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6 Mar 2008
Dubai〜Damascus
アラビア半島地図 −機内誌より−

エミレーツ航空は機体は新しく、ピンクとグレーの優しい色合いの機内、やや広めで座りやすい座席、
豊富な映像メニューなど、評判通り頑張っている航空会社であるという印象を受けました。



機内灯が消えている間、天井に星座が点灯していたのは沙漠の民の発想でしょうか、
ちょっとおしゃれで、長時間のフライトの疲れを和ませてくれるようでした。


離陸してしばらく経った12時過ぎと、日本時間の朝8時過ぎに機内食が2度出されました。
メニューのチーズやビスケットが抜けている、お酒類などの飲み物が食後にサービスされたなど
アラブ国の適当さ?も垣間見られましたが、かわはぎの煮つけ、野菜の煮物などの味は合格点でした。

関西空港からアジア大陸を横断、11時間40分程でアラブ首長国連邦のひとつ、ドバイに降り立ちました。


朝6時前のドバイは夜が明けていませんでしたが、空港の中は既に大勢の人で活気を帯びていて、
時差で眠く、ボケた頭には現実とは思えない「眠らない空港」のお出迎えでした。


 
ジュメイラ・モスク ブルジュ・アル・アラブ

7時過ぎにドバイ市街地のホテルに着き、1時間ほどゆっくりと朝食時間を取った後、
バスで観光に向かいました。
最初にピンク色の砂岩で作られ、ドバイで最も美しいと言われるジュメイラ・モスクで外観写真を撮った後、
ジュメイラ・ビーチへ行き、日本でも話題の7つ星ホテル、「ブルジュ・アル・アラブ」を遠望しました。
ドバイの象徴としてダウ船の帆形に造られたホテルは、1999年にイギリスの建築会社が建造、
左上部の丸いものはヘリポートで、空港からヘリコプターをチャーターすることも出来るそうです。
202室すべてメゾネット式のスィート・ルームで、広さ780uのロイヤル・スィートは1泊200万円と言われ、
宿泊はしなくても、予約をすれば、レストランで食事をすることもできるようです。


ドバイ人口140万人の中、エミレーツ(首長国)人は20%位で、大半がインド、イラン、レバノンを始めとする
外国人労働者である、ドバイ人同士で結婚した場合は政府から上2枚の写真のような家が支給される、
学校へ行くとお金がもらえる、というような話をガイドのエンドウさんから聞きながら、
ドバイの街をバス観光しました。
世界のクレーンの40%が集まっていると言われる街は、豪華で斬新な建築ラッシュの様相でした。
右側の逆光の塔写真は、来年9月に世界1の高さ818mで完成予定のブルジュ(塔の意)・ドバイで、
全室から海が眺められるようスパイラルに設計されています。
37階まではオフィスやホテルで、上層階の5億円のマンションは8時間で売り切れたそうです。
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追記


ブルジュ・ドバイのスパイラルは、バグダッドの北方の町サマーラの古いモスクの遺跡にある
高さ53m程の塔をモデルとしていると旅仲間のYSさんが30年前の写真を添えて教えて下さいました。
この日干し煉瓦の塔はミナレットの原型と言われているそうです。(08・3・30)

 最終的に828mで落成した超高層ビルはブルジュ・ハリファ(アブダビ首長名)と改名されました。(10・1・4)
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ベッカムやクリントンが購入したヴィラがあると言われる直径5kmの椰子型の人口島、
ザ・パームの入口周辺もバスで回りました。
当初は70kmであった海岸線を1500kmに増やすべく、世界地図を模した人口島ザ・ワールドも建設中で、
ザ・パームもまだふたつ建設される計画があるそうです。


その後、18世紀の砦を改修して作られたドバイ博物館に立ち寄りました。
中庭には真下に立つと風が降りてくるのを感じることができる「風の塔」を持つ椰子で作られた家や木造船、
館内では石油発見前のドバイの農業、漁業、商業などの暮らしを再現した展示物を見ることが出来ました。
かつては世界一の生産量を誇ったこの地の真珠採取は、
日本で真珠養殖が盛んになった1930年代以降すっかりすたれてしまったそうです。


クリーク(紀元前の天然運河)を渡る「アブラ」に乗って、ディラ地区のスークへ向かいました。
わずか5分ばかりの船旅でしたが、気持のよい川風に吹かれました。因みに運賃は30円だそうです。


ス―クの入口でお香を焚いていましたが、これがかの乳香だと聞いて、早速お土産に買うことにしました。



左端が乳香、右隣が没薬とお香を焚く容器と炭のセットです。
シバの女王がこれらの香料や黄金、宝石を持ってエルサレムのソロモン王を訪ねた話、
イエスが生まれた時、東方の三賢王がやはりこれらの物を持って馬小屋を訪れた話が聖書に出ていますが、
没薬が万病の薬、ミイラの防腐剤としてエジプトで使われたのは5000年昔のこと、
乳香は同時代にメソポタミア地方でも祭式に用いられていたという記録が残っているそうです。
いずれも南アラビアかソマリアにしか生育しないカンラン科の植物から生産される樹脂で、
古代の政治、社会、宗教生活には欠かせない重要な役割を持っていたようです。
品質は分りませんが、今回はこれだけで7ドルという値段でした。
もうひとつの重要品、黄金を売る店もゴールド・スークに軒を連ねていましたが、
こちらはお土産には買いませんでした。(買えませんでした?)


マクトゥーム家が支配する代々のドバイ首長が限りある石油資源に頼らず、観光と貿易の国づくりという趣旨で、
つい40年前までは沙漠であった地に作りつつある「夢を売る未来都市」ドバイを後にして、
2時過ぎの飛行機でダマスカスへ向かいました。
わずか6時間ほどの滞在でしたが、これでもう充分、好きになれない国だというのが、
大方のツアーメイトの意見でした。

ボーイング777でアラビア半島を3時間半で横断、時差のため2時間引いて(1日が余計に長くなってしまいました。)
3時半にダマスカス空港に到着しました。
そこで待っていたガイドのファイサルさんがビザ手続きをして下さって、いよいよシリアに入国です。


 

空港から市内まで27km走り、ダマスカスの街の全景が見られるカシオン山へ向かう途中で、
太陽が沈む光景をカメラに収めることが出来ました。
天国を追われたアダムとイブが降り立った、カインとアベルによる人類最初の殺人が行われた場所などと
言い伝えられるカシオン山は市民の憩いの場所ともなっているようです。
灯がともり始めた街の中心にライトアップされたウマイヤド・モスクを見つけることが出来ました。
ダマスカスの旧市街は1979年に世界文化遺産に登録されています。


ホテルへ入る前に、ヒジャーズ駅に立ち寄りました。
オスマン帝国によって1900年から8年間かけて建設されたダマスカスからメディナまでの巡礼鉄道が、
第一次世界大戦の折、イギリスの支援を受けたアラブ軍によって破壊された様子は、
映画「アラビアのロレンス」に鮮やかに描かれています。
木部細工やステンドグラスが美しい1917年竣工のヒジャーズ駅は現在は資料館となっていますが、
アサド大統領によって、駅ビルとして再開発する計画が進んでいるようです。


 

夕食は宿泊のダマスカス・シャーム・ホテルの最上階の回転レストランで取りました。
右は小さなケーキとリュードの演奏で、27回目のお誕生日のお祝いを受けているH添乗員さんです。


 
ひよこ豆のペースト「ホムス」 なすのペースト「ムタッバル」 「ワラカ・アナブ」

機内食でも少々のアラブ料理が出ましたが、いよいよ本格的なアラブ料理の始まりです。
先ずはテーブルの上に6〜7種並べられた前菜「メッヅァ」を「ホブス」とよばれる薄いパンにはさんでいただきます。
「ワラカ・アナブ」というのはブドウの葉でご飯などの具を包んだギリシアやトルコでも見られるお料理です。
春巻きのような揚げ物は「クッべ」、メインはラムや鶏肉のローストでした。
右端のデザートのアラブ菓子は、ピスタチオをたっぷり使った「バクラワ」というパイや焼き菓子で、
この日はあまり手が伸びませんでしたが、後で大ブレイク、ほとんどの人がお土産に買うことになりました。
(その様子は1週間後に再びダマスカスに戻ってきた時にお知らせします。)

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