地帯を走って、アブドゥッラー2世ヨルダン国王の看板の出迎えを受け、
10時10分頃にヨルダンに入国しました。
バスから降り、個々にスーツケースなどの荷物チェックを受けた後、外で待機していると、
11時頃、ヨルダンのガイド、サミュエルさんからバスに戻るよう案内がありました。
バスの中でもう一度、係員の個別チェックがあった後、無事にヨルダン旅がスタートしました。
1時間20分ほどの出入国手続きは、結構、順調な方だったのではないかと思います。



シリアは60%、ヨルダンは80%の国土が沙漠地帯だそうですが、国境からアンマンへ向かう車窓は、
ヨルダン高原に沿った緑地地帯が続いていました。ヨルダン川流域はヨルダン唯一の農業地帯だそうで、
既にBC1万年から農業がおこなわれていたそうです。

12時前にジェラシュに到着し、シリアのバスとドライバーのサイさんとはここでお別れ、
左側のヨルダン国旗が描かれたバスにスーツケースが移し替えられました。
物静かなサイさんにはファンもいましたが、運転は腕の良さと同時に強引さも時々見られ、
ヨルダンのドライバーのマハムートさんはバスが少しポンコツだったせいか、運転はかなり慎重でした。



 

ガイドのサミュエルさんのいう「開かれた博物館」ヨルダンには日本の4分の1の国土に3万の遺跡があるそうです。
国境の町ラムサから30km、北ヨルダンを代表するジェラシュ遺跡に寄りました。
ジェラシュは大シリア(シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエルを含む地域の20世紀初頭までの歴史的呼称)に
ローマ帝国がフィラデルフィア(アンマン)、ダマスカスなどと共に築いたデカポリス10都市のひとつで、
749年の地震で土の中に埋もれてしまったことが幸いして、かなり保存状態良く、
1806年にドイツ人考古学者に発見されたそうです。

ローマ皇帝ハドリアヌスが129年に訪れたことを記念して作られた高さ10.8mの凱旋門を入ると、
ローマ戦士のような格好をした人を見かけ、早速カメラを向けましたが、
どうやら左側にあるヒッポドローム(戦車競技場)で行われていた剣闘士ショーが終わった所だったようです。
2Cに作られた戦車競技場は160m×65mの大きさでした。


南門 ゼウス(アラム系男神ハダト)神殿跡
南の劇場 楕円形の列柱が珍しいフォーラム
アルテミス神殿 北劇場

ニンファエウム(ニンフの泉神殿)
南北を貫く列柱通り

西側にローマ時代の隊商都市、東側に新市街が併存している全長6kmの城壁の中の南の門から入り、
列柱の下に店舗が並んでいたというフォーラム、オーバル・プラザや神殿、教会、劇場などを
順番に見学して回りました。
遺跡めぐりも連日続くと、感動が薄れて来るのは事実ですが、この日はお天気も良く、
野の花が美しい遺跡の中をハイキングのような気分で、ローマ帝国の壮大さを改めて実感しながら、
2時間近く気持ちよく歩きました。



 

バスに10分ほど乗り、「GREEN VALLEY」というレストランに2時頃到着しました。
建物を入るとホブス(パン)を焼いている所が見え、いかにも美味しそうだという期待感を裏切らず、
焼きたてのシシカバブが大好評のお店でした。
バナナだけのデザートを写真に撮っていたら、「バナナまで撮るの?」と呆れられてしまいましたが、
これもデジカメならではの旅の記録のひとつとなりました。



 

昼食後、アンマンへ向かう途中で、バスから降りて、近くの川べりに立ちました。
何の変哲もない・・・という感じですが、神とひと晩戦ったヤコブが「イスラエル(神が守る人)と名乗るがよい」
と言われたのが、このヨルダン川支流ヤボク(流れるの意)川だったそうです。
近くで窪みにはまり苦労している車がありましたが、H添乗員さんの助っ人位ではどうにもならないようでした。



美しい山並みやオリーブ畑、ビニールハウスが目立つ農村地帯を車窓に見ていると、
1時間ほどでアンマンの街に入りました。
ヨーロッパの都会と変わらない景色だと思っていると、警備の厳しいアメリカ大使館の近くを通った時に
写真を撮らないようにという注意があり、やはり中東の国にいることを感じさせられました。


ホテル近くの街並み

入口でX線荷物チェックがあったり、チェックイン手続きに少し手間取り、ホテルの部屋に入ったのは4時半頃でした。
都会的な大型チェーンのメリディアン・ホテルは、洗面所のアメニティ・グッズがエルメスで、
オーデコロンや石鹸はお土産に?持ち帰らせていただきました。

希望者が5時前にロビーに集合して、近くの商店街まで1時間半程の街散策を楽しみました。
新市街でアンマンの普通の市民生活に触れたり、お土産物を覗いたりした夕方のひと時でした。




17ドルのシルバーのペンダント・トップを買い、20ドル札を出していると、
「そんな大きなお札を出しちゃダメ、ダメ。もっと値切らなくちゃ。」と後ろに応援団が数人いたのには
面白く又びっくりでした。10日余りも沙漠を旅していると、20ドルが大金に思えてくるのですね。

夕食はバイキング・スタイルで写真は残っていませんが、シリアと変わらないアラブ料理が中心でした。


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