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13 Jan 2009
Cairo〜Aswan〜Abu Simbel


昨夜は夕食後、7時半ごろ部屋へ戻り、眠れなくても・・・と8時にベッドに入りました。
結果、1時間ごとに目が覚めてしまいましたが、1時半過ぎには起床、身支度をして、
2時45分にスーツケースを部屋の外に出し、3時過ぎ、ロビーへ降りて行って、
パン、ゆで卵、ジュース、果物が入ったBOX朝食を受け取り、
3時20分にホテルを出発、さすがに渋滞のない夜明け前の道路を空港へとバスを走らせ、
3時50分にカイロ空港に到着、4時半にエジプト航空に搭乗して、
6時前に900km南のアスワン空港に降り立ち・・・・と、まるでベルトコンベアに載せられたような朝でした。


6時半にアスワン・ハイダムに着くと、ちょうど朝日が昇って来る所でした。
西の方角には月が見え、その下方の高さ70mのハスをかたどったハイダム完成記念塔は、
ナセル大統領がハイダム計画の財源を求めて、スエズ運河を国有化しようとした時に生じたスエズ危機、
1956年の第2次中東戦争後にダム建設資金の最大援助国となったソ連への感謝が込められているそうです。




イギリスが1898年に着工、1902年に完成したアスワンダムが人口増加に対応できない為、
ギザのピラミッドの17倍、4300万個の花崗岩を使って、1960年から10年かけて長さ3830m幅980m高さ111mの
アスワン・ハイダムが造られ、それによって生まれたナセル湖は、
南北500km最大幅30km深さ183mで、琵琶湖の8倍という世界最大の人造湖だそうです。
農業用水、電力は充分に確保出来たものの下流域の土地がやせ、塩害が発生したり、
湖水の蒸発によって雨が降るようになり、乾燥によって守られていた遺跡を削るなど問題も起きているようで、
「THE HIGH DAM PROJECT IS CONSIDERED THE EGYPTIAN CHALLENGE AGAINST THE SILENT NATURE」
と書かれた説明板を見ながら、何と大きな課題を残した20世紀遺産かと思わざるを得ませんでした。



次にトトメス3世の「切りかけのオベリスク」が残る古王国時代からの花崗岩の石切場へ行きました。
石に木の楔を打ち込み、その楔に水をかけて膨張させて石に亀裂を入れるのが古代の石切り方法と推測され、
完成していれば現存する最大のオベリスクになっていたと言われる長さ41mの切りかけのオベリクスは
途中でひびが入ったために放置されたのだろうと言われています。
30分ほど花崗岩のかけらを拾ったりしながら岩山を見学して歩いた後、出口に並ぶお店でお土産を買いましたが、
「高品質エジプト綿」「プリントではなく刺繍」とはいえ孫用の小さなTシャツ2枚35ドルはお買い損価格でしたし、
トルコ・ブルーでなく黒色が気に入った小さなスカラベ達も、
おまけと言いつつ、お店の奥で紙に包む間にごまかされてしまったような・・・・。
ちょっとねばり負けの初買物となりました。
因みにスカラベはファラオの聖なる甲虫で、幸運と幸せを招くと言われています。



時間に余裕があるということで(まだ朝の8時半!)明日乗る予定だった帆掛け舟ファルーカに乗りました。


ヌビア人船頭

エレファンティネ島のクヌム神殿 オールド・カタラクト・ホテル

アスワンの神、牡羊の頭を持つクヌム神に捧げられた古代の要塞、エレファンティネ島の東岸をセーリング、
神殿や礼拝堂、博物館、アガサ・クリスティ「ナイルに死す」の舞台となったカタラクト・ホテル等を遠望しながら
カモメやシギ、サギなどの水鳥が飛び交うナイル河で1時間ほどゆったりと過ごしました。
象牙取引に由来したエレファンティネ島は古代から交易の中継地として栄えたアスワンの中心地だそうです。

9時半にバスに戻り、途中でお土産の砂採取タイムを取ったりしながら、再びアスワン空港へ向かいました。



アスワンの花崗岩と砂

11時半近く、アスワン空港の搭乗ゲートを抜け、飛行機まで連絡バスで移動していた時、
少し離れた所に立つ男性を見て、「あの人は北アフリカの時、現地ガイドだった人だよ。」と夫が言いますので、
半信半疑ながら、少し急ぎ足でタラップに向い、その方の後ろに立って、
「失礼ですが、Kさんでいらっしゃいますか?」と声を掛けると、大当たり、4年振りの驚きの再会となりました。
ギザでピラミッドを見ただけでアレクサンドリアへ向かったという一風変わったツアーであっただけあって、
初め首をかしげていたKさんも「リビアの国境までご一緒したのですよね。」と段々に思い出して下さったようです。
思いがけない偶然が楽しさを運んでくれたアブ・シンベル行きの機内となりました。



 

アスワンからアブ・シンベルまで280km、30分という短時間飛行の目玉は、
着陸少し前に左眼下に見えるアブ・シンベル神殿ということで、かなり空いていたこともあり、
ほとんどの人が左側座席に座わった機内でした。
偶然、すぐ後ろの席だったKさんも途中から私達の3人席へ移動されて、
4年前のツアーや現況の話、メール・アドレス交換などをして盛り上がりました。
話をしている中にあっという間にアブ・シンベル上空になり、
「とにかくバシャバシャ、シャッターを切ればいいんだよ。」と夫は言っても、
それをコンパクト・カメラに求めるのは無理というもので、会心画像を物することはできませんでしたが、
ボケてはいても神殿が見えた時の興奮が懐かしい数枚です。




12時半にセティ・アブ・シンベル・ホテルに到着して、すぐランチ・タイムになりました。
パスタ入りスープ、サラダ、スパゲッティ、ビーフストロガノフとボリュームたっぷりなメニューでした。
このホテルのレストランではボーイ達がサービスしながらボールペンを無心し、余り愉快ではありませんでしたが、
こんなマナーの悪さを教えたのは日本人観光客だと思うと、彼らだけを責める訳にもいかないようで・・・・。



ナセル湖に面したロケーション、ヌビア地方の天然石を使ったコテージ、中庭などは良い雰囲気を持っていて、
慌ただしく1泊だけというのは惜しいホテルではありました。


2時にホテルを出発、程近いビジターセンターでバスを降り、アブ・シンベル神殿観光が始まりました。
神殿前までの砂地を歩いていると、1月にして28℃という気温がスーダン国境が近いことを感じさせてくれました。
ここで新婚カップル2組をガイド中のKさんと再会、記念撮影となりました。

アスワン・ハイダムが計画された時、浮上したのが水没の危機にさらされた周辺の遺跡問題で、
ユネスコが世界的なキャンペーンを張って、資金・技術両面にわたる膨大な国際協力によって守られたのが
このアブ・シンベル神殿だそうです。これをきっかけに貴重な文化・自然遺産を保護しようという機運が高まり、
1972年に世界遺産条約が採択されたと言われています。
小さなブロックに切断、方位を変えず、西110m、北へ64mの位置へ移転するアブ・シンベル神殿救出プロジェクトが
1963年から5年の歳月をかけて完成したそうです。



大神殿の上で朝日を迎えるヒヒ達
神殿入り口の上に彫られたラーホルアクティ神

ホルス神
ラムセス2世座像足元のネフェリタリ王妃

入口台座のヌビア人捕虜のレリーフ
入口から写した至聖所

カディッシュの戦いのレリーフ
大列柱室

新王国時代第19王朝のラムセス2世(在位BC1290−1224)がヌビアの地にも王の永遠の神権を示すために
建造したのがアブ・シンベルに残る大・小2つの神殿だそうです。
王が残した多くの巨大建築の中でも最大といわれるこの大神殿は高さ33m幅38m奥行56mで、
高さ21mの座像が4体並ぶ正面部、大列柱室、小列柱室、副室、前室、至聖所という構成になっています。
建設して7年後、王の生存中に起きた地震によって倒れ落ちた正面座像の1体の上半身は、
移築の時も修復せず、そのままで残したそうですが、王すら気にしないのなら文句のない所だと思われます。
王の権威を繰り返し表現した内部は撮影は出来ませんでしたので、ガイドブックから2枚ご紹介しました。
世界初の平和条約を結んだことで有名なカディッシュの戦いは勝敗がつかなかったというのが真相のようです。




左から宇宙創造のプタハ神、アメンラー神、神格化したラムセス2世、ラーホルアクティ神が座する至聖所に、
2月22日と10月22日(ラムセス2世の誕生日と即位日という説もある)に朝日が一直線に差し込み、
プタハ神以外の3像を照らし出すという仕掛けは奇跡と呼ぶのが大袈裟ではない古代の技だと思いました。



アブ・シンベル小神殿
ネフェリタリとラムセス2世と子供達

愛・美・音楽の女神ハトホルの列柱
ハトホル神に花とシストル(楽器)を捧げるネフェルタリ

生涯に7人の王妃と数十人の側室がいて、200人近い子供をもうけたといわれるラムセス2世ですが、
中で王が最も愛した王妃ネフェリタリ(最も美しい女性の意)のために築いたのがアブ・シンベル小神殿です。
神殿正面の幅28m高さ12mと大神殿に比べると規模は小さいですが、
神殿内に残されたレリーフは彩色が残っている部分も多く、効果的な照明に照らされて幻想的な美しさでした。

帰り道、ビジターセンターの前に連なる土産物店で、T添乗員さんのアシストもあり、
言いなりにはならない価格でガイドブックを手に入れました。
ヌビア人の子供が、大人に負けず、売り込みに割り込んでくる姿が印象的でした。



4時過ぎにホテルへ戻り、休憩した後、6時前に「音と光ショー」を鑑賞しに再び神殿へ向かいました。
移築時の切り分け方、クレーンで運ばれる王の顔など一大プロジェクトの様子や、
ラムセス王の治世、戦争、夫婦愛などを歴史絵巻にした映像が2つの神殿をスクリーンとして写し出され、
予期以上によく出来た40分ほどのショーを日本語音声で楽しんだひと時でした。
温度差の激しい砂漠性の気候を用心して、ダウン・コートに手袋という姿で行きましたが、
寒いという程の気温ではなく、降るような星が美しい夜空も堪能することができました。

7時からビュッフェ・スタイルの夕食を取り、長い一日が終わりましたが、
明日も又、早朝出発ですから、ともかく早く寝る!をテーマにした夜でした。


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