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2025・4・13
厳原~厳原八幡宮~お船江跡~小茂田浜神社~椎根の石屋根倉庫群~
対馬空港~福岡空港~羽田空港 |
壱岐・対馬の旅も最終日になりました。
夜来の雨は止みましたが、強風のため対馬⇔長崎の飛行機や釜山からのフェリーは欠航という状況下、
私達のフライト予定便への影響も心配された朝でした。
それでもツアーはスケジュール通り9時にスタートということで、簡単な朝食後、
ホテルに置いてあった「おさんぽMAP」を見て、この日のツアーコースに入っていることは分かっていましたが、
7時半から近くの八幡宮方面へ散歩に出掛けました。
(ホテル地図に町の北側が入っていなかったことに気が付いたのは帰宅後で、
全域地図を見ていたら、半井桃水館や武家屋敷通りへ足を運んでいただろうと思います。)
 厳原八幡宮神社
八幡宮へ着くと、二つの鳥居と右側の鳥居が二つの石段の参門を兼ねている珍しい造りに目が留まりました。
前面が駐車場というのは神社としての趣きに欠けましたが、後方の鎮守の森には長い歴史が感じられます。
八幡宮神社は「本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬国に御着船ありて上県郡の津より三韓に渡り給ひ
三韓を平らげ給ひて凱旋の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ
神鏡と幣帛(へいはく)を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて長く異国の寇を守り給へと祈り給ひて
神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)を定め給ひし所と伝ふ
天武天皇白鳳四年の勅によりて同年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と称し奉る
明治七年六月社格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日に県社に昇格す」と由来を社伝に伝え、
宗家の氏神として歴代藩主の庇護を受け、島民の崇敬を集めて来た由緒ある神社です。
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| 宇努刀神社 |
八幡宮神社 |
二社併用の?鳥居の先、まっすぐな石段は宇努刀(うのと)神社、斜めの石段は八幡宮神社へ通じていましたので、
先ずは八幡宮神社にお参りしました。

随身門

奉納石柱
新しく付け替えられた柱はまだ馴染んでいませんが、古趣ある随身門をくぐると、
参道左手は奉納石柱で埋め尽くされ、右手が社務所になっていました。
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| 八幡宮神社本殿 |
八幡宮神社拝殿 |
厳原八幡宮神社の御祭神は神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・姫大神・武内宿禰で、
全国44000社あると言われる「八幡さま」の祭神には少しずつバリエーションがあると見受けられました。
 平(ひらの)神社
厳原八幡宮神社には平神社、宇努刀神社、天神神社/今宮若宮神社、3社の境内社がありましたが、
天穂日命、日本武尊、仁徳天皇、菟道皇子を御祭神とし、延喜式神名帳に載る式内社の平神社は、
確かなことは分かっていないようで、参道脇に小さく祀られているだけでした。
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| 宇努刀神社 |
天神神社/今宮若宮神社 |
宇努刀(うのと)神社は「神功皇后三韓征伐のおり対馬の北端豊村に着船し島大国魂神社を拝し
その後佐賀村に島大国魂神社の分霊を皇后自ら祀った社
延徳三年(1491年)六月十四日佐賀村より八幡宮境内に遷座された」と由緒を伝え、
須佐男命を御祭神とし、1880年(明治13)に社格村社とされています。
天神神社/今宮若宮神社は厳原町西部に御陵墓参考地がある安徳天皇と菅原道真を祀る天神神社と、
初代藩主宗義智夫人の小西マリアとその子を祀る今宮若宮神社を合祀した神社です。
小西行長の長女、キリスト教徒のマリアは1590年(天正18)に15歳で宗義智夫人として金石城へ入り、
義智をも入信させたと伝えられますが、関ケ原の戦い後、小西家滅亡と共に1601年(慶長6)に長崎へ追われ、
信仰生活の中に5年後に没し、霊魂を鎮めるために1619年(元和5)に創建されたのが今若若宮神社です。

川端通り
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| 「朝鮮通信使行列」 |
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| 「江戸時代の厳原港と朝鮮通信使船入港図」 |
「朝鮮国之信使登城行列」 |
八幡宮神社を出て、市街の真ん中を流れる厳原本川沿いの川端通り(国道382号線)まで足を延ばすと、
「朝鮮通信使行列」「江戸時代の厳原港と朝鮮通信使船入港図」「朝鮮国之信使登城行列」など、
朝鮮通信使絵巻のタイル壁画で飾られた護岸壁がありました。
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| 観光情報館「ふれあい処つしま」 |
対馬市交流センター |
馬場筋通りへ戻り、数回前を通りながら中へ入る機会のなかった
観光情報館「ふれあい処つしま」や対馬市交流センターを見ながらホテルへ戻りました。
8時頃、部屋に戻り、荷物をまとめてチェックアウトをした後(旅行社の荷物託送サービスは不利用)、
9時にガイドさんの引率で歩いて八幡宮神社へ行き、参拝後、9時半過ぎにバスで最後の観光へ出発、
2km程南の久田浦に注ぐ久田川の河口に人工的に構築した対馬藩お船江(ふなえ)跡へ行きました。
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| 厳原港 |
立亀岩 |
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| 対馬藩お船江跡 |
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お船江跡は御座船(ござぶね=藩主用の船)を整備、格納していた船渠跡で、
4つの石積みの突堤と5つの船渠が3代藩主義真の時代、1663年(寛文3)に造られた往時の原型を保ち、
正門、倉庫、休憩所などの遺構も残す貴重な遺存例として、
また、江戸時代鎖国下にあった日朝外交史に大きな役割を果たした対馬藩の象徴の一つとして、
1969年(昭和44)に県指定史跡、2015年(平成27)に日本遺産構成文化財の指定を受けています。
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| 対馬銀山付近の山々 |
10時頃、小茂田浜神社へ向かう途中、対馬国司が674年(天武天皇3)に銀を朝廷に献上した記録が日本書紀に残り、
日本最古の銀山とも言われる対馬銀山(佐須地方)近くを通過しました。
江戸時代に銀山経営が復活し、3代藩主義真の時代に最盛期を迎え、中断もありながら、
幕末まで採掘が行われていたそうですが、銀の産出量の減少と共に対馬藩も衰退へ向かったようです。
現代になって1943年(昭和18)から1973年(昭和48)まで東邦亜鉛が採掘権を得て鉛の鉱石を採掘していましたが、
カドミウム汚染問題が起き、壱岐から持ってきた土と入れ替えて汚染田の復元をはかり、
農産物減収・健康被害者への補償などを行っているそうです。
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| 小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ) |
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| 元寇750年 宗助国公騎馬像 |
左:650年祭改築記念碑 右:元寇700年平和之碑 |
1274年(文永11)の文永の役の時、元・高麗軍3万3千人の中、約千人が佐須浦に上陸、
迎え撃った宗家初代の助国以下、80余騎が激戦の果てに全滅したと伝えられ、
慰霊のために建立されたのが小茂田浜(こもだはま)神社です。
境内には式年祭の折々に建てられたと思われる銅像や塔が並び立っていました。

境内掲示の写真転載
68歳の老将であった助国の墓と伝えられる「お首塚」が下原、「お胴塚」が樫根にあり、
首将の墓がバラバラである所が最期の壮絶さを物語っていると言われ、
現在も毎年11月第2日曜日に慰霊の大祭が行われ、
海の彼方に蒙古軍を迎え撃つ弓矢をかまえる「鳴弦(めいげん)の儀」や、
茹でた小豆(80騎に因んだ80粒)を外側に貼り付けた「だんつけ餅」を食べる風習があるそうです。
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| 小茂田港 |
小茂田浜海浜公園 |
穏やかな港や海浜公園に打ち寄せる高波の海景色もしばし楽しみました。
朝鮮海峡と呼ぶと負の歴史までリアルに蘇りそうですので、対馬海峡西水道としておきましょう。
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| 椎根の石屋根倉庫 |
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小茂田浜から程近くにある椎根の石屋根倉庫にも立ち寄りました。

島内に産する板石で葺いた石屋根倉庫は食糧や日常生活用品を保管するためのもので、
火事の延焼を防ぐために民家から離れた場所に作り、自宅には掛けない鍵も倉庫にはしっかりとかけるそうです。
以前は全島的に作られていましたが、近年は厳原西岸に残るだけとなり、
昔は板石より高価だった瓦の方が今は安価になり、瓦葺きの倉庫が増えているようでした。
倉庫の起源は明らかではありませんが、古い伝統(江戸期?)を持ち、県指定有形文化財となっています。

立ち寄ったガイドさんのお知り合い?のお宅の蜂洞と梨の花

11時半過ぎに厳原市内へ戻り、「千両」で対馬の郷土料理の寄せ鍋「いりやき」や、
戦後、対馬在住の韓国人から伝わった韓国風焼肉「とんちゃん」など盛りだくさんの昼食をいただきました。
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| 根諸漁協入口 |
神の島・上根諸(かみねお)島 |
12時半頃、厳原を出発して、国道382号線を14kmほど北上、対馬空港へ向かいましたが、
空港手前でバスストップ、「スーパーサイキ美津島店」でショッピングタイムが取られました。

参勤交代から帰郷した領主の無事を祝い、長旅の疲れを癒すために作られたという対馬銘菓「かすまき」や野菜、
「オウゴンオニユリ」の苗(写真は5月下旬でむかごを沢山つけていますが、今年開花するかどうかは?)を買いながら、
鮮度、価格が魅力的な鮮魚類も眺めましたが、持ち帰るのは躊躇されて断念しました。
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2時に対馬空港に到着しました。
Wikipediaによると「標高97メートルの白連江山の山頂を切り開き、ほか12の山の290万立方メートルを削り、
13の谷に360万立方メートルを盛土する工事の末、完成した。
滑走路は対馬中央部の上島と下島の間の地峡部を横断するように建設されている。長崎県内初の山岳空港である。」という
対馬空港は1971年(昭和46)に空港設置許可申請を提出後、様々な工事を経て、
1972年(昭和47)に開港した空港です。
浅茅湾内に多く生息するというヒオウギ貝のモニュメントが歓迎の意を表していました。
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DHC8-Q400機
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強風で運航が心配されましたが、福岡便はほぼ定刻の15時5分に離陸、
旅の終わりに浅茅湾上空からの景色を楽しみ、満足度増幅の帰路となりました。
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| 能古島 |
海の中道 |
わずか30分程のフライトで15時半過ぎに福岡空港に着陸、17時5分発の羽田便までの時間は、
ツアー仲間とラインの交換をしたり、空港売店のお寿司などで軽く腹ごしらえをしながら過ごしました。
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ANA262便B787-8機も往路と同じく最後尾の2人席となりましたが、
厚い雲と夕闇で視界はきかず、外景色には恵まれませんでした。
ほぼ定刻の19時前に羽田に到着し、荷物を受取ってロビーへ出ると19時20分で、
19時40分の渋谷行きリムジンバスに間に合い、渋谷セルリアンホテル経由で20時40分に帰宅しました。
「古代ロマンの架け橋 壱岐・対馬の旅」は予期以上の実り多い旅となりました。
二つの島の神々に多謝!です。
*5日目歩数(スマホ計測):11467歩
(2025.5.30)
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