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アンティオコス1世と父ミトリダテスの浮彫り |
ミトラス−ヘリオス像 |
ヘラクレスと握手するアンティオコス1世 |
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祭儀が行われた洞窟 |
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再びマイクロバスに分乗して、近在の遺跡を見に行きました。
先ずコンマゲネ王国の夏の離宮があったアルサメイアのエキス・カレ(古い要塞)へ行き、
点在するミトリダテスとアンティオコス親子を記念する像や祭儀が行われた洞窟などを見て歩きました。
先祖のアルサメスがBC2C始めに築いた居城があった地に、ミトリダテスが自らの陵墓を建設することに決め、
父の死後、アンティオコスが父と自らを記念する祭儀の場を築いたことが、
残されている碑文にギリシア語で詳しく書かれているそうです。
ネムルート山の売店で日本語版「コンマゲネ王国 ネムルート」というガイド本を見つけて、
喜んで買ったのですが、こちらの露店の方が値段が安かったのはちょっと残念でした。
緑豊だったと言われるコンマゲネ王国の地は、広大な景色と共に暑さも素晴らしく、
木陰で涼しげに店番をする人達を見て、現在行われているらしい植林が成功することを祈ったものでした。
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イエニ・カレ |
ニンフェ川にかかる悪魔橋とイエニ・カレ(山頂) |
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次にイエニ・カレ(新しい要塞)が遠望できる所でバス・ストップをしました。
ここもアルサメス時代からコンマゲネ王国の要塞であったようですが、
現在残っているのは13Cのマルムーク朝の宮殿跡やモスクだけのようです。
こんな岩山が連なるだけの場所で幾多の王朝の攻防があったとは信じがたいような乾いた景色でした。
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牛の放牧地 |
ジェンデレ橋遠望 |
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ジェンデレ橋 |
ユーフラテス川のほとりに降りると、パルティアへの備えとして、ヴェスパシアヌス帝時代と同じ場所に
セヴェルス帝と妻子を讃えて建てられたというローマ時代のジェンデレ橋がありました。
もともとは4本あった円柱の1本は、セヴェルス帝の息子カラカラが皇帝になった時に弟のゲタを殺し、
帝国内のモニュメントからゲタの名前を期し去るように命じた時、円柱そのものを取り去ったと言われています。
カラカラ帝もAD217年にパルティア戦役に向かう途中、ウルファ(古代名エデッサ)近くで
軍団内部で謀殺されてしまいます。
ユーフラテス川上流に建設されたアタチュルク・ダムは経済発展には貢献したものの、
コンマゲネ王国最初の都サモサタをはじめ、数百もの未発掘の遺跡を水底に沈めてしまったそうです。
全長約2800kmのユーフラテス川が織りなしてきた歴史が水底に・・・では、
ロマンを感じるという話にはならないとは思いますが、
世界史の‘ユーフラテス川’ですので、河原で小さな石を拾って、お土産に持ち帰りました。
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カラクシュ古墳からの眺望 |
カラクシュ古墳 |
アンティオコス1世の息子ミトリダテス2世が母と妹とその娘のために建てたカラクシュ古墳に最後に寄りました。
この墳墓もネムルート山と同じく小石を積んで造られていますが、
コンマゲネ王国がローマ帝国に併合された後、ジェンデレ橋の材料とされ、
現在の高さは30m、円柱も4本が残されるだけとなっています。
東側に残る円柱の上の上には2.54mの鷲像が載っていました。
カラクシュというのは黒い鳥を意味するそうです。
360度さえぎる物のない眺望の中にネムルート山やユーフラテス川を遠望することが出来ました。
近在する遺跡を巡る午前中の観光でしたが、広い地方のことで、バス走行距離は113kmに及びました。
バスに乗ってさえ大変な場所で、この辺りの歴史を読む時は特別な尺度が必要だと実感させられました。
バスの車窓には交通手段をロバに頼っているような村人も見られました。
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