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17 Mar 2008
Petra        

宿泊したクラウン・プラザ・リゾート・ペトラは遺跡まで徒歩で行ける大型リゾート・ホテルで、
大勢のヨーロッパ人観光客と共に、日本人ツアーも数グループが泊まっていました。

BC13Cにモーゼが立ち寄ったと言われる南ヨルダンのエドム王国は、ソロモン王の時代にイスラエルに屈服、
その後アッシリア、新バビロニアによって滅ぼされたイスラエル王国と共に滅亡しますが、
BC7Cに西アラビアから移動してきた遊牧民族ナバタイ人がBC4Cにペトラを首都とした王国を築き、
南アラビア産の乳香や没薬の交易の中継都市として発展、
最盛期のBC1Cのペトラは2万5千人以上の人口を擁したと言われています。
106年にローマ帝国に陥落させられた後、ローマ風に作り替られながら存続していた街も、
隊商都市としての機能がボスラやパルミラへ移った後、363年の地震で壊滅、
7Cにはイスラム支配、12Cには十字軍が要塞化という歴史を経て、13C以降は再び遊牧民の集落となり、
1812年にスイス人の探検家ヨハン・ブルクハルトに見出されるまでは
高さ100m級の切り立った岩山に囲まれ、忘れ去られた場所であったそうです。

8時45分にホテルを出発、発掘調査が今も続けられているというペトラ遺跡見学に向かいました。


ビジターズ・センターでは前国王フセイン1世と現国王アブドゥッラー2世親子の大きな写真が出迎えてくれました。
アラブの国は要所に国家元首の肖像を飾るのがお約束?のようですね。
ちょっと暇そうな観光ポリスの姿も見受けられました。


 

‘隊商隊’の気分を味わいましょうという旅行社サービスで、シークの入口まで1km余り馬に乗りました。
あぶみに足が届かないままスタートしたために楽しむゆとりはなかったのですが、
帽子が風に飛ばされても(ストッパーをつけていたので背中にぶらさがっていました。)
デジカメで写真を撮ることは忘れませんでした。


無事、到着した所でOさんが写真を撮って下さいました。
馬から降りた夫が「写真を撮って」ともう一度馬に乗り直すと、又チップを要求されました。
旅行社が用意してくれた3ドルと1ドルのチップが右のおにいさんの10分給、時給換算で24ドルという訳でした。


水の浸食が岩山を削って作った自然の間道であるシークへ入る手前にツーリスト・ポリス・ボックス、
その横に洪水を防ぐための「ムズリム・トンネル」がありました。
この堰やペトラ中心部に残るワディ・ムーサ(モーゼの川)から引いた水路や巨大な貯水池が、
水を支配することによって王国の繁栄を確立して行ったナバタイ人の利水技術の高さを物語っていました。
ワディを氾濫させた突然の豪雨でヨーロッパの観光客が亡くなるという事故が1963年、96年に起きたそうです。


シークの入口

古代にはセラ(岩の裂け目)、ギリシア人からペトラ(岩)と名付けられたナバタイ王国の都は、
高さ70〜100mの絶壁にはさまれた幅2〜10mの谷道が中心部へ通じる唯一の道となっていて、
この峡谷を見ただけで、難攻不落の街であったことが実感させられました。
鉄、硫黄、銅、コバルトなど成分の違いによる様々な色彩で織りなす美しい縞模様の砂岩を見ながら、
1.5kmほど曲がりくねったシークを歩いて行きました。


水路跡
ドゥシャラ神を祀った彫刻
石畳や砂道のシーク ドゥシャラ神の祠
神への貢物を捧げた穴 様々な表情のシーク

彫像の一部 −キャラバン隊とラクダの足−
ベドウィンと肩を組んで歩くガイドのサミュエルさん
別のグループの先頭を歩くサミュエルさん・・・ シーク前方にいよいよ!

エル・ハズネ

イヤホン・ガイドから流れて来た(Byサミュエルさん?)「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のテーマ曲と共に
ついにエル・ハズネとご対面!です。
高さ40m、幅28mの堂々たる姿で、岩山に彫られたものとは信じ難い美しさのエル・ハズネは、
エジプト、ギリシア、ローマなどの影響を受けて造られたと言われています。

2階真中の丸い屋根の上の壺の中に財宝が詰まっていると考えたベドウィンによって、
カズネ・ファルウン(ファラオの宝庫)と呼ばれたエル・ハズネは宝物殿ではなく、
BC1Cのナバタイ王アタレス3世の墓であったという説が有力だそうで、
6本のコリント式列柱が立つ1階の左右には魂を天国に運ぶ馬に乗ったゼウスの息子像が彫られているそうです。


ほとんど空洞のエル・ハズネ内部
エル・ハズネから見たシーク

雰囲気を盛り上げる扮装のベドウィン

ラクダも景観に貢献
少し高い岩の上から見たエル・ハズネ

ファサードの道

エル・ハズネを30分程堪能した後、右側の道を進み、アウター・シークと呼ばれる岩山を抜けると、
左手に政府機関や住宅として使われた建物のファサードの連なりが見えてきました。
(墓という説もありますが、現地で買ってきた2007年発行のガイドブック「新版 ヨルダン」に拠りました。)


ペトラ産砂岩で作られた砂絵
ナバタイ人の墓 馬でパトロール中の観光ポリス

さらに進み、広い道路に出ると、砂絵の実演販売の店や土産物店が見られるようになりました。
左下の「ナバタイ人の墓」も政府機関や家屋だったという説もあり、
支配者側の文献には登場しても、ナバタイ人による歴史文書が残されていないペトラ遺跡は
まだまだ大きな謎に包まれているようです。

ローマ劇場 ナバタイ人の集落を再現?
王家の墓 ニンフォニウム(泉水殿)側の樹齢450年のピスタチオ
450m続く列柱通り 凱旋門
ファラオの娘の城 −エル・ビント城− トゥルクメニア・ワディ

ナバタイ遺跡と円形劇場や列柱通り、市場や浴場の跡などローマの遺跡が混在する市街地跡を見学した後、
「混み合う前に」というサミュエルさんの意見で、11時40分頃にレストランへ入りました。
ずっと先を1人で歩くことが多く、説明が少な過ぎるサミュエルさんに少々不満を感じていたこともあり、
単にガイドを省略しただけ?と思いながら、「では又明日!」とさっさと帰って行く後姿を見送りました。

クラウン・プラザ・ホテルが経営するレストラン

岩に圧倒された午前中の観光の満足感、疲れ、少々の不完全燃焼を美味しいランチで吹き飛ばし?
すっかりリフレッシュして、午後のフリータイムを迎えました。
レストラン前には精悍な顔立ちのベドウィンのロバ引きや、壁に向かって哲学している?ロバが待機していました。


 

いざエル・ディルへ!

ベドウィン露店

所々で露店を開いているベドウィン達を横目に、整備された階段や絶壁沿いの坂道をひたすら登り続けて、
45分ほどで山頂に到着しました。旅前に800段と聞いて、少し不安もあったのですが、
思ったよりは楽な山登りでした。


その山の上に高さ45m、幅50mのペトラ最大の建造物エル・ディルがありました。
エル・ディルは内部に十字架が彫り込まれていることから修道院と呼ばれていますが、
AD1Cに王の共同墓地として建設され、ビザンティン時代に教会として転用して使われたようです。
私達のツアー仲間17名は全員がここまで踏破、大きな達成感を味わいましたが、
ほとんどの人がエル・ディル前広場のカフェを終着点とせず、もう少し先を目指しました。

ちょっと怪しげな標識 後方にエル・ディル
アラバ渓谷をバックに記念撮影

もやがあって良い展望は得られませんでしたが、左奥の山がモーゼの兄アロンの墓があるホル山のようです。
3千数百年ほとんど姿を変えていないのではないかと思わせる荒野の景色でした。
こんな山頂にも山羊を放牧しながら、店を開くベドウィン・ファミリーがいました。


見納めのエル・デイル
空っぽの内部に落書きが・・・

ロバ登山は事故もあるようで、私達は「乗らないでください。」とH添乗員さんから言われていましたが、
利用する観光客も結構多かったようです。
美しい砂岩の紋様を見たり、岩に座って、レストランから持ってきたオレンジのおやつタイムを取ったりしながら、
又、45分ほどかけてゆっくりと下山しました。

ナバタイ神殿があったエル・ハビス山 大寺院

下山後は往きとは違う道を通って帰ろうということになり、エル・ハビス山の中腹の小高い丘に登り、
列柱通りや大寺院を下に見ながら、なだらかな山道をハイキング気分で歩きました。
 宮殿の墓、コリントの墓、シルクの墓、壷の墓と呼ばれる王家の墓の全体像を遠望することも出来ました。
エル・ハビス博物館や王家の墓の内部に入ったり、更に山道を奥へ進み、
大変な難路を犠牲祭壇まで到達した旅仲間もいたようですが、
途中で道を失った私達はローマ劇場脇に降りてしまい、再びアウターシークを通って帰りました。


住居跡?
見返りエル・ハズネ
イチジクの実 遠い帰り道・・・

往きは馬に乗ったので見過ごしていたトリクリニウム(3面にベッドが並んだ食堂)のあるオベリスク墳墓や
墓ともズシャラー神の象徴とも言われる岩の塔を見ながら帰りましたが、
この道の長さが歩き疲れた身体にこたえたと旅仲間の多くが言っていました。
最初からアウターシークからは馬車を利用すると決めていた方もいましたが、
揺れはねる馬車も快適とはいえないものがあったようです。

現在のぺトラの町 インディ・ジョーンズの看板の店

部屋番号プレート

メッカの方向のマーク

ペトラの町を遠くに見ながら、土産物店が立ち並ぶビジターズ・センター前を左折するとすぐホテルです。
朝出発してから、ちょうど8時間、4時45分にホテルに到着しました。
プールで泳いだり、テラスでゆっくり寛いでホテル・ライフを楽しんでいるのは圧倒的に外人客が多いようです。

とても観光地化したペトラでしたが、それでも一見の価値は充分にあると思った遺跡歩きの一日でした。


 

旅の最後の夕食には、「エル・ディル全員登頂をお祝いして」と旅行社からワン・ドリンク・サービスがありました。
久々のセット・メニューで、満足感と一抹の寂しさを感じながら、ゆっくりと食事を楽しみました。

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