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隠岐の島・4島巡り          2024・10・21〜10・24

            −「隠岐の島旅」サイトより借用−

『隠岐ユネスコ世界ジオパークは、島根半島の北40〜80kmの日本海に点在する4つの有人島と
多数の無人島によって構成されています。
海洋生物や漁業などの人の営みも含め、隠岐を取り巻く環境そのものが、隠岐ユネスコ世界ジオパークとなっています。
ユーラシア大陸の縁辺であった時代から、湖の底の時代、深い海の底の時代を経て、
今から約600万年前に大規模な火山活動によって誕生した隠岐諸島。
ここでは、単に貴重な地質資源が見られるだけではなく、何億年も続いている、隠岐が形成された「大地の成り立ち」、
その大地の上に育まれた「独自の生態系」、今日まで受け継がれてきた「人の営み」をひとつの物語として知ることができます。』
         < 平成25年(2013)に世界ジオパーク認定を受けた隠岐世界ジオパーク公式サイトの案内 >

600万年前頃に繰り返された火山活動は40万年前に終息し、氷期の3万年前頃に隠岐諸島は本州と陸続きの半島となり、
その頃に日本列島へやって来た現生人類は隠岐産の黒曜石で作った石器を本州へ運び、
海面が上昇した1万年前に隠岐諸島は現在の4島になったと伝えられています。
そうした先史時代を経て、伊邪那岐(いざなき)と伊邪那美(いざなみ)が淡路島、四国の次に3番目に国生みをした島として
古事記、日本書紀、出雲風土記などの日本古代史に隠岐の島が登場します。
そして北門(きたど)と呼ばれた国境の島、海産物の宝庫として、奈良や京都と交流が深まり、王朝文化が伝えられ、
中世には遠流された多くの‘みやこびと’や隠岐を支配していた武家が独自の文化を築き、
近世になると日本海交易の北前船が寄港するようになり、日本各地との交流が広がっていきました。

そのような自然、歴史、文化が色濃く残る隠岐の島への関心が深まった春先に旅行社の新聞広告を見て、
5月下旬に「ユネスコ世界ジオパーク 隠岐の島・4島巡り」というツアーを申し込み、
9月に催行決定の連絡が届き、10月下旬の旅を楽しみに待つことになりました。
天候の少しの不運はありましたが、それを差し引いても充実した4日間の島旅をご一緒にどうぞ!


 2024.10.21

7時30分の集合に合わせて6時前に自宅を出発、京浜急行で7時過ぎに羽田空港に到着し、
O添乗員さんからEチケットなどを受取り、早めに搭乗口へ行くと、隣のゲートに「DREAM SHO JET」が駐機していました。
「高校球児からメジャートップ選手になるまでの総移動距離892,440km分」の大谷選手の移動を、
夢を追うために「移動」が必要な若者たちへ航空券として還元するというJALのプロジェクトシンボルとして、
特別塗装された「DREAM SHO JET」 が9月末に就航、
 「日本中の夢に挑戦する若者たち」を応援するための「DREAM MILES PASS」プロジェクトが進行中のようです。
(因みにこの21日にドジャースはメッツに勝利し、ナショナル・リーグ優勝を決めて、ワールドシリーズ進出、
31日にヤンキーズを4勝1敗で破り、ワールドチャンピオンとなりました。)

伊豆諸島                                         伊豆半島

JALボーイング767‐300機は定刻8時半に離陸と思った途端、ANA機のバードストライクによる滑走路閉鎖に遭遇、
伊丹空港乗り継ぎに一抹の不安を感じながら、40分ほど遅れて羽田を飛び立ちました。

自身で航空券を手配する時はほぼ富士山側を取りますので、まもなく広がった海側席の景色も新鮮でした。

大阪城                                          淀川上空
鳥取 −湖山池−                                   隠岐の島

少し遅れを取り戻して、30分ほどの遅れで伊丹空港に着陸後、急ぎ足で隠岐空港行きゲートへ向かい、
J−AIRエンブラエル170機(76席)の最後尾席に着席したときは、ほっと一息、でした。
10分ほど遅れて10時半過ぎに伊丹空港を離陸、あっという間に鳥取上空を抜けて、
11時20分頃、数分遅れで隠岐空港に着陸しました。

隠岐世界ジオパーク空港

隠岐の島町の中心地から約3km離れた岬半島の先端部に位置する隠岐世界ジオパーク空港は、
約55万年前の玄武岩質の火山活動によってつくられた「溶岩台地」という空港に最適な地形上に建設され、
昭和40年(1965)に県設置・管理の第三種空港(滑走路1,200m)として開港、
昭和54年(1979)に滑走路を1,500mに延長、さらに2,000m滑走路を整備して平成18年(2006)から供用を始め、
平成29年(2017)から大阪便をジェット化、現在は大阪と出雲に一日一便の定期便とチャーター便が就航しています。

空港出口でマイクロバスの出迎えを受けて、夫婦2組、姉妹1組+O添乗員さんの7人旅がスタート、
最初に西郷湾近くの「隠岐ジオゲートウェイ」2階にある「隠岐自然館」へ行きました。


隠岐自然館は隠岐諸島誕生までの歩みやジオパークの絶景を紹介する「大地の成り立ち」、
隠岐に暮らす生き物の紹介と多様な生態系を説明する「独自の生態系」、歴史文化を展示する「人の営み」と3ゾーンに分けて
展示されていますが、私達はプロジェクションマッピングを使用して、隠岐諸島の地理を主体にした解説をしていただきました。

  

30分足らずの見学時間で展示物をゆっくり見ることは出来ませんでしたが、
「これだけは是非見て行ってください」と案内されたのが、隠岐4島の中でも島後だけに生息するオキサンショウウオでした。
自然林が残る山地の渓流付近に暮らす成体体長12〜3cmのオキサンショウウオは隠岐の島町の天然記念物です。

   

自然館見学後、「フィッシャーマンズワーフ隠岐」2階のレストランでさざえカレー・ランチをいただきました。
隠岐諸島海岸の磯では箱めがねを使う伝統漁法「かなぎ漁」や素潜り漁によってサザエやアワビが漁獲され、
通年の食材とされているそうです。



宝物殿                                   億岐家住宅

昼食後に先ず、億岐家住宅と宝物殿へ行きました。
億岐氏(おきし=意岐、億岐、億伎、隠岐とも表記))は大国主命の後裔と伝えられ、代々、意岐国造、隠岐国国司、
玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)宮司を務めた社家の家系で、現在は48代当主が宮司を務め、
享和元年(1801)に建造された大戸口、下玄関、上玄関の3つの入口を持つ入母屋造茅葺き・隠岐造の億岐家住宅は、
平成4年(1992)に国の重要文化財の指定を受けています。

   隠岐国駅鈴                               駅鈴を納めた唐櫃−光格天皇下賜−
   
駅鈴図 

宝物殿には「駅鈴(えきれい)」「億伎倉印(おきそういん)」「唐櫃(からびつ)」など国の重要文化財が展示されていました。
古代律令時代に5里(20km)ごとに駅が設けられ、人馬を徴用したり、官吏の身分証明書として使われたのが駅鈴で、
現存する駅鈴はこの宝物殿の2個だけと言われています。
ご案内の48代当主夫人が、駅鈴の涼やかな音色(録音)を聞かせてくださいました。

隠岐倉印 隠岐倉印形

奈良時代の租・庸・調の税制の元、徴収した税収品のうち、正税を貯蔵したものが正倉で、
正倉に貯蔵されている正税の出納の際に使用される国司が所持した倉印(正倉印)は、
出納の事務処理に関して捺印したものですが、
現存する倉印は隠岐国、駿河国、但馬国(=兵庫県北部)の3つだけと言われています。


唐櫃付属の机や古文書 小泉八雲遺品

重要文化財の他、億岐家伝来の馬具や古文書、小泉八雲の遺品などの宝物の数々が展示されていました。

 
  
仏面竹                                「琵琶ぼくぼく」

億岐家の庭にモウソウチクの変種といわれる不思議な文様の仏面竹の一画があり、
玉若酢命神社前の道には水木しげるの妖怪、腕の良い琵琶法師「琵琶ぼくぼく」像が置かれていました。

玉若酢命神社 随身門                                     拝殿  

玉若酢命神社社伝は景行天皇が各国に分置した皇子の中、隠岐国に遣わした大酢別命の御子が玉若酢命と伝えますが、
隠岐の島の開拓にかかわる地方神が主祭神の玉若酢命と考えられていて、
大己貴命・須佐之男命・稲田姫命・事代主命・須世理姫命を配祀、
創建は871年より前に遡る延喜式に載る式内社小社で、隠岐国の総社とされています。

嘉永5年(1852)建立の入母屋造茅葺の随神門は平成4年(1992)に国の重要文化財の指定を受けています。


玉若酢命神社本殿

寛政5年(1793)に建てられた玉若酢命神社本殿は、100社余りあるという隠岐の神社の中、最古の本殿で、
切妻造茅葺、身舎(もや)の正面に檜皮葺き片流れの向拝、千木、堅魚木の上に雀踊と呼ぶ横木を置いた隠岐造で、
億岐家住宅、随身門と同時に国の重要文化財の指定を受けています。

八百杉

随身門と拝殿の間に樹齢2千年と言われる杉の巨木、八百杉(やおすぎ)がありました。
昔、若狭の国(福井県)から隠岐の国に来た八百比丘尼が参拝記念に杉を1本植え、
「八百年後にこの杉を見に来よう」と言ったことからこの名が付いたと言われ、
根元に棲んでいた大蛇が寝ている間に生きたまま木の中に閉じ込められ、今でも幹に耳をあてると
大蛇のいびきが聞こえるという伝承があり、昭和4年(1929)に国の天然記念物に指定されています。

かぶら杉

玉若酢命神社を出て、銚子ダム(=伊賀湖)などを車窓にバスは北上、途中、かぶら杉で写真タイムが取られました。
樹齢600年のかぶら杉は樹高約38.5m、地上1.5m位から6本(昭和初期には9本)に幹が分かれていて、
名前の由来は「樹形が鏑矢(かぶらや)の先に似ている」、「大きな株が目立つ」など諸説あり、
中央の大元以外は元々は枝だったもので、このように枝が大きくなって幹のようになるのは
積雪の影響を受ける日本海側の杉の特徴と言われています。

    
「せこ」                                「アマビエ」

水木しげる(1922−2015)のルーツは本名の「武良」と同名の隠岐の島町の集落とされていて、
島内の所々で水木妖怪に出会いました。
「せこ」は山の中に住む2〜3歳の子供の姿をしたリズム感がよくなる妖怪でものまねやちょっとしたいたずらが大好き、
「アマビエ」(車窓撮影)は江戸時代に肥後の国(熊本)の海に現れ、
「疫病が流行ったら私の写し絵を早々に人々に見せよ」と言って、海の中に姿を消したと言い伝えられる
コロナ禍に一気に知名度が上がった妖怪です。


さらに北上して、2時20分頃、隠岐最北端の白島海岸を望む白島展望台に到着しました。
白島海岸は白島崎とその先に浮かぶ沖ノ島・白島・松島・小白島など海岸を構成する岩石が白いこと、
小島や岩場を数えたら99あり、百に一つ足りないことから‘白’が名前の由来とされています。
平安時代初期の公卿・小野篁が隠岐へ流刑された時、白島海岸の美しい景色を見て、
「わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと 人にはつげよ あまのつり舟」と詠み、都を偲んだと伝えられています。


          −現地案内板−

 北側の島や岬の白い岩石は550万年ほど前に噴出した粗面岩(アルカリ成分を多く含む中性の火山岩)や流紋岩、
岬の東側の黒い岩石は280万年前に噴出した玄武岩質の火砕岩や溶岩で、
流紋岩はマグマが冷え固まるときにできた割れ目(節理)が発達していて節理に沿って浸食されやすいこと、
玄武岩類が非常にもろく風化や浸食を受けやすいことから、無数の入り江や小島が形成されたと考えられています。
最北端の沖ノ島は国の天然記念物オオミズナギドリの繁殖地として有名です。
 

沖ノ島の白島神社鳥居                           白島埼灯台(昭和31年建造) 

    
オキタンポポ                   オキノアザミ                    タマバシロヨメナ

隠岐の固有種の花たちとの出会いも楽しみながら、山道を下って、再び、バスで内陸部へ入り、
3時10分頃、水若酢命神社に到着しました。



出雲より早く大和朝廷に属し、国府が置かれ、国造が任じられていた隠岐の一の宮とされたのが水若酢神社で、
創建は第16代仁徳天皇の頃と伝えられますが、祭神の水若酢命は第10代崇神天皇の頃に白鳩(又は鷺)に
乗って降臨した、海中より顕現したという伝承もあり、玉若酢命と同様に隠岐を開拓した氏族が奉祀していた
五穀豊穣と日本海鎮護を司った神と考えられています。

水若酢神社は遷宮の20年毎に全島をあげて奉納する江戸時代から続く隠岐古典相撲も有名で、
これも朝廷との結びつきが強く、宮中行事の相撲節(すまいのせち)の様式が伝わったものと言われています。

    
水若酢神社 随身門

 拝殿                                         本殿

寛政7年(1795)に完成した本殿は、茅葺屋根の妻入り切妻造は大社造に似て、
正面中央に入口を設け、正面が側面より長い所は神明造、向拝を付けている所は春日造に似て、
隠岐造と呼ばれる独自の建築様式を持っています。

  

本殿の鬼板(隠岐では瓦ではなく、杉板で作るので、鬼瓦ではなく鬼板と呼ぶ)には、
皇室より下賜された直径33cmの菊の紋章が貼られており、葺き替えの際は取り外して代々使うそうで、
役目を終え、展示された鬼板がその大きさを伝えていました。

ローソク島遊覧船乗り場                                 潮路丸  

朝から曇りがちのお天気の上、ここ2日間は荒天のため遊覧船は欠航したと聞き、一抹の不安がありましたが、
午後には出航の報が入り、予定通りのスケジュールで3時40分頃、福浦のローソク島遊覧船乗り場に到着しました。
この日は観光遊覧船と漁船2隻が同時出航となり、私達は「潮路丸」の後部席にライフジャケットをつけて乗り込みました。

ドライバー&ガイドさん 弁天島

マイクロバスのドライバー&ガイドさん達の見送りを受けて、4時に出航し、弁天島を左手に見ながら、
重栖港を出て、日本海域へ入りました。

福浦トンネル

明治の初めに手掘りで作られ、日本土木遺産とされている福浦トンネルを右手に見た後、
耳崎から夜母瀬来(よばせぐり)へと続く550万年前の火山活動の痕跡を留めた断崖の絶景を楽しみました。


波に揺られて20分程で、尾白鼻の沖合い約500mに高さ20mほど突き出したローソク島が見えてきました。
かつては島後から伸びる岬の一部だったものが波浪によって周囲が削り取られ、海上に取り残された「離れ岩」となり、
今は隠岐の有名な観光名所となっています。

馬背島 鉄砲島

最初に出航した私達の船は、ロウソク点灯チャンスを狙って船長さんが粘って下さって、
年に数回という最高の景色には恵まれなくても、天使のはしごをバックにしたローソク島をゆっくりと堪能し、
1時間のクルージングを終えて、最後に重栖港へ戻りました。
観光船の窓越しではなく、波しぶきを浴びながらも、絶景の中に身を置いた漁船に乗ったことは幸運の一つでした。


観光ポスター写真

下船後、マイクロバスに乗って50分程、5時40分頃、西郷港にほど近い隠岐プラザホテルに到着しました。


   
隠岐プラザホテル ダイニング「緋翠」

    

    

今年7月にリニューアル・オープンした隠岐プラザホテル2階のダイニング「緋翠」での6時半からの夕食は、
「隠岐の島をかたちづくる火山岩、雄大に聳える摩天崖の断崖。入口は隠岐の島の大地をイメージ。
食≠ニいう島文化の奥へと誘います。」と謳っている通り、
島の豊かな食文化を惜しみなく提供した会席料理にカルチャーショックさえ感じた至福のひと時でした。
 



8時頃、7階の部屋へ戻り、朝が早く、長かった1日の疲れをとるために、入浴後に早寝を決め込みました。

            *1日目歩数(スマホ計測):10991歩


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