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7 Mar 2008
Damascus〜Ma'alula〜Hama〜Krak des Chevaliers〜Tartus        
ダマスカス・シャーム・パレス・ホテルのロビー ユーセフ・アル・アズメの銅像

シリアではシャームというホテルに多く泊まりましたが、シャームはシリアという意味で、
半国営のホテル・チェーンだそうです。
ホテルのロビーでは噴水や螺鈿のテーブル・セットがイスラムの雰囲気を湛えていました。
8時半の出発の前にホテルの周辺を散歩すると、
近くの広場にフランス統治時代の独立運動の指導者ユーセフ・アル・アズメの銅像が立っていました。


 

バスに乗って1時間程で、ダマスカスから北50kmに位置するアマルーラ村に到着しました。
この村はキリストが話していたと言われる古代アラム語を今も使っていることで有名で、
人口2000人の山間の小さな村ですが、キリスト教会や僧院がいくつかあるようです。

最初に立ち寄った山頂にある「聖セルギウスと聖バコス教会」は、4世紀に殉教したシリア人ローマ兵士、
サルキスとバコスを祀るビザンチン様式の教会で、キリスト教以前のベガー教教会の上に建てられたそうです。
シリア最古と言われる馬蹄形の祭壇や、2000年前のレバノン杉の梁、足を組んで笑っている姿が珍しい
洗礼者ヨハネの13世紀のイコンを見た後、優しい響きのアラム語のお祈りを聞きました。
「土の教会」とも呼ばれる教会の内部は写真撮影が出来ませんでした。


次にギリシア正教会「聖タクラ教会」に寄りました。
パウロによってキリスト教に改宗したタクラが反対した父親から逃れてアマルーラ村へ着いた時、
祈りによって岩山が裂けて助かったという言い伝えにより作られた教会で、
タクラは女性初のキリスト教殉教者と言われています。
100年ほど前までこのあたりに生息していたといわれるガゼルの皮に描かれた珍しいイコンがありました。


写真に小さく写っている山頂の「聖セルギウスと聖バコス教会」から村へ下りてくると、
女子高生の大集団が手を振ったり、笑って、私達のバスを見送ってくれました。
この日は金曜日でイスラム国の休日でしたが、課外授業でも行われていたのでしょうか。


 
車窓風景 雪を抱くアンチ・レバノン山脈
東傾した木々 田園地帯

アマルーラから北へ160km余りバスを走らせて、ハマへ向かいました。
しばらく土漠地帯を走っていると、西側に雪を抱くアンチ・レバノン山脈の連なりが見えました。

途中通過したホムスはシリア第1の輸出品である石油の精製工場がある人口250万人のシリア第3の都市です。
イラクの油田からシリア沙漠を横断して地中海まで延びるパイプラインに沿う東西路トリポリ街道と、
ダマスカスとアレッポを結ぶ南北路の交差十字路に位置し、古代にはエメサと呼ばれたこの要衝の地では、
ローマとパルティア、パルミラのゼノビア女王などとの数々の会戦が行われています。
ローマ皇帝セヴェルス帝はシリア勤務中にエメサのベル神殿祭司の娘ユリア・ドムナと出会い、
ガリア総督時代にリヨンで結婚し、そこで生まれたのがカラカラ帝です。
そして、ここシリアで育ったカラカラ帝の従妹の息子達がローマ皇帝を継ぎ、
後の歴史家に「3世紀の危機」と呼ばれるローマ帝国衰退の一時代を迎えることになりました。

又、ホムスはアンチ・レバノン山脈と北のジュベル・アンサリエ山脈の切れ目にあたり、
ホムス・ギャップと呼ばれる切れ目から吹き込む地中海からの西風で木々が東に傾いているのが見られました。
ホムスを過ぎると小麦やアーモンド、オリーブなどが植えられた田園地帯が広がり始めました。


 
お店や観光客で賑わうオロンテス川沿いのハマの水車

まだまだ現役の三輪車
大水車アル・モハマディーエ

12時頃ハマに到着し、昼食のホテルへ行きましたが、まだ用意ができていないということで、
先にビザンティン時代以来、農業灌漑用に使われていた水車を見に行くことになりました。
かって40基あったと言われる水車は現在は17基が町のシンボルとして残されているようです。
現在はダムによってコントロールされているオロンテス川は、水量が少なく悪臭を漂わせていましたが、
この川が形成している南北に延びる平野は乳製品、オリーブ、アーモンド、ピスタチオ、杏、桃、などを産し、
シリア有数の農耕地帯となっているそうです。
バスに乗り、世界最大としてギネス・ブックに登録されている直径21mの大水車にも行きましたが、
ここまで来る観光客は少ないようで、地元の子供達の遊び場になっていました。


 

1時前にホテルへ戻るとランチの用意が出来ていて、またアラブの前菜「メッザァ」が並んでいましたが、
内容はレストランによって少しずつ変化があるようです。
メインはビーフステーキで、デザートはどーんと丸ごとの果物でした。
バナナが意外と人気者で、国産と思われるみかん類にはちょっと当たり外れがありました。


 

2時過ぎにハマのホテルを出て、再びホムスまで南下、そこから西へ向って少し走った所で、
運転手のサイさんがバスを止めた路肩は、はるかにカディスを望むという地点でした。
カディスはBC1285年にエジプトのラムセス2世とヒッタイトのムワタリス王による世界最古の会戦が行われ、
16年後には世界初の平和条約が結ばれた所です。
はるか遠くのようでしたが、せっかくですから、逆光にもめげず、車窓から記念の1枚をカメラに収めました。
カディスには現在、小さなテペ(人工丘)だけが残っているそうです。
地中海に向かう車窓には穀倉、牧畜地帯が広がっていました。


 

重厚な石造りのクラック・デ・シュバリエ
モスクに改造された礼拝堂

会議室外側の12〜3世紀のゴシック回廊
南側の守りを固めたマムルーク朝の見張り塔 展望台から見下ろした中庭
遺跡の中に咲きこぼれる野草たち
城下に広がる「移転村」

クラック・デ・シュバリエは火薬時代以前の戦史に残された軍事構築物中の最高傑作と賞される十字軍城です。
ここにはエジプト新王国時代に既に城があり、ラムセス2世が改修したとも伝えられています。
1031年にホムスの太守が砦の跡を改修してクルド人傭兵隊を駐屯させた地を、
1110年に十字軍国家アンティオキア公国が奪って築城、その後トリポリ伯、聖ヨハネ騎士団と城主を変えながらも、
162年の間キリスト教団の十字軍の手中にありました。
13Cの十字軍遠征時にここを訪れたイングランドのエドワード1世がこの城を参考にして、
イングランドとウェールズに築城したそうです。
この難攻不落の城をアラブの名将、ヌールッディーン、サラディンが攻めあぐね、
にせの密書を使うという謀略によってバイバルスが攻略したのは1271年のことだったそうです。



正面門の入口の上にはバイバルスの業績をたたえるアラビア文字の碑銘が残されていました。
1928年にフランスの調査団がここにやって来た時には、城塞の中には530人の農民が村長を擁する村組織を
作って住んでおり、麓の村への村民の移転は1934年に完了したそうです。

最盛期には2000人の兵士を収容していたという城内の会議室、司令官室やモスク、ハマム跡、
馬の厩舎、ワイン・油貯蔵庫、水道橋、井戸などを見て回りました。
3時半から4時半過ぎまで、閉館時間を30分以上オーバーして見学できたのは、
ガイドのファイサルさんの顔ききだったようです。

クラック・デ・シュバリエ西側全景

2006年に世界遺産に登録のクラック・デ・シュバリエの全景を見渡せるカフェでミント・ティでひと休みをしました。
西日に映えるお城をバックにH添乗員さんと記念撮影した隣ではオープン・カフェ?が営業中でした。

5時15分頃クラック・デ・シュバリエを出発し、西へ約50kmの東地中海の町タルトゥースに6時半に到着しました。


 

夕食はひよこ豆のスープ、チキンとマッシュルームのクリーム煮でした。

夫婦5組、女性の1人参加4名、男性1人と女性2人の3名のグループ、合わせて17名の今回の旅仲間の
自己紹介の時間が食後にもたれました。いずれ劣らぬ旅慣れした方々とお見受けしました。

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