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パルミラ博物館 |
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昼食後、パルミラ博物館へ行きました。
玄関前の大きなライオン像はパルミラ遺跡の西端にあったアラート神殿で発見された像を復元したもので、
ライオンの両脚の間にはさまれたカモシカは「神殿に刃向かわないものを祝福する」という意味があるそうです。
庭には数多くの石像が無造作に?展示されていました。
館内は先史時代の洞穴の復元や発掘品、パルミラ遺跡の出土品が年代を追って陳列されていました。
(因みに陳列ケースやエアコンは日本が寄贈したものだそうです。)
1階は主に神殿やお墓からの出土品、2階はパルミラの伝統的、民俗的な工芸品が中心となっていました。
民族衣装の部屋にゼノビア・ホテルの制服と同じような衣服が展示されていましたが、
紫(紫貝)、赤(Cochineal・・・サボテンの寄生虫)、青(インディゴ)、黄(Wold Plant)の4種類が
当時使われた染料だったそうです。
パルミラを飾った彫像、装飾彫刻、装身具、コイン、テッセラなどを1時間ほど見て、博物館を後にしました。
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博物館からホテルに戻るバスの中で、ファイサルさんが突如、シリア音楽に合わせて、歌い、踊り始め、
ちょっとあっけに取られてしまいましたが、こういう時は調子を合わせて、手拍子を取る方が良さそうで・・・。
明日はダマスカスに帰るので、気分が急にアップしたという所でしょうか。
ホテルに戻って1時間余りのフリータイムは、部屋でゆっくり絵葉書を書いたりして過ごしましたが、
このポストに投函した葉書は、1ヶ月半近く経った今なお、日本には届いていないようです。
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追記: 5月5日の消印で6月14日に届きました。ラクダ便だったのかもしれませんね?
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夕日に輝くパルミラ遺跡
4時45分にバスに乗って、アラブ城砦へ夕陽を見に行きました。
左上の大きな建物がベール神殿、その前の記念門から右下へと列柱道路が続き、
真中あたりに四面門、その右手に円形劇場、アゴラが円形劇場が見えています。
右下の大きな建物の周辺がディオクレティアヌス軍営地です。
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高さ150mの岩山の頂上に立つ城塞は十字軍の攻撃に備え、歴代のイスラム君主が防備を固めた上に、
17C始めのオスマン朝の知事ファクル・エド・ディーンが建設したものだといわれています。
山々や広大なナツメヤシ林、パルミラ遺跡、アラブ城砦、市街地やラクダ競技場が夕陽に照らし出され、
幻想的とも言える光景が眼前に広がっていました。
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絵に描いたような日の入りは見られませんでしたが、
今回のツアーの中、最も好天に恵まれ、充実したパルミラの一日がこうして暮れて行きました。
下山途中に、ふと気持ちよさにつられて?ベドウィンから買った木製のカエル(右側が頭)は、
口にくわえた棒で背中のイボをなでると、ケロ、ケロッと本物のカエルの鳴き声のような音を出し、
孫のお気に入りのおもちゃとなっています。
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帰途、バスが遺跡の中にずんずんと進入して行き、不思議に思っていると、
昼間立ち寄らなかった葬祭殿の前を通り、ディオクレティアヌス軍営地に案内されました。
陽はすっかり落ちてしまい、ほとんど建物の識別は出来ませんでしたが、(画像は少し手を加えています。)
一応これで遺跡のほとんどを踏破したということで、規模も実感でき、心残りが少なくなりました。
それにしてもバスが遺跡の中に入って行ったり、今なおベドウィン家族が住んでいる様子があったり、
大らかとも管理不足とも言える、少々驚きの世界遺産でした。
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