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28 Mar.2012
Bandar-e-Anzali〜Tehran〜Abu Dhabi


マンジール・ダム

アラムート山方面を遠望

4時45分にバッゲージアウトと朝食というハード・ツアー最後の関門を無事にクリアして、
5時半にホテルを出発し、テヘランまで一路365km、バスを走らせました。

小雨が降ったり止んだりの5時間半ほどのドライブは、先ず一眠りした後、
風力発電のプロペラ機がたくさん設置されたマンジール・ダムで写真ストップを取ったり、
N添乗員さんが配って下さった日本の新聞のコピーを回覧して過ごしましたが、
日本にもそれ程の変化のなかった10日間だったようです。

コピーのためのFAX受信が難しかったというN添乗員さんのお話でしたが、
前回は電池式充電器のせいで充電不能と思われた私の携帯電話はコンセント式でも充電出来ず、
バッテリーが切れてからはSMSメールも送受信出来なくなってしまいました。
アブダビでは着いた途端に現地時間が携帯電話に表示されましたが、イランへ入ってからは変化なく、
何か電波に関するお国事情があるのだろうと思われました。

ガズヴィーンを通過する頃、アサシン(=暗殺者)教団を率いたハサン・サッバーフが築いた城跡が残る
アラムート山方面を遠望しましたが、暗殺という手段で権力者に立ち向かった教団の城塞が
厳しい自然環境の中にあったことを確認できたことは収穫のひとつとなりました。



ミラッド・タワー

テヘラン門

考古学博物館


11時過ぎにテヘラン市街に入り、11時40分から1時間ほど考古学博物館を見学して、
旅のエピローグともいえる余韻の時間を過ごしました。



チョガザンビルのジグラットで発掘された牛像


ビシャープールのモザイク


ダレイオス1世の謁見図

ペルセポリスの謁見の間の階段

チョガザンビル、ペルセポリスなど訪れた場所の展示品を空気感などの記憶と共に堪能しましたが、
とりわけ、ビシャプールで遺跡の管理人さんの携帯電話の画面で見せてもらった
モザイクの実物に出会えたことが感慨深く思われました。


  

   

ツアー最後のランチは今回もフェルドゥスィー・グランド・ホテル内のレストランに用意されていて、
恒例の乾杯の後、イランの旅行社の日本人スタッフSさんから世界遺産8か所踏破の証明書をいただいたり、
和やかに1時間余りのお別れタイムを過ごしました。

この時、私とは直角の位置に座っていたSさんが、「あははは!」と大笑いをする場面があり、何事かと思ったら、
見事な青あざになった私のあごをマスクの隙間から目撃したことが判明しましたが、
整形外科医のSさんがおしゃべりをして食欲もある私に下した診断かと失礼を?大目にみておくことにしました。
あごの骨折で2か月のギブス生活を牛乳だけで凌ぎ、「口を開かずにしゃべる医者」と言われていたという
Sさんにとっては物の数にも入らない怪我だったようです。




2時過ぎにホテルを出発し、3時にイマーム・ホメイニ空港に到着、総走行距離3811kmの旅が
終わりを迎えました。

チェックイン前に座席が決まっていたことを不審に思いながら出国ゲートに向かっていると、
別れた筈のムハンマドさんが荷物カートの出し入れ口にしゃがみ込み、
時々ティッシュで涙を拭きながら、手を振って見送って下さいました。
毎朝、募金箱に献金して、旅の安全を祈って下さっていたこと、
「山と山は近付くことはできないが、人間はどこかで会うことが出来る。それを信じている」というイランの格言、
「日本に帰ったら、知り合いにイランでの見聞を話してほしい」と最後の挨拶がありましたが、
そういうムハンマドさんの気持ちに添う旅レポートになったでしょうか・・・?

帰路も再びエティハド航空で、アブダビ経由で帰国の途に着きました。
テヘランを20分程遅れて18時25分に出発したA330機は、ほぼ定刻の19時50分にアブダビに到着、
航空機を乗り換えて、21時50分に成田へ向けて出発しました。
成田線では窓席を嫌ったツアー仲間がアブダビの搭乗カウンターで通路席に変更したため、
私は、期せずして、窓側2列席をひとりで使用できることになりました。
テヘランで希望を伝える前に座席が決まっていた禍転じて・・・?という訳でした。



29 Mar.2012
 Abu Dhabi〜Narita


2度の機内食は行きと同じく和食を選びましたが、見かけは似ていてもアブダビ・メイドの和食は、
お勧めとはいえない味で、期待する方が無理だと悟りました。



12時ごろ日本上空に差し掛かったA330機は、富山からいわき市へ抜けて成田へと南下していき、
15分ほど早く12時45分に成田空港に着陸しました。
偏西風に乗った10時間飛行と座席の余裕で、ハード・ツアーも少し楽に締め括られました。




リムジンバスの車窓に開業間近かのスカイツリーを見て帰国を実感しながら、3時半に無事に帰宅しました。
家族を驚かせたマスク姿ですが、2週間ほどでマスク無しで外出できるようになりましたし、
前歯も神経を傷めていなかったためセラミックをかぶせるだけで自歯を失わなくて済みましたので、
大けが防止のための軽いワクチンと考えれば、まんざら悪い経験ではなかったと言えるかもしれません。
         (ワクチンが長く効きますように・・・!)

長い歴史を持つ誇りと少し閉ざされた現実社会の中のイラン人の暮らしが調和を保つことを願いながら、
自身にとっては実り多かったノウルーズという特別な季節の西イランへの旅が幕を下ろしました。

                                         (2012.5.11)


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