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2014・2・27
 賢島〜鎧崎〜二見浦〜斎宮〜松阪〜名古屋
                           

旅の3日目は予報通りに雨となってしまいました。
そこで、急ぐこともないし・・・と朝食はゆっくり目に8時過ぎから「ラ・メール」でいただきました。
ビュッフェ・スタイルではなく、和・洋食のいずれかを選ぶ形式で、景色を見ながらサービスを受ける朝食も格別で、
とりわけ香り高い紅茶にホテルの格式を感じたひと時でした。




ホテル内売店で貝類の佃煮などのお土産を3つ4つ買ってから、9時過ぎにチェックアウトしましたが、
雨が降っていたために気分が乗らず、建物の外観写真は撮りませんでしたので、
ホテルHPから借用した村野藤吾設計の全景写真を掲載しておきます。

この日は海寄りのパールロードを北上して、伊勢神宮へ供える神饌の産地を巡る旅を計画しました。
倭姫と共に鎮座地を求め歩かれた天照大御神が「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、
傍国(かたくに)の可伶国(うましくに)なり、この国に居らむとおもふ」と述べられたと日本書紀にあるそうです。
美しく、美味しい「可伶国」に連綿と続く、伝統の一端に触れることが楽しみな一日でした。



秋篠宮ご夫妻訪問の記念碑

神宮御料鰒調製所

賢島からスペイン村を抜け、パールロードという名前の割には山深い道を進み、国崎町で右折して鎧崎へ向かいました。
「かに優先」という標識が海の近さを知らせる田舎道ではカーナビもうまく機能せず、軒をかすめる道幅しかない小さな集落に入り込み、
何とかすり抜けた先に海沿いの広場を見た時には、ほっとすると同時に、止まっているマイクロバスを見て、
道を間違えたことや謂われのある神社が近くにあることが確信されました。
海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)が近いのではと思いながら、止めた車の中で少し強い風雨をやり過ごした後、
マイクロバスまで戻って来た10人程の人達が歩いて来た方向へ行くと、
今日の最初の目的地としながらも、行き着けるかどうかは危惧していた「神宮御料鰒(あわび)調整所」が現れて、
たまたまの幸運に驚くと共にうれしさを感じました。



鰒干し場

「倭姫御巡幸旧跡」石碑

この調製所で長老たちが見取り鰒、玉貫鰒、甘掻鰒などの熨斗鰒や干し栄螺(さざえ)を伝統的技法で加工して、
神宮の三節祭(6・12月の月次祭、10月の神嘗祭)に献上しているそうです。
あわびは一般的には鮑の字を用いますが、ここでは鰒の字で表記されていました。
国崎の潜女(海女)が奉った鰒が美味だったため、ここを御贄所に定めたという倭姫伝説に因む石碑も置かれていました。



海上安全祈願の石碑

鎧崎灯台

小高い山道を上っていくと、頂上に、海上安全祈願の石碑や灯台が立ち、
志摩半島東海岸の中央に位置する鎧崎の小さな岬から、荒々しくはあっても、豊かな恵みをもたらす太平洋を望むことができました。



鎧崎海岸

調製の時期は活気がありそうですが、雨天のせいもあり、人影のないひっそりとした漁村の中を車を進めると、
海士潜女神社の標識が見え、立ち寄ってみようとしましたが、民宿が集まった袋小路のような所へ入り込んでしまい、
雨も降っているし・・・とあっさりと諦めてしまいました。

鳥羽と志摩をつなぐ全長23・8kmのパールロードは平成18年(2006)に全線無料になった道路で、
ガイドブックには「眼下にはリアス式海岸や旅情満点の港風景も望め・・・」とありましたが、
展望が開けた所の少ないカーブの多い山路で、雨天とあいまって、ひたすら走るだけ、となってしまいました。
それでも伊勢神宮の広大な神域と山がちの志摩という紀伊半島の想像をはるかに超えた緑の豊かさに触れて、
この森あってこそ志摩の豊かな海がある、ということを実感することができました。



11時過ぎに二見浦に到着し、先ず、二見興玉神社(ふたみこしたまじんじゃ)へ行きました。
猿田彦大御神を御祭神とする二見興玉神社は、古来、神宮参拝の前に禊ぎをする浜参宮という習わしを持ち、
猿田彦命と天宇受賣命の関係からすると唐突ではなさそうですが、天の岩屋も祀られている神社でした。



夫婦岩

二見興玉神社

日の出遥拝所

カエルの置物

常世国と俗界を隔てる結界を表す注連縄がかけられた夫婦岩は、
天孫降臨の際に猿田彦命が降り立ち、今は沖合700mの海中深くに沈むといわれる興玉神石と、
日の出(=天照大御神)を拝むための鳥居の代わりとされています。
男岩9m、女岩4mの高さを持ち、2岩の間9mを結ぶ長さ35mの注連縄は、年に3回張り替えが行われるそうです。
猿田彦命の使いと言われるカエルの置物が、「帰る」「返る」に引掛けた願掛けとして、至る所に置かれた二見興玉神社は、
東南アジア系観光客も多く、縁結びとして人気を呼んでいる神社と見受けられました。


二見興玉神社から車で10分程の所に、神宮の日別御饌や恒例祭にお供えする野菜や果物を栽培している
明治31年(1898)に設立された神宮御園がありました。
百葉箱を備えた広大な御園では、季節に応じた多種多様な農作物が栽培されているそうです。




お断りをしてカメラを向けたご奉仕をする方々の白一色の作業着に御園らしさが感じられました。


御園からさらに10分ほどの所に、内宮の所管社で、御塩殿鎮守神をご祭神とする御塩殿神社がありました。
文治2年(1186)頃に当地を訪れた鴨長明が、
「二見潟神さびたてる御塩殿 幾千代みちぬ松かげにして」と詠んだ歌碑が入口に置かれています。


御塩殿神社の境内

御塩汲入(くみいれ)所

御塩焼所

土用の頃に五十鈴川下流の御塩浜から御塩汲入所に運び込んだ塩水を御塩焼所の鉄の平釜で炊き上げて荒塩を作り、
それを御塩殿で三角形の土器につめて焼き固めて堅塩にしあげる10月の御塩殿祭を取り仕切っているのが御塩殿神社です。
神職達が勤める古式豊かな作法が目に浮かぶような雰囲気が神社一帯に漂っていました。

二見浦を出て、内宮から北西に10km程、伊勢市と松阪市の間に位置し、伊勢の入口とされる明和町の斎宮にも立ち寄りました。
幻の宮と呼ばれる斎宮の跡地が発見され、飛鳥時代から南北朝時代にかけておよそ660年の間、
伊勢神宮の国家祭祀であった斎王制度が実在したことが明らかになり、
昭和54年(1979)に国の史跡指定を受けたのが近鉄山田線の斎宮駅前に広がる東西2km、南北700mの斎宮です。
昭和45年(1970)に団地造成のための調査中に遺跡が発見され、
その後、本格化した調査は現在なお第177次調査として継続中で、さらなる歴史的新発見が期待されていると言われます。



斎宮歴史博物館

天皇が即位された時に未婚の内親王や女王から選ばれて伊勢神宮に仕えた斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と
斎王に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を合わせて斎宮と称し、
天皇代理という高い地位の斎王が暮らす斎宮は、諸国を治めていた国府を凌ぐ規模を持ち、文化の中心地のひとつであったことが
「延喜式」の記録や「源氏物語」「更級日記」「大和物語」などの王朝文学からも解明されているそうです。

崇神天皇皇女の豊鍬入姫、垂仁天皇皇女の倭姫を最古の斎王とする伝承の時代を経て、
天武天皇が天武2年(674)に大来(おおく)皇女を伊勢神宮に遣わしたのが斎王制度の始まりとされ、
それ以後、60人以上の斎王の存在が今に伝えられています。

12時45分頃、到着した斎宮歴史博物館で、思いがけずも、シルバーは観覧料免除という特典を得て、
選ばれた斎王が都を離れ、200人の従者に従われて、伊勢までの5泊6日の「斎王群行」に向かう様子を再現した映像を観たり、
斎王の生活を様々な視点から考察した展示品や、斎宮跡の発掘品などを展覧して、
斎王制度という今まで知らなかった歴史に触れて、伊勢への関心がまた深まるようでした。


  

2時過ぎに斎宮歴史博物館内のカフェで遅めのランチを取りました。
お天気が良ければ、町を歩いて、地元の名物などに出会えたかもしれませんが、間に合わせとなってしまいました。

伊勢路の最後に、カーナビでは表示されず諦めようかとも思ったのですが、博物館の受付で詳細地図で教えていただいて、
神宮に織物を奉納する二つの神社に立ち寄りました。


神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)

田園の中にこんもりとした森が見え、見当をつけて近寄った所が神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)でした。
 こちらは「人面」と呼ばれる男性の職工が荒妙(あらたえ=麻布)を織る内宮の所管社で、
神麻績氏の祖神とされる天八坂彦命(あめのやさかひこのみこと)を祀り、
御前神(みまえのみ)として、創立、祭神とも不明と言われる八末社が並んでいるのが見られました。


神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ) 

さらに北へ向かった先に、「織子(おりこ)」と呼ばれる女性の職工が和妙(にぎたえ=絹布)を織る神服織機殿神社がありました。
入口が分からず、車一台がようやく通れるような森を囲むあぜ道をほぼ一周してしまいましたが、
何とか鳥居までたどり着いて、神麻続機殿神社と区別がつかない程似通った神服織機殿神社にお参りしました。
ここには服部神部の祖神の天御桙命(あめのみほこのみこと)と奉職工の祖神の天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)が祀られ、
やはり八末社の小さなお社が並んでいました。
内宮と荒祭宮で行われる神御衣祭に奉納される神御衣が、これら2か所の機殿(八尋殿)で織られますが、
ここでの奉職は市の無形民俗文化財の指定を受けているそうです。

「天地をあまねく照らし、生命を育み、地球の営みの大元とも言える働きをを神格化した」天照大神を祀る伊勢神宮で、
年間1500回もおごそかに行われる祭祀は、
「この世で、もっとも大切な、必要な存在に対し、全身全霊をもって尊敬し、感謝を捧げ、心を込めて奉仕し、
未来の環境を無事に調えていただこうと祈りをささげるのが、神祭りなのである」とその本義が説かれています。

「日本人のこころのふるさと」として圧倒的な存在感を持つ伊勢神宮と、それを支える周辺の神社や人々の営みに触れながら、
神話と歴史の間を訪ね歩いた伊勢の旅は、充足感と共に終わりを迎えました。



レンタカー Vitz

3時過ぎに松阪のオリックスレンタカー営業所に到着し、そのままJR松阪駅まで送ってもらって、
3時48分発の「みえ18号」で名古屋へ向かいました。
紀伊半島を走り回ったという印象の割には、2日間の走行距離は198kmと大した数字ではありませんでしたが、
伊勢地方が面積に比して、見所が詰まっている証拠と言えるのかもしれません。



5時8分に名古屋駅に到着し、駅から徒歩5分の「ロイヤルパークホテル ザ名古屋」にチェックインしました。 
昨秋11月にオープンしたばかりのシティホテルは、カードキーをかざして乗るエレベーターなどセキュリティの良さや、
無線LAN、加湿空気清浄器など機能的な設備があり、気持ち良く、快適に過ごすことが出来ました。


  

  

当初、この日の夕食はうなぎのひつまぶしと決めていたのですが、
有名な老舗は電車で行かなければならないことが分かり、代わりにホテルお勧めの名鉄百貨店「まるや本店」へ行きましたが、
長い行列ができていたために諦めて、ホテル近くの居酒屋「八丁ぼり」で、
名古屋コーチンの串焼きや手羽先揚げ、豚肉のみそ串かつなどの名物料理を賞味して、うなぎ茶漬けで締めた夜となりました。


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