[ホーム][目次][4日目]
国道脇の駐車場から細い小道を少し歩くと、遣唐使や遣新羅使が船を乗り換えたと伝わる西漕手浦がありました。 630年(舒明天皇2)から838年(承和5)にかけて、4隻の船に分乗して派遣された数百人の使節団は、 当初は対馬経由、朝鮮半島を経て中国大陸に渡っていましたが、663年(舒明天皇5)の白村江の大敗後、 新羅との外交関係が悪化、その後は五島から東シナ海を横断し、中国大陸に入る航路をとるようになり、 また後の時代には大船越が開削されて、西漕手は寂びれていったそうです。
社殿裏側の裏参道を進むと、元は禁足地で神社の最も厳格な場所とされる御垣内(みかきうち)となっていて、 鳥居から先は写真撮影禁止となっていました。 スダジイ、ウラジロガシ、ヤブツバキなど照葉樹やアズキナシ、ケヤキ、ハリギリ、イロハモミジなど落葉樹、 様々な木々が生い茂る長崎県天然記念物の原生林の奥地に、 奥の段が豊玉彦命、手前の段が豊玉姫命の御神威を宿していると伝えられる夫婦岩、 現在は豊玉姫命之御陵墓と称されている古代の磐座がありました。 ヤブツバキ ゲンカイツツジ ヤマザクラ 和多都美神社を16時45分頃出発して、この日の宿泊地の上対馬町比田勝へ向かいました。 この旅行記を書いている最中に、「2012年に盗まれ、韓国に持ち去られた仏像が5月10日、 韓国中部・瑞山の浮石寺で日本側に引き渡され、盗難から約12年半ぶりの帰還となった。 仏像は空路で日本に運ばれ、12日に観音寺で法要が行われた。」というニュースが流れましたが、 観音寺は和多都美神社と同じ中対馬エリアの豊玉町、対馬の西岸にある寺院です。 観世音菩薩坐像 「浮石寺が14世紀に日本人の海賊「倭寇」に持ち去られたものだとして仏像の所有権を主張し、 日韓間の問題になったが、韓国最高裁が23年に観音寺の所有権を認定、 同寺で日本帰還前の「100日法要」が行われた後、観音寺へ戻った」とニュースは続きましたが、 防犯上の課題があるとして、法要後には対馬市立対馬博物館へ保管されたようです。