|
|
|
9時45分頃、マリに到着しました。
「NO ENTRY FIRST BUY TIGET」という看板の後方に広がっているのがマリ遺跡テル・ハリリです。
看板の矢印に沿って左へ入った所にあるベドウィンのテント小屋が観光案内所&カフェになっていました。
「遺跡へ入る前にここでチケットを買って下さい」というのが看板の意味のようですね。
「みんな、イラクへ行くかい?」とファイサルさんが誘いかけるイラクまでは僅か10kmの距離でした。
|
|
|
ペルシア湾から北メソポタミアへの道と、シリア沙漠を横断して地中海へ抜ける道の分岐点にあたるマリは、
シュメール文明の影響を受け、BC4000年紀後半からアモル人が定着し始め、
BC2600〜2500年頃にシリアで最初の王朝都市国家が生まれた所です。
BC1813〜BC1782の間はアッシリアのシャムシーアダドに征服されますが、
ジムリ・リム王がハンムラビ王の助けを得て独立、しかしそのハンムラビ王によってBC1760年に、
街は焼け落とされ、滅ぼされてしまったそうです。
|
|
|
泥レンガの壁 |
かっては屋根であったことを示すアスファルト |
|
|
1933年にベドウィンがシュメール彫刻を発見したことがきっかけで、メソポタミアから出土した文書に出てくる
古代王国の首都マリがこの場所であることが判明、フランス人考古学者アンドレ・パロらによって
発掘調査が続けられた遺跡の中を1時間ほど見学しました。
土色一色の遺跡は一見、変化に乏しく、面白みに欠けるようにも思えましたが、
旧約聖書時代の研究を飛躍的に進めた粘土板「マリ文書」発見の地に実際に立つことが出来て、
心の躍るひとときを過ごしました。
調査テント下のジムリ・リム王宮は275の部屋を持ち、中東最大の王宮のひとつだそうです。
|
|
|
アレッポ国立博物館で見た「泉水の女神」像が描かれている古いシリア紙幣を見せながら、
「この神殿に飾られていました。」というファイサルさんの説明を聞くと、土だけの遺跡に現実感が伴うようでした。
|
|
|
BC3000年紀から2000年紀の王宮跡が3層になっているという遺跡調査は終わることがなさそうですが、
2000年紀の王宮はアンドレ・パロの45年に及ぶ調査によってほぼ全容が明らかになったそうです。
ダガン、イシュタール神殿やジグラット(聖塔)、住居跡なども見学し、カメラに収めて来たものの、
最盛期には1万人が住んだという街も、4000年を経た今はご覧の通りの土の塊で、
細部を説明をすることは出来ませんが、場所の空気、雰囲気だけでもお伝え出来たらと思います。
|
|
|
|
|
再び、ベドウィン・テントの観光案内所へ戻ると、ちょうど羊達も食事から帰って来た所で、
同じ敷地内の泥レンガの家に、家族や家畜が暮らしている様子を垣間見ることが出来ました。
下の右側は日本の若者2人の写真です。
前はH添乗員さんですが、後ろはマリ遺跡で出会った男の子で、パリで3年半パン作りの修業をした後、
帰国前に4か月ほどひとり旅をしているのだそうです。
私達のバスに乗せてもらえませんかというお願いは、個人旅行ではないので、叶えてあげられませんでした。
|